不条理な苦痛

天野環

“報道”の仕事に携わり18年。 “天職”とは程遠く・・・。

“朝の来ない夜”のために

2011/04/15

よく「朝の来ない夜はないから」と、“弱者”を癒すつもりの、恐らく全く悪意はないであろう“善意”の言葉に度々遭遇します。今回の震災に限ったことではありません。でも「朝の来ない夜はない」と言われて、言われた側は励まされた気になるのでしょうか。私自身は(「ダメ」なことがあろうとなかろうと)常々、「朝さえ来なければ」と思ってしまうのですが・・・。

3・11から5週間が経ちました。自らがそれまでに為すべきだったこと、そして為さなかったこと・・・「怒りの矛先」は今も(そしてこれからも)自分自身に向いています。もはや「もし彼(彼女)だったら何を考え、どう行動しただろうか」といったことは全く考えなくなりました。先達の意志を無碍にするつもりは全くありません。自分にとっての「拠り所」や「逃げ場」が一切なくなったということです。

なおタイトルの「不条理な苦痛」は、私自身が17歳の頃から、ある種の指針にしてきた言葉で、震災以前につけたものです。手垢にまみれた政治家の言葉とは一切関係ありません。畏怖してきた哲学者・市井三郎氏の言葉です。これについてはまた別途。

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