
しらほ
名も無きTVディレクター。「座標軸」を探す日々。
Re:”学力”って何だろう
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 2012/03/20
”天文学の基本は、夜空を見上げることだ”
出典がどこだか忘れました。多分北杜夫氏の小説だったと思うんですが、どうも思い出せません。
学究の徒になるきっかけは、どこにでも転がっているという意味で覚えています。
その上で話になるんですが、、
”学校が唯一の教育の場である”という考え方が根底にあるとおもうんですよ。
教職であるのであれば仕方がない部分があると思いますが
最初の一文 ”自ら学ぶ力はどうしたら育まれるか”
なんで、自ら学ぶ力を育てようとしているのかわかんないんですよねぇ・・・
TBS系のWEBとだからというわけではないですがウルトラマンという作品があります。
ある東大生なりがなぜ勉強が好きになったかと言う問いに対し、
ウルトラマンが好きだったときに、”ウルトラ怪獣大百科”を親が買ってくれた。
それを全部暗記したら、さらに別の本を買ってくれたから、
という答えをしていたというのがあります。
自ら学ぶ力はきっかけさえあれば、手に入ると思うんですよ。
それは学校でなくてもいいはず。しかしそれを、学校が担わなければならないという考えがあるように思えるんですよねぇ。
ある意味学校優先主義というものが見え隠れし、ある種それ以外のものに対し絶望し、軽視しているように思えるんですよ。
その最たるものがこの部分
”せいぜい今財界が、『日本をさらに経済国家として前進させるために必要な子どもをどう育てるか』という話。
そういうレベルの“流行”の議論なんです。”
残念ながらこの流行、未だ続いています。
それどころか変に加速し、日本企業のなかで、海外の社員を採用し始めるということになっています。
そして別の流行が作られる気配もない。もし、瀬見井久さんが求める流行ができるとしても、その流行がどのようなものか、早急に考えては、適切なものができるかわからないため、
時間をかけて流行を考えるべきと、言っていつになるか分かったものではありません。
もちろんこれは学校以外の他者、例えば親、例えば、政治家、例えば社会、そういったものに信頼が置けなくなったと考えれば、当たり前の話です。
日刊争論でも、子供2人を置き去りにした母親の判決が最近あったにもかかわらず、児童福祉施設の権限が増えたわけでも、人員が増えたわけでもない。
もし小学生の子に同じようなことが発生していても、対策が増えたわけでもないのにもかかわらず、君が代問題で、賑わっている。
こんな社会信頼できるかと言われて、信頼できるわけないですわな・・・
今現在の子供の環境はある意味過酷になっている。そして子供たちの未来も、過酷になること決定中ですよ。
それならばせめて学力ぐらいは、と考えるのが教育者であるのは正しい姿と思います。
でも政治家であれば違うはずなんですよね。
学校は教育を提供する場所です。
例えばお菓子を子供に与えるのであれば、コストがかかっても、きちんとした産地の、きちんとした製法で作った美味しいお菓子を提供するのは当たり前です。
でも、政治家は、お菓子を提供する場所をいくつか作った上で、お金を子供に渡すことができるんですよ。
子供たちは、安いお菓子で我慢するなり、お菓子自体を我慢してその分のお金を貯金して、天体望遠鏡を買うかもしれない。
学校という限定された場所を有効に使った教育をよしとするのか、実社会全てを使って、教育をするのをよしとするか、それは今後考えていかなければいけないと思います。
そういう意味では、橋下市長の教育改革の中に入ってくだされば、面白いかもしれません。
ただ、”安上がりの教育”との”競争”という形になるかもしれないだけに、どう感じられるのかわかりませんが・・・
こういった話を、”ちょっといい話”で終わるだけでなく自分自身に対する反省と感じる必要があるかもしれませんねぇ。
しかし、子供がいるわけでも、作れるわけでもないし。
就職口といっても、人事に顔が利くわけでもない。
だいたい深夜に帰ってくるようなライフスタイルになる職業に子供がなりたい訳もないだけに・・・
やれることないですねぇ・・・・