
しらほ
名も無きTVディレクター。「座標軸」を探す日々。
大阪W選挙で・・・
武道家で、思想家の内田樹さんが、
ツイッターに大阪の選挙のことについても触れながら、
こう書かれていました。
一部抜粋すると・・・
==
神経症的にものを壊し、効率を上げ、費用対効果を追い求めている状態が
「閉塞感がなくて、幸福だ」というふうに感じるのは
やはり一種の「時代の病」だと思うのです。
政策の適切性を吟味することよりも政策実現までの速度を優先させるのは、
政治についてのかかわりかたとして、あきらかに「病的」です。
「早く」という言葉は思考の深化にとって最大の障害です。
けれども、現代日本人は思考を深めることより、変化の速度を選好します。
判断を急ぐことによって適切さが増すということは
原理的にも経験的にもありません。
でも、「とにかく変化を」と強く要請する制度はたしかに存在します。市場です。市場は人々の嗜好の変化、欲望の変化、
毀誉褒貶のジェットコースター的変遷から利益を得るように
構造化されているからです。
今回の選挙結果を僕は
「市場が政治を呑み込みつつある」過程としてとらえています。
行政、司法、医療、教育は
「政治と市場が介入してはならない」制度資本領域だということを
これまで書いてきましたが、
それを政治という大蛇が呑み込み、
それを市場というさらに巨大な蛇が呑み込もうとしている。・・・
経済的な停滞というのは、
メディアがヒステリックに語るような退嬰的な現象であるのではなく、
「市場への抵抗」のあらわれではないかという気がします。
モノは要らない。消費にも欲望を感じない。神経症的な経済競争にも興味がない。自然と調和した穏やかな暮らしがしたい。
そういう人たちが
バブルのときのような狂騒的な消費活動がまた始まることにうんざりして、
ささやかな抵抗を試みている。
その結果としての「いわゆる」経済活動が停滞している。
その一方で、
GDPではとらえられないかたちでの贈与や互酬のシステムは
ゆっくり形成され始めている。僕にはそんな感じがします。
==
全文はこちらから。
ブログの「『百年目』のトリクルダウン」もおすすめです。
Re:大阪W選挙で・・・
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 2012/01/25
”テレビ局のディレクターがおすすめする”ものがどのようなものか?
少し考えてみました。当然、知り合いや友人、身内の宣伝。もしくはすすめることによってお金など謝礼をもらう。こういったこともあると思いますが
他に比べて優れている。と普通は考えます。
では何が優れているか?というと、例えばラーメン屋の場合、おいしい。店員に美人やイケメンがいる。ということがありますが
店長が面白い等ネタになるというものがあります。
そのなかでも、”ひどい目にあった”というようなネタになるということもありますので、注意が必要です。
で文章を見ますと、実に普通です。可も無く不可も無く、毒にも薬にもならない、差し障りのない内容です。
多少、メタ的なギャグを入れているようですが、それも在り来りです。簡単に言うと小説や漫画の登場人物が「この物語つまらないでしょう。作者が無能なんだよ」といったような事をやっているような文章に見えたんですよね。
作者の意思により行動をさせられているフィクションの登場人物ならばともかく、個として存在し、自分の意思で行動できる人間が現実に対しくだらないと言っても、それなら現実に行動して面白くしろ言われるだけで、それを許されるのは酒飲んでいる最中の愚痴だけです。
まあだからこそTwitterでつぶやいているんだろうでしょうが・・・
判断を急ぐことによって適切さが増すということはないというのは同意します。
しかし、判断に時間をかければ、適切さが増すかと言われれば、そんなことはないと思うんですよね。
それどころか、締切に間に合わない、判断しなかったおかげで、さらにひどい目にあう。ということが実際に起こります。
借金なんかはまさしくひどい目にあう例で、どういう返済方法をすればいいのかさっさと決めないと、ガンガン利息が増えていきます。
正しいことは正しいことを言っているけど、見方が一方的であり、言葉が足りていない。
それにW選挙について触れての文章ということですが、野田総理の消費税増税に触れての文章としても使える。
まあ汎用性の高い文章ではある。
そういう判断をこの記事を見てしたわけです。
しかし一応は、全文を見ないと話にならない。コメントするのであれば、与えられた情報を全て検証してコメントするというのが私のポリシーです。
で、Twtterを見たわけです。
すると、毎日放送の西氏のフォローが有ったわけです。
となると、知り合いのTwitterを宣伝しているだけかと判断し、読むのをやめたわけです。
そして、知り合い同士の馴れ合いに対して、”普通だよ。普通ですね。”みたいなコメントをするのも無粋だと思い、
コメントもせず、終わったわけです。
それなのに、なぜ年も変わった現在、コメントしてるかというと、別の要素が加わったわけですね。
それがなにかというと某巨大掲示板で内田樹氏が東洋経済に書かれた記事に対して盛り上がっていたわけです。
続きます
Re:大阪W選挙で・・・
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 2012/01/25
以下引用
+++++++++++++++++++++++++++++++
橋下さんに投票した有権者は、橋下さんが生活のレベルを上げたり、大阪の問題をすべて解決してくれるとは思っていない。
たぶん何もできないんじゃないかと思いながらもすがってしまう。そこまで追い詰められ、思考停止に陥っている。
+++++++++++++++++++++++++++++++
引用終わり
引用の可不可の判断は任せますので、私なりにまとめますが、
”大阪市の投票者は、思考停止に陥って、橋下さんは何もできないかもしれないけど投票した。”
とおっしゃているわけです。
全文を読みたい方は、”橋下、内田、東洋経済”という単語で検索するなり、東洋経済を買うなりしていただければと思います。
私は大阪府に住んでいますが、市内には住んでいません。しかし大阪市に住んでいる友人はいます。
橋下氏が何もできないというという懸念を持っているということを否定をしませんが、
思考停止に陥っているということは否定します。
基本的に大阪に住んでいる人間の気質を知らないのでは?という懸念を持ってしまいます。
大阪の人間は、基本的に”お上”に対してなんの期待もしていません。別に市長を上に見ている訳でもありませんが、役所だの市長だの総理だのの総称としての”お上”です。
そういった連中に対して自分たちのやろうとしていることの邪魔さえしなければ、特に文句がないというのがスタンスです。
利益の調整なんかは自分たちでやるし、弱者保護も、役所がやらないんだったら自分たちでやり始めます。
そう言った自分たちで何でもやるということの中で割と有名なのは、通天閣を地元の人間で作り上げたことでしょう。
どんなことでも、”なんやかんや”でやってしまうのが大阪人のモットーであり気質であり、本質だと思っています。
そしてもう一つ、好奇心旺盛だということです。
誰か何か変なことをやっていれば、
”兄ちゃん何やっとんねん?”と声をかけ
その人が、”これこれこういうことでこういうことやろうとしてるねん。おっちゃんも手伝どうてくれへん?”
