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[1121] 贅沢いうな!
- 投稿者
- 多事争論へんしう委員
- 投稿日
- 2011/02/16 03:29
わたし最近、大笑いしたCMがあるのです。それは某コーヒーのCM。公開シンポジウムみたいな席で、テリー伊藤が政治家相手にまくしたてる。「あんたさっきから言い訳ばかりじゃないか!改革するって言ったんだから今すぐ改革してくださいよ!」。それに対し、聴衆の大森南朋がこう言い放つ。「贅沢いうな!」「いろんなことがこんがらがってこんなことになってんだから、今すぐは無理だ!」。実は壁に向かって放言してる演出に笑ったり、自らを戯画化するテリー氏のしたたかさに改めて辟易してみたり(失礼!)。
http://bit.ly/ikgtAs
誤解がないように申しあげると、わたし、菅民主党のダメさ加減にも辟易としています。そこを弁護するつもりはまったくない。ただ、国会論戦の貧しさにはもっと辟易としています。「消費税増税」を処方箋に掲げる菅民主党と、実は持論ではさして変わらないのに「解散総選挙」をただ求める谷垣自民党。ねじれ国会で思い切ったことのできない民主党に、足払いをかけて解散総選挙に持ち込みたい。そんな意図が透けてみえる。…重ねて誤解のないように。わたしは自民党にはいい政党になってもらいたい。この国にはまともな野党が必要だ。そしてまともな野党が新たな処方箋を掲げて政権交代する。それが健全な民主主義に必要なことだと思う。だからこそ野党たる自民党に、どうすればこの国が閉塞感から脱け出せるのか。新たな処方箋を考えてもらいたい。それが与党と共通するものであるならば、党利党略を捨てて、組むべきは組んで、改革に邁進してもらいたい。
「いろんなことがこんがらがった」この国の構造は、一朝一夕に変えることは難しい。どこの党が政権を取ったとしても「今すぐは無理」というのが本当のところじゃないでしょうか。
…わたし、実は恐れているスパイラルがあります。
政権交代→しかし「今すぐは無理」で期待感はしぼむ→参議院で揺れ戻し→やっぱりねじれ国会。…そして思い切った改革はできない。
考え過ぎですかね?考え過ぎだったらいいのですが。
もちろんそこに軽薄で移り気なマスメディアの責任があることは言うまでもありません。
そろそろ覚悟を決めて、この国のゆくえをみんなで考えるべきときが来ているような気がします。
[1122] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 02/16 23:02
今まで前提がおかしいというツッコミをしてきましたが、さすがに今回のはちょっと・・・・
多事争論の今までの投稿を読んで見ますと多くの方は、今すぐ変えるのは無理という事を前提として、せめてスケジュールなり、工程表なり、大枠の未来像を国民に出して欲しいと言っていたと思います。
そして
>>やっぱりねじれ国会。…そして思い切った改革はできない。
この部分がわからない。
思い切った改革をすると、かなりの人たちにデメリットが出ます。
だからこそ、色々な人たちの声をすり合わせなくてはいけない。
そういう意味で議論を戦わせ、きちんとした結論を出してから、大きな改革をする必要があり、それにはねじれ国会は一番よい状態だと思います。
両院の多数を取っている与党が大きな改革をやって問題が発生したら、当事者を悪役にして、議員辞職させたり、政権交代して終わり。これが、健全な民主主義でしょうか?
第一、巨大与党が大きな改革をやろうとすれば、独裁的だと批判するのがマスコミでしょう。
現在残念ながら、ねじれ国会だから大きな改革は出来ないという言い訳が使えるようになっています。
ねじれ国会だからこそ、与党野党問わず議員は支持者に本当に必要なニーズと我慢が出来ることを聞けるのではないでしょうか?そしてそれを議論しあわなければいけないのではないでしょうか?
今の国会の問題点は、ねじれ国会の問題というより、政策の議論より政局含みの議論の方が盛り上がっているように見える事だと思っています。
そのことの責任を野党に求めるのは酷ではないですか?
