
しらほ
名も無きTVディレクター。「座標軸」を探す日々。
”学力”って何だろう
昨日のTBS「報道特集」、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、
橋下さんらが大阪で進めようとしている「教育改革」、
東京都の学校現場で何が起きているのかについて、特集が放送されました。
「競争」と「懲罰」がキーワードになっている教育現場・・・・。
視聴しながら、
2007年ごろに聞いた“ある方”のお話を思い出しました。
ある方、とは、
当時、「愛知県犬山市」で教育長を務めていらっしゃった瀬見井久さんです。
犬山市では、
「少人数学級」で「学びあい」という授業スタイルが取られていました。
5~6人の班をいくつか作って、
先生の話を元に、
班の中で生徒同士が「考える」「教えあう」というスタイルです。
(現在がどういうスタイルを取っているのかは、
ごめんなさい。わからないのですが)
瀬見井さんは、当時の安倍内閣が進めようとしていた「教育改革」、
例えば、「学力テスト」などで「点数を競争しながら」学力を身につけていく、
ということに否定的でした。
今回は、その瀬見井さんが当時お話していた「学力について」、
おすそわけします。
===
「学力の基本は、“自ら学ぶ力”です。
それじゃ、自ら学ぶ力はどうしたら育まれるか。
それは、自ら進んで学ぼうという意欲を子どもが持つこと。
その意欲は、“学ぶ喜び”が動機付けでないといけない。
学ぶということは非常に楽しいことなんです。本来はそうなんです。
学ぶ喜びが動機付けになって初めて、自ら学ぶ力を育むことができる。
ところが国がやろうとしていることは、
“競争”を動機付けにして学力の向上を図ろうというもの。
でもね、それで自ら学ぶ力を育むことができるか、と言ったら、
これはできないです。決してできない。
点数で測れる学力はね、僕は学力とは言いません。
ここのところの問題をきちんとして、
“学力とは何か”という話から議論していかないといけない。
今は、そこを素通りにして、安易な学力論が出回っているんです。
学校の役割で最も重要なことは、
子どもに対して、きちんと授業で学力を保障すること。
そしてもう一つ重要なことは、
これは教育基本法の言葉にもあるんだけど、
“教育の目標とは何か”という問題なんです。
教育の目標とは、すなわち子どもの人格を完成させることです。
そうすると非常に大切なことはね、
学力の定義の問題が、
実はこどもの人格形成の上でも非常に重要な要素であるということなんです。
人格を形成する上で中核になるのは、“自ら学ぶ力”です。
“自ら学ぶ力”は、子ども主体の授業の中で育まれる。
人格という言葉の定義は、“主体になって考えることができる”ということ。
いいか悪いか、主体的に考えられるということ。
これがやっぱり、子どもの人格形成の上で、主要な要素なんです。
“自ら学ぶ力”、という、
主体的に考えることができる授業の中で培われた大きな意味における学力、
これが実は、人格完成の主要な要素なんです。
だから、自ら学ぶ力を学力として育んでいく、ということは、
教育の目標である“人格形成”においても、子どもを育むことになる。
“自ら学ぶ力”を育むことは、
単なる学力論だけの範疇ではとどまらなくて、
子どもの人格完成という、教育の基本的な目標の中の主要な要素を育む
重要なファクターになっているんです。
でも、国の教育改革では、今の話、全部抜けています。
だって“子どもの人格”という考え方は一切ないし、
自ら学ぶ力という学力論も、一切議論の対象になっていないでしょ。
全く不毛の議論です、そういう意味ではね、恐ろしいくらいの不毛の議論。
国の“再生会議”と称して行われている議論は、
せいぜい、教育制度が出来て以後の議論。歴史的に言えば100年くらい。
ところが教育にはね、人類生まれて以来の基本的な「不易」の考え方ある。
それは何かというと・・・。
先ほど、“学ぶ喜び”と言いました。“教える喜び”というものもあります。
教育は、これが動機付けの基本にないといけないと言いましたね。
これは実は、もう2000年も前に、
孔子が、論語の一番最初に書いた言葉なんです。
それに対して“競争原理”なんていう動機付けの話は、
せいぜい今財界が、
『日本をさらに経済国家として前進させるために必要な子どもを
どう育てるか』という話。
そういうレベルの“流行”の議論なんです。
授業の中でも、教師は、“教える喜び”を動機付けにして、
いい授業を提供しないといけない。
それを“評価”で教師の能力を測定して、『教師の資質向上を』
という話はもってのほかですな。
別の言葉でいえば、教師の専門性を高めることです。
教師の専門性を高めることによって、質の高い、いい授業を提供できる。
それができれば、子どもは、
“学ぶ喜び”を感ずる授業を、享受することができる。
そういう状況を作らないといけない。
そういう状況を作ることで、子どもも学ぶ喜びを感じ、
教師も同じ教室の中で教える喜びを実感として感じ取る。
さらにもっといい授業を意欲を燃やして作っていく・・・。
その状況を作るために重要なこととして、
犬山市では『少人数学級』を実践しています。
市場原理を導入して、競争と評価で教育を活性化しようという手法は、
一言で言うと、“安上がりの教育”だ。
安上がりの教育では、教育はよくなりませんね。
Re[2]:”学力”って何だろう
- 投稿者
- DON NON
- 投稿日
- 2012/03/19
初投稿なので、脈絡などの不備、お許しを。
私の中学生時代の授業を思い出しました。
豊田市立高橋中学校、今から35年ほど前の事になります。
その方法?やり方は、「連鎖学習」と、呼ばれていました。
