
しらほ
名も無きTVディレクター。「座標軸」を探す日々。
Re:大阪W選挙で・・・
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 2012/01/25
以下引用
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橋下さんに投票した有権者は、橋下さんが生活のレベルを上げたり、大阪の問題をすべて解決してくれるとは思っていない。
たぶん何もできないんじゃないかと思いながらもすがってしまう。そこまで追い詰められ、思考停止に陥っている。
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引用終わり
引用の可不可の判断は任せますので、私なりにまとめますが、
”大阪市の投票者は、思考停止に陥って、橋下さんは何もできないかもしれないけど投票した。”
とおっしゃているわけです。
全文を読みたい方は、”橋下、内田、東洋経済”という単語で検索するなり、東洋経済を買うなりしていただければと思います。
私は大阪府に住んでいますが、市内には住んでいません。しかし大阪市に住んでいる友人はいます。
橋下氏が何もできないというという懸念を持っているということを否定をしませんが、
思考停止に陥っているということは否定します。
基本的に大阪に住んでいる人間の気質を知らないのでは?という懸念を持ってしまいます。
大阪の人間は、基本的に”お上”に対してなんの期待もしていません。別に市長を上に見ている訳でもありませんが、役所だの市長だの総理だのの総称としての”お上”です。
そういった連中に対して自分たちのやろうとしていることの邪魔さえしなければ、特に文句がないというのがスタンスです。
利益の調整なんかは自分たちでやるし、弱者保護も、役所がやらないんだったら自分たちでやり始めます。
そう言った自分たちで何でもやるということの中で割と有名なのは、通天閣を地元の人間で作り上げたことでしょう。
どんなことでも、”なんやかんや”でやってしまうのが大阪人のモットーであり気質であり、本質だと思っています。
そしてもう一つ、好奇心旺盛だということです。
誰か何か変なことをやっていれば、
”兄ちゃん何やっとんねん?”と声をかけ
その人が、”これこれこういうことでこういうことやろうとしてるねん。おっちゃんも手伝どうてくれへん?”
と何をするか説明し、手助けを求めれば
”おっしゃ、分かった。手伝どうたる”
と答えるの大阪の人間の気質です。
このような街の面白行動の一場面を切り取って、政治を語って欲しくないという方もいるでしょうが、
それが大阪なんですよ。
それに、何をやるかをきちんと人に説明する。これは政治家にとって必要な資質だと思うんですよね
投票率が6割を超えている状態で思考停止に陥っているというのもおかしな話です。
選挙権があるのにそれを行使しない人間こそ思考停止していると考えるべきじゃなんでしょうか?、
6割を超えたのは40年ぶりだということです。
それがなにを意味するかというと、ようやく選挙をする際の選択肢となりえる存在が出てきたということだと考えます。
橋下氏がやっていることや支持されていることは何かをどのように見ているかなんですよ。
橋下氏が何をやっているのかと言えば、
・現状を解析し、その問題点を明確にし、その解決案を考える。
・その上で、解決案となる大きな目標を挙げる
・そして、その目標を実現するために何が必要で、実現するために何が障害になるかを設定する。
・それにより目標を実現するために手段や方法がわかるので、自分の手に余るようであれば、理由を説明した上で他に協力を要請する。
わたしはこういうことをやっているように見ています。
実に明快です。こういったことに問題があるとは思えません。
少なくても文章にすると、まさしく政治家である言えるんじゃないでしょうか?
そして少なくてもこの行動に関して批判する人はいないような気がします
批判をされる方はその目標設定や、手段、方法等を批判されています。
そしてそれらを大阪の人間は理解もせず投票したと判断しているようですが、
それが間違いだと思うんですよ。
大阪は商業の街、あきんどの街です。
橋下氏の手法に関しては、浪速の商人の大半が理解をし、共感をするものです。
ですから、それらが全国各地で通用するかどうかはわかりません。
橋下氏の目標設定や手段、方法等を止めさせれたければ、方法は簡単です。
きちんとした政治家としての活動をした上で、批判、いや、政策を語り、対決をすればいいだけの話です。
自分ができないのであれば、別の人間を政治家として育てればいいんですよ。
それが、教育であると思うんですがどうでしょう。
そこで、この記事でだされたTwitterの文章を思い出します。
政治という大蛇が呑み込み、市場という大蛇がという記述があります。
”ウロボロス”ってご存知ですか?
自らの尾を飲み込みつつ、自らの尾を生やす蛇という、終わりのない完全のものの象徴です。
市場を、いや直接、政治でもいい。それらの尾を教育が飲み込み始めるべきではないでしょうか?
教育の尾を市場が呑み込み、市場の尾を政治が呑み込み、そして市場の尾を教育が呑み込む。もちろん、市場でもなく、別のものを経由してもいい。
そういった環のなかに教育を入れるべきではないのでしょうか?
ウロボロスなどというマイナーなモノを出さずとも、川のたとえにあるように、水が流れて川となり、水が溜まればにごり始めます。
教育は成果が見えにくいといえますが、良い人材が出ているかどうかが一番わかりやすい成果です。
人材という形で流動的に変化をさせ、マクロな視点で見れば、その本質は安定しつつ、より成長していく。
そういった状況が理想だとおもうんですよ。
一般の人に分かりやすい説明をきちんとできるような政治家をどんどん育て、
橋下氏が目立たなくなったとき、初めて橋下旋風が始まり、そして終わる時だと思うんですよ。
そのためには、橋下氏の対抗馬を育ててもらわなければいけない。
それをするのは誰か?すべきなのは誰か?
それをすべきする人の中に思想家という職業の方がいるような気がします。
やっぱり、メタ的なネタですねぇ。
とまあこういったことを考えさせるための前振りだったらすごいなと、思ったわけですよ。
しかしまあ、回りくどすぎないかという気もしますので、ブログを読むのはやめにしておきます。