前にも書いたと思いますが、政策の話を自民党がすると、”かつて自民は”と民主党の議員は言い始めます。
そしてそれに乗っかり、テレビで同じようなことを言うコメンテーターとやらが出てきます。
その状況で政策の話が出来るかということですよ。
最近ようやく小沢氏の問題をちらちら見せることにより、議論が出来るようになりました。
政局を盾にしないと政策を議論できない状況に与党がしてしまっているとしか思えません。
また党利党略を捨ててという話なら、与謝野さんなんかは党まで捨てて、物事やろうとしているのに、マスコミの対応はどうなのかという話です。もちろんいろんなものが見え隠れするのは事実ですが。
少なくても、今の政治状況は政策を議論するにはかなりよい状況だと思っています。
ですから、その政策をプロの目で判断しまとめてもらいたい。
それをマスコミに求めるのは贅沢ですか?
この多事争論も政治ネタは、ほとんど政局ネタばかり、政策ネタはTPPぐらいではないですか?
比較するのも変ですが、2ちゃんねるでは、”韓国中国の祝日に日本の祝日を合わせるべきだという国会議員”の話題が盛り上がっています。盛り上がり方に問題はありますが・・・
しかしこの話題は、日本を観光立国にすべきかというある意味大きな方向性を秘めている話です。
櫂から始めよという言葉があります。
この多事争論も政局ネタやるより政策ネタを多くしたほうがいいんじゃないんですかね?
なんとなく
"贅沢いうな!政策の話しても反応薄いんだからしょうがないだろ!それにきちんと伝えるの難しいんだよ!”
という声が聞こえてきそうですが・・・
[1123] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 小林俊
- 投稿日
- 02/18 23:40
現在の経済、財政状況そして高齢化に伴う社会保障費の伸びといった状況を考えてみると、どの政党が政権を担ってもできることは少ないのではないでしょうか。予算がないのですから当然ですが、この状況は断続的な税収の増加がないと変わらないどころか悪化します。要するに、政権交代が起こったからといってそもそも国にお金がないですから劇的に変わることがないのです。そういった政治状況を考えないでマスコミや世論が無駄な期待をしているんだと思います。政治の成果が現れるには時間がかかりますし、そのころには忘れられているというのがこれまでのオチです。
個人的な意見ですが、政治に期待するのはもうやめたほうがいいのではないでしょうか。国や会社に頼らないで生きていけるように「自分のために」努力して経済的に自立していくことを考えるべきでしょう。政治に期待しているのは年金や国民保険に依存せざるを得ない証拠でしょう。自分の事は自分でする。こういった概念があまり日本にはないようですが、もう国の政治にできることが少ないという社会的なコンセンサスがあれば、自分でなんとか生き残ろうという認識が生まれるはずです。
現に多くの企業は自分達だけは生き残ろうと変化を繰り返している状況です。ただ、大手既成メディアは違うようです。これまで、大手既成メディアは変化する必要がなく、これからも、危機感なく同じような情報伝達を延々とやり続けるでしょう。私が問題だと思うのはメディアのそういった変化がない守られた既得権化した状態です。年収1500万円もらっているような人間達がワーキングプアや就職に苦しむ大学生の特集をしアナウンサーが悲痛な表情をするのはまさに滑稽です。
これからは、政治家やメディアに騙されないように法律や保険の勉強をして自分のことは自分で考える。これしかないと思います。メディアは大事なことは何も教えてくれません。
[1124] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- リッキー
- 投稿日
- 02/19 02:31
今の日本の議会制民主主義の仕組み上
大きな改革や国家戦略ができますでしょうか?;
昔の自民党時代みたいに過半数以上多数派を作らないと出来ないのではないでしょうか?(^^;
政局で政策の議論が潰れるのは昔からではないですか?(^^;
自民党と民主党が入れ替わっても
マスコミを含めて昔から同じ事やっているように見えますけど…;
後、"小沢さんの政治と金"の問題のせいで国会が停滞し
また民主党内で小沢さん含みのゴタゴタで国民はヘキエキしてるんじゃないでんですか?
議論が少しずつ進んだのでは無く
またマスコミに小沢さんが出てきたという事ではないでしょうか?
