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No.1040に関するツリー
- ▼-「伊達直人」は希望か絶望か? [WEB多事争論編集委員] (2011/01/11 03:04)
- ├Re:「伊達直人」は希望か絶望か? [木村] (01/11 22:43)
- ├Re:「伊達直人」は希望か絶望か? [島田陽一(仮名)] (01/11 22:46)
- ├Re:「伊達直人」は希望か絶望か? [リッキー] (01/13 05:26)
- └Re:「伊達直人」は希望か絶望か? [くらりん のぶこ] (01/17 18:24)
[1040] 「伊達直人」は希望か絶望か?
- 投稿者
- WEB多事争論編集委員
- 投稿日
- 2011/01/11 03:04
各地でタイガーマスクさんが、ランドセルを子供たちに送り続けています。マスコミは「年始のちょっといい話」という紋切り型で伝えますが、果たして今のこの世の中、「よかったね~」で終わる話なのでしょうか?勿論、私も最初は「いい話だな~」などと無邪気に思いましたが、ここまで頻発すると、かえって「いいことをしたい=何らかの形で自己承認を求めたい人たち」が多いのかな・・・という気も。「自己承認を求めたい人」が多い、などというのは憶測の世界ですが、(もうそろそろ「ニュースとしては”消費される”であろう)この話、あなたは今の世の中と照らし合わせて、どう思いますか?
[1041] Re:「伊達直人」は希望か絶望か?
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 01/11 22:43
自己承認を求めるのが悪いような書き方ですが、報酬をもらえるか、他人から認められるかしないと行動しない世の中というのも問題があるような気がします。
それとも、他の分類でもあるんでしょうか?
だいたい良いも悪いも愉快犯でしょうが・・・
わけのわからないところに落書きするぐらいなら、スプレー買う金をまとめてランドセルを買って送ったほうが目立つ。
それなら、それをやればいいだけのことです。
それにつられてマスコミは、騒げばいいだけの話です。
他人に迷惑をかけて目立つよりなんとなくいいことっぽい事をして目立つならそれのほうがいいでしょう。
ただ報道するのであれば、現在の国の状態から児童施設に出すお金が減らされていないかとか、子供手当てがきちんと施設に払われているかなどの 本来のシステムに不備はないかの報道をやってほしかったですね。
あと、もっと必要なものがないかとか、きちんとした取材をして報道してほしいですね。
ボランティアや寄付は、税金対策と名声を得るものという認識は当然です。
別に行動原理が高潔である必要はないと思います。
すでに某掲示板では、タイガーマスクでは面白くないから悪役の名前で出そうという書き込みがあり、偽善だとわかった上でやっていました。
悪ふざけや悪ノリでいいことが出来る世の中のほうが楽しいと思いますがねぇ。
だからこそ、そういった行動が、出来る限り良い結果になるようにサポートする必要があると思います。
[1042] Re:「伊達直人」は希望か絶望か?
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 01/11 22:46
「サンタクロース」や「あしながおじさん」というのは、人間の善意を結晶化させる素敵な触媒だと思います。
逆にいうと人は善意や好意を具体的な行動にうつすためにはキッカケなり大義名分となる象徴を必要とするようです。タイガーマスクもその一つの表れだと思われます。
そういった善意に基づく行為を「承認欲求の充足」と呼ぶのは、暗に「自己満足を目的とした偽善」ということを示唆しているのかも知れませんが、承認欲求自体は悪いことではありません。
たまに発生する無差別殺人(秋葉原等)も歪んだ承認欲求の表れともとらえられる訳で、そういったものと比較するべくもなくマシであります。
ただ、こういった善意をもっと効果的に集めることは出来ないだろうかということも思います。
よく、自然災害などの後に「善意」で送られる毛布や洋服が使われること無く段ボールに入ったままという話を聞きます。ニーズに一致しないとこういうことが起きます。
善意を効果的なものにする責任は、善意を送る側にあるのか?それとも受け取る側にあるのか?そう考えますと、そもそもそういったものの接点となる「場」がないことに気づかされます。売り手と買い手には「市場」という場がありますが、「善意」に関してはそれは見当たりません。昔は「地域」というものがあったのかも知れませんが。今の世の中でもっと良い方法があるような気がしますが、すぐには名案が浮かびません。「継続検討」したいと思います。
[1044] Re:「伊達直人」は希望か絶望か?
- 投稿者
- リッキー
- 投稿日
- 01/13 05:26
二年前、四国お遍路をした事があります
季節は秋でした
農家の横を通りすぎる度
「お兄ちゃん若いのに偉いね~これお接待ね~」と
善意のお恵み「お接待」で柿を頂きました
農家のオジチャン・オバチャン・普通の通行人の方々とすれ違う度に
「お兄ちゃん若いのに偉いね~これお接待ね~」と言われ「柿」を貰いました…
同じく前を歩いていたお遍路さんもお接待として「柿」を貰っていました
勿論私のリュックも腹も柿でパンパンです
それでも一週間以上「柿」を頂き続けました
まさにニーズを無視した柿地獄…
(;つд`)
いやいや(--;)ノシ
ありがたくて元気出たっす!
Σd(^_^;)
四国お遍路のお接待は「自己承認を求める」というよりも文化として定着しています(地域よって違いがあり、ホームレスの問題もありますが;)
外国ではボランティアは日本より文化として定着化しています
それで介護福祉などお金やマンパワーなどをカバーしている面もあります
日本はこれから介護福祉の予算やマンパワーが足りないのですから
日本のマスコミも詐欺紛いや危険物を置いて行くのではないのですから
素直に誉めてこういう運動は増やしていきましょうよ(^^;
まぁ、それにランドセルは
腐りませんし(^^;
[1051] Re:「伊達直人」は希望か絶望か?
- 投稿者
- くらりん のぶこ
- 投稿日
- 01/17 18:24
ニュースとして消費される・・・・・
前の話になりますが、「ど根性野菜」を思い出しました。
アスファルトの端っこに生えている野菜を、人間達が探し回っていました。
今は、寄付探ししているのでしょう。
放送を観た人たちは「ど根性野菜」に
「がんばってる~」「へぇ~まだあるんだ~」
放送が終われば、忘れてしまう。まだアスファルトの端っこに生えているかも知れないのに・・・・
今回の 「寄付・伊達直人」 もメディアが放送しなくなったら、忘れられる。 ( 絶 望 )
でも、記憶には残る・・・ 視聴された中で「何人でも良いから」 「別のやり方でも良いから」やり続けてもらえれば良い。 ( 希 望 )