英、国、数、理、社、の5教科別に選ばれた、1人の教科委員がクラスの
授業を進める。(可能な限り教科別に専用教室を使っていました。)
教科委員は、授業の為の資料、掲示物、を自らの工夫を持って作成。
また、教科によっては、教科委員がテスト問題を作成し、学習状態を把握、
先生に報告し次の指導、指示を受けます。皆楽しく授業に参加致していました。
先生は、教科委員に教員の仕事、授業推進方針などを教え、また、打ち合わせ
を行い、授業を行います。
学級は、5~7人のグループを設けて、グループリーダーのもとに、グループ
学習します。積極的、参加型の能動的な授業で多くの事を学び、教えられました。
Re:”学力”って何だろう
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 2012/03/20
”天文学の基本は、夜空を見上げることだ”
出典がどこだか忘れました。多分北杜夫氏の小説だったと思うんですが、どうも思い出せません。
学究の徒になるきっかけは、どこにでも転がっているという意味で覚えています。
その上で話になるんですが、、
”学校が唯一の教育の場である”という考え方が根底にあるとおもうんですよ。
教職であるのであれば仕方がない部分があると思いますが
最初の一文 ”自ら学ぶ力はどうしたら育まれるか”
なんで、自ら学ぶ力を育てようとしているのかわかんないんですよねぇ・・・
TBS系のWEBとだからというわけではないですがウルトラマンという作品があります。
ある東大生なりがなぜ勉強が好きになったかと言う問いに対し、
ウルトラマンが好きだったときに、”ウルトラ怪獣大百科”を親が買ってくれた。
それを全部暗記したら、さらに別の本を買ってくれたから、
という答えをしていたというのがあります。
自ら学ぶ力はきっかけさえあれば、手に入ると思うんですよ。
それは学校でなくてもいいはず。しかしそれを、学校が担わなければならないという考えがあるように思えるんですよねぇ。
ある意味学校優先主義というものが見え隠れし、ある種それ以外のものに対し絶望し、軽視しているように思えるんですよ。
その最たるものがこの部分
”せいぜい今財界が、『日本をさらに経済国家として前進させるために必要な子どもをどう育てるか』という話。
そういうレベルの“流行”の議論なんです。”
残念ながらこの流行、未だ続いています。
それどころか変に加速し、日本企業のなかで、海外の社員を採用し始めるということになっています。
そして別の流行が作られる気配もない。もし、瀬見井久さんが求める流行ができるとしても、その流行がどのようなものか、早急に考えては、適切なものができるかわからないため、
時間をかけて流行を考えるべきと、言っていつになるか分かったものではありません。
もちろんこれは学校以外の他者、例えば親、例えば、政治家、例えば社会、そういったものに信頼が置けなくなったと考えれば、当たり前の話です。
日刊争論でも、子供2人を置き去りにした母親の判決が最近あったにもかかわらず、児童福祉施設の権限が増えたわけでも、人員が増えたわけでもない。
もし小学生の子に同じようなことが発生していても、対策が増えたわけでもないのにもかかわらず、君が代問題で、賑わっている。
こんな社会信頼できるかと言われて、信頼できるわけないですわな・・・
今現在の子供の環境はある意味過酷になっている。そして子供たちの未来も、過酷になること決定中ですよ。
それならばせめて学力ぐらいは、と考えるのが教育者であるのは正しい姿と思います。
でも政治家であれば違うはずなんですよね。
学校は教育を提供する場所です。
例えばお菓子を子供に与えるのであれば、コストがかかっても、きちんとした産地の、きちんとした製法で作った美味しいお菓子を提供するのは当たり前です。
でも、政治家は、お菓子を提供する場所をいくつか作った上で、お金を子供に渡すことができるんですよ。
子供たちは、安いお菓子で我慢するなり、お菓子自体を我慢してその分のお金を貯金して、天体望遠鏡を買うかもしれない。
学校という限定された場所を有効に使った教育をよしとするのか、実社会全てを使って、教育をするのをよしとするか、それは今後考えていかなければいけないと思います。
そういう意味では、橋下市長の教育改革の中に入ってくだされば、面白いかもしれません。
ただ、”安上がりの教育”との”競争”という形になるかもしれないだけに、どう感じられるのかわかりませんが・・・
こういった話を、”ちょっといい話”で終わるだけでなく自分自身に対する反省と感じる必要があるかもしれませんねぇ。
しかし、子供がいるわけでも、作れるわけでもないし。
就職口といっても、人事に顔が利くわけでもない。
だいたい深夜に帰ってくるようなライフスタイルになる職業に子供がなりたい訳もないだけに・・・
やれることないですねぇ・・・・
Re:”学力”って何だろう
- 投稿者
- αβ
- 投稿日
- 2012/03/23
教育の場に置ける「効率」や「スピード」に関連するブログを見掛けたので、とりあえず共有しておきます。
http://blogos.com/article/34585/
デジタル、アナログどちらの手法でも、「上質」な教育にはコストが掛かる、といったところでしょうか。
Re:”学力”って何だろう
- 投稿者
- しらほ
- 投稿日
- 2012/03/30
みなさん、コメントをありがとうございました。
さきほど、「ある祝辞から」というタイトルで
立教大学総長の言葉を紹介させて頂きました。
「学力」を考える上での、
ヒントになった言葉です。
もしよかったらご覧になって下さい。
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