(・・;)
[1125] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 高橋和也
- 投稿日
- 02/19 03:46
今週はインフルエンザでダウンしてました。
ニュースでは流行のピークは過ぎたそうですが、みなさんもお気をつけください。
>ただ、国会論戦の貧しさにはもっと辟易としています。「消費税増税」を処方箋に掲げる菅民主党と、実は持論ではさして変わらないのに「解散総選挙」をただ求める谷垣自民党。
そんなわけで病床から水曜日の国会中継を見てましたがそんなにひどかったかなぁ、と思います。
確か「なんでもあり」の予算委員会だったと思いますがちゃんと個別の政策について政府の考えをただす議論をしていたように思います。
>政権交代→しかし「今すぐは無理」で期待感はしぼむ→参議院で揺れ戻し→やっぱりねじれ国会。…そして思い切った改革はできない。
そもそも今回の政権交代前の民主党への期待感が異常だったんじゃないかなぁ、と思うのです。
なぜそんな過剰な期待が膨らんでしまったかといえば、民主党という政党とそこにいる人たちを国民がよく知らなかったからかなと思います。
>もちろんそこに軽薄で移り気なマスメディアの責任があることは言うまでもありません。
>そろそろ覚悟を決めて、この国のゆくえをみんなで考えるべきときが来ているような気がします。
国民がこの国のゆくえを考えるためには、判断材料が必要です。
しかし「軽薄で移り気なマスメディア」が正しい情報を与えないのであれば、その判断さえも危ぶまれるように思います。
少し前に河野太郎さんらが党首討論をゴールデンタイムに放送することを提案されていましたが、そういった国民がより直接的に政治の場を見て考えられる機会があればいいのかなと思います。
[1126] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 02/19 14:31
このテーマについて、「国民」つまり我々に何が求められているかという観点から、少し考えていきたいと思います。
以前の日刊争論でも書かせて頂きましたが、「有権者の投票行動が定まらないと、国家像も定まらない」ということは言えます。
どんな政権であれ、それなりの権限と時間を与えないと、まとまった成果は出てこないと思います。そういった意味で有権者の辛抱が足りないということは言えるでしょう。
もう一つは「人を見る目」の重要性です。こちらの方がむしろ重要かも知れません。選挙というのは、サラリーマンに例えると「人事考課」に値すると思われます。これまでの実績を評価し今後への期待を込めて、有権者は票を投じることになります。筑紫さんは選挙のたびに「Vote」と言って棄権を戒めていました。ですがもう一歩踏み込んで考えると我々は票を投じるときに何を評価しているのでしょうか?「名前を聞いたことがある」というレベルで票を投じてはいないでしょうか。あるいは党名だけとか。
「皆さんの地区から選出された国会議員の名前と活動内容を言えますか?」
恐らく相当数の方々が答えられないと思われます。これが「国民の代表」の実態であります。
私の実家は地方の片田舎にありますが、父母の年齢層の人たちは地元選出の議員さんの色々な話(とても書けません)で結構盛り上がることがあります。昔は良い意味でも悪い意味でも、どの政治家を応援するかというのは下手をすると生活にも影響しかねない、重大な決断でした。それはそれで大きな問題であって、最近はニュートラルになって来ていて良いことだとは思いますが、関心そのものが薄れて来ていることが新たな問題であります。政治家というのは、「有権者に育てられる」という側面があるからです。
昔のように、地縁・血縁のドロドロした中で育つ必要もないとは思いますが、今の公職選挙法は政治家と有権者との接点を絞りすぎているように思われます。
大統領選挙期間中のオバマ大統領は、最初はパリパリのスーツが初々しい一議員でしたが、長期にわたる激しい選挙戦をくぐり抜けるうちにみるみるたくましくなってきました。
「信頼できる政治家」が育たない限り、この国はどの方向にも進めなくなるのではないでしょうか?とりあえず地元の選挙区に注目してみましょう。
[1130] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 藤岡
- 投稿日
- 02/24 13:44
1年、2年で大きな変化を求めることは無理難題。
石のうえにも3年というじゃありませんか。
少なくとも4年間の任期中は、任せるべきです。
このまま、解散総選挙でどんな展望を描くことができるのでしょうか。
政局で明け暮れていることが、マスコミにとって都合が良いのでしょう。
会派離脱や松木子分の辞職なんて、政権運営に何の影響がありますか。
彼らが政策実現に汗をかいたとは思えず、辞めてもらって結構。
取り上げ過ぎです。
恐れているスパイラル、考え過ぎではありません。
このままでは、明らかにスパイラルに向かうでしょう。
後で反省しても遅い。
その時もマスコミは、当時の政治家を批難するのでしょう。
[1139] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 兵藤
- 投稿日
- 03/01 23:35
>考