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No.1031に関するツリー
- ▼-「自由」とは。 [WEB多事争論編集委員] (2011/01/06 02:51)
- ├Re:「自由」とは。 [兵藤] (01/08 23:00)
- ├Re:「自由」とは。 [YK] (01/09 01:14)
- ├Re:「自由」とは。 [島田陽一(仮名)] (01/10 17:09)
- ├Re:「自由」とは。 [長文] (01/10 21:57)
- └Re:「自由」とは。 [YK] (01/16 12:08)
[1031] 「自由」とは。
- 投稿者
- WEB多事争論編集委員
- 投稿日
- 2011/01/06 02:51
島田陽一(仮名)さんより、このコーナーに寄せられたご意見。
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NEWS23で「異論反論OBJECTION」という
コーナーがありました。
街ゆく人たちにマイクを向け、その時々で話題になっている
テーマについて意見を聞くというものです。
マイクを向けられた人たちは、「自由に」意見を述べるわけ
ですが、しばしば「どこかで誰かが言っていた意見と全く同じ
だなあ」と感じるものが多数ありました。
筑紫さんは、「自由の気風」を大事にしていたわけですが、
「自由」ってなんだろうかと考えると奥が深い。
つまり、自分なりに自由に思考を巡らせて意見を述べるなら
良いのですが、私たちが発言することの多くは「他人の受け売り」
であることが多いと思います。
「自由に考えなさい」と言われると、途端に著名な誰かが
言っていた発言を記憶の中から探し始める自分がいる。
「自由に考える」ためには、凡人たる我々は座標軸を必要とする
わけです。筑紫さんはNEWS23の中で「自由に」考えるための
素材を提供してくれていたんだなあと改めて感じる今日この頃です。
もう20年前になりますが、私の通っていた大学に筑紫さんが
講演にみえたことがありました。話の内容は殆ど忘れたのですが、
覚えているのは質疑応答の時間に短時間で講演の内容をおさらい
しながら「こうやって時間を稼いでいる間に質問を考えなさい」
と言われたことです。今思うと「私の仕事は材料を提供すること。
考えるのはあなたたちの仕事」というスタンスは徹底しているように
感じます。
「考えろ」というテレビ番組が今どれだけあるか。
最近ますます喪失感が強くなっています。
(そして、2011年!より)
+ + + + + + + + + + + + +
ということで、「自由」とは何か。
皆さんで考えてみませんか?
[1034] Re:「自由」とは。
- 投稿者
- 兵藤
- 投稿日
- 01/08 23:00
30年ほど前の本ですが『信じる「愛」を持っていますか』という
題の本の中に自由を論じていた部分がありましたが、
私の感覚としましてはその内容に賛同しています。
掻い摘んでその内容を書きますと
自由の本質は「選ぶ自由」であって、
「考えて、より善い方を選ぶ」には常日頃からの訓練が必要。
選んだことで後悔することはあっても不平を言ったり
他人を責めたりしてはいけないという選ぶ自由があるからこその
厳しさを身をもって知ってこそ選びは自由や人格の形成や
幸せへと繋がっていくものである。
詰め込み教育になりがちな昨今、知識とは「正しい選び」の
ために必要な判断の材料という認識が必要。
そして知識は知恵へとならなければならない、と。
自由は教育の目的であり到達点であるのに出発点に
自由が置かれているのは教育の誤りでは
ないかという内容でした。
[1036] Re:「自由」とは。
- 投稿者
- YK
- 投稿日
- 01/09 01:14
リベラル。
20年前に戻る勇気もないのか。
テレビだけでなく、情報を得る選択肢はいくらでもある。
選択肢が増えた。それが自由だ。
[1037] Re:「自由」とは。
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 01/10 17:09
テーマに取り上げていただいて恐縮です。
新年早々、筑紫さんの「若き友人たちへ」をパラパラとですが読み返してみました。
筑紫さんが憂えていることがかなり明確に書かれていて、それはそのままこのサイトの発足に寄せられた筑紫さんの「近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか?」ではじまる文章にもつながります。
情報化社会の進展で、テレビ(ジャーナリズム)自体も「テーマ掘り下げ型」から「広く浅くなんでも型」になり、ネットには玉石混淆様々な情報が大量に入り乱れているなかで、「情報過多」になりつつある。このような情報洪水に流されないためには、知識や知恵を会得する必要があるが、実は現代の日本人は単語も知らなくなり基礎的な歴史や文化的背景も知らなくなっている。思考の基盤となる知識も抽象化に必要な言語力もない。つまりむしろ流されやすくなっている。そうすると思考が他律的になる(思考が情報に支配される)。
簡単にいうと
・思考が他律的な状態(論が浅い状態)。それを本当の意味での「自由」と呼べるか
と若干カントが入っているかも知れませんが、そういうことだろうと思われます。
兵藤さんの言われていることと、かなり符合していると思います。
[1039] Re:「自由」とは。
- 投稿者
- 長文
- 投稿日
- 01/10 21:57
「自由とは選択する自由である」という皆さんの意見に賛同します。
選択する自由こそ民主主義の原点でもありますし。
また、情報が溢れる中で「選択する自由」の内実も問われているという意見にも賛成です。
特に兵藤さんが仰られている「正しい選び」という考えは大切ですね。
ここでいう正しさとは社会一般における正義ではなくて、
自分の中での正しさである点が重要だと思います。
選択とは常に自分との戦いであり、決断であって、
一連の過程と決断した後の姿勢に正しさがあれば、その選択は正しいものだといえます。
あと、私は「選択する自由」とともに「疑う義務」も大切だと思っています。
疑うのが義務というと変な感じもしますが、
選択することが自由であるならば、一方で義務も生じており、
私はそれが「疑う」ことだと思っています。
もっと言えば、「自由とは疑う義務である」とも考えています。
疑うことのない世界は、どんなにリベラルな世の中であっても、
それは間違いなく「不自由」な世の中じゃないでしょうか。
例え保守的な社会でも疑うことが前提である社会ならばそれは「自由」であると思います。
皆さんは流されないために、知識や知恵が必要だと書かれてらっしゃいますが、
私は流されないために、まずは疑ってかかることが大切なのではないかと思います。
常に上から斜めから様々な角度で疑ってみて、初めて真正面のものを信じる。
著名人の言葉であっても、疑い調べた後であれば、自分のものとして使ってもいいのではないでしょうか。
自由とは、「自分というものを保つことである」とも思います。
そのためにはまず自分というものを疑ってかかる必要があるのかもしれませんね。
[1045] Re:「自由」とは。
- 投稿者
- YK
- 投稿日
- 01/16 12:08
もしかしたら、今は自由じゃないのかも。
PCにセキュリティソフトは必須だし。
筑紫さん、大変だっただろうな、って今になっておもいます。
ゆっくり休んでください。