と何をするか説明し、手助けを求めれば
”おっしゃ、分かった。手伝どうたる”
と答えるの大阪の人間の気質です。
このような街の面白行動の一場面を切り取って、政治を語って欲しくないという方もいるでしょうが、
それが大阪なんですよ。
それに、何をやるかをきちんと人に説明する。これは政治家にとって必要な資質だと思うんですよね
投票率が6割を超えている状態で思考停止に陥っているというのもおかしな話です。
選挙権があるのにそれを行使しない人間こそ思考停止していると考えるべきじゃなんでしょうか?、
6割を超えたのは40年ぶりだということです。
それがなにを意味するかというと、ようやく選挙をする際の選択肢となりえる存在が出てきたということだと考えます。
橋下氏がやっていることや支持されていることは何かをどのように見ているかなんですよ。
橋下氏が何をやっているのかと言えば、
・現状を解析し、その問題点を明確にし、その解決案を考える。
・その上で、解決案となる大きな目標を挙げる
・そして、その目標を実現するために何が必要で、実現するために何が障害になるかを設定する。
・それにより目標を実現するために手段や方法がわかるので、自分の手に余るようであれば、理由を説明した上で他に協力を要請する。
わたしはこういうことをやっているように見ています。
実に明快です。こういったことに問題があるとは思えません。
少なくても文章にすると、まさしく政治家である言えるんじゃないでしょうか?
そして少なくてもこの行動に関して批判する人はいないような気がします
批判をされる方はその目標設定や、手段、方法等を批判されています。
そしてそれらを大阪の人間は理解もせず投票したと判断しているようですが、
それが間違いだと思うんですよ。
大阪は商業の街、あきんどの街です。
橋下氏の手法に関しては、浪速の商人の大半が理解をし、共感をするものです。
ですから、それらが全国各地で通用するかどうかはわかりません。
橋下氏の目標設定や手段、方法等を止めさせれたければ、方法は簡単です。
きちんとした政治家としての活動をした上で、批判、いや、政策を語り、対決をすればいいだけの話です。
自分ができないのであれば、別の人間を政治家として育てればいいんですよ。
それが、教育であると思うんですがどうでしょう。
そこで、この記事でだされたTwitterの文章を思い出します。
政治という大蛇が呑み込み、市場という大蛇がという記述があります。
”ウロボロス”ってご存知ですか?
自らの尾を飲み込みつつ、自らの尾を生やす蛇という、終わりのない完全のものの象徴です。
市場を、いや直接、政治でもいい。それらの尾を教育が飲み込み始めるべきではないでしょうか?
教育の尾を市場が呑み込み、市場の尾を政治が呑み込み、そして市場の尾を教育が呑み込む。もちろん、市場でもなく、別のものを経由してもいい。
そういった環のなかに教育を入れるべきではないのでしょうか?
ウロボロスなどというマイナーなモノを出さずとも、川のたとえにあるように、水が流れて川となり、水が溜まればにごり始めます。
教育は成果が見えにくいといえますが、良い人材が出ているかどうかが一番わかりやすい成果です。
人材という形で流動的に変化をさせ、マクロな視点で見れば、その本質は安定しつつ、より成長していく。
そういった状況が理想だとおもうんですよ。
一般の人に分かりやすい説明をきちんとできるような政治家をどんどん育て、
橋下氏が目立たなくなったとき、初めて橋下旋風が始まり、そして終わる時だと思うんですよ。
そのためには、橋下氏の対抗馬を育ててもらわなければいけない。
それをするのは誰か?すべきなのは誰か?
それをすべきする人の中に思想家という職業の方がいるような気がします。
やっぱり、メタ的なネタですねぇ。
とまあこういったことを考えさせるための前振りだったらすごいなと、思ったわけですよ。
しかしまあ、回りくどすぎないかという気もしますので、ブログを読むのはやめにしておきます。
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