
しらほ
名も無きTVディレクター。「座標軸」を探す日々。
はじめましての「おすそわけ」
皆さん、はじめまして。
いつもWEB多事争論にお越し頂いて有難うございます。
名も無きTVディレクター「しらほ」と申しますが、
(なんか、固いですね)
まずは、このブログのタイトルの意味を説明いたしますね。
(すみません。ちょっと緊張しています・・・)
一視聴者である時も、この仕事をするようになってからも、
テレビでニュースを見るとき、もしくはVTRを製作する時、
「筑紫さんはこのことについて、どう考えているんだろう」と
筑紫さんの発する言葉を待っている自分がいました。
ニュースを見る時、考える時、
いつもすぐに、ピシっときっぱりとした姿勢をもてずに
ぐずぐず考えがちな私にとって、
筑紫さんの言葉を聞き、自分の中でまた考えて、という時間は、
学生時代の「ゼミ」の時間のようでもありました。
そして筑紫さんの言葉は、
自分にとって「座標軸」のようなものだったのです。
筑紫さんが亡くなってから、
「ああ、こんな時、筑紫さんは何て言うんだろう」と
思わされる場面に何度も遭遇しました。
でも、いつまでもそうは言っていられませんね。
筑紫さんの過去の文章から、
今、この瞬間に発言している人たちの言葉から、
自分の中の「ゼミ」の時間を続けていきたいと思っています。
そして自分の心に残った言葉を、
皆さんにも「おすそわけ」していければと思っています。
ではまず、今回の大震災に関わる報道の中で、心に残った言葉。
東京新聞に載っていた文章を、
一部抜粋して皆さんに「おすそわけ」したいと思います。
===
・・いま、こんなことを考えている。殺人や汚職事件の取材にかける百分の一の労力を、政局の取材に使う百分の一の知恵を、プロ野球や五輪、サッカーのワールドカップの取材に向ける百分の一の情熱を、国の原発政策の監視に注いでいれば、この人災は防げたのではないか、と。大地震が起きた場合、原発が暴走する危険性を指摘するなど、原発問題と真摯(しんし)に向き合っている記者は本紙にもいた。残念ながらその警告は大きな流れにはならず、大半の記者は目の前の事象を追うのに精いっぱいで原発の危険性に大きな関心を寄せなかった。高レベル放射能に汚染された大量の水が海に排出され、漁業への被害も深刻化している。暴走する福島第一原発は解決の道筋が描けない迷宮に入り込んでしまったかのようだ。マスメディアとして、原発の「安全神話」をつくることに加担した責任を自らの手で問い直さなくてはならない。新聞の再生はそこから始まるのだと思う。
(東京新聞「筆洗」4月7日)
全文はここから
===
きょう、テレビで、
東京電力の社長の会見を聞きながら、
そこに座っているのは
「原発」の危険性について
見て見ぬふりをしてきた自分自身でもある、と感じました。
今回の大震災に際し、
「明治維新」「戦後」に続く「第三の転換期」とおっしゃる方がいましたが、
この「転換期」に私は何をどうするのか・・。
ぐずぐず考えるうちに出会った言葉を、
また次回に「おすそわけ」させて頂こうと思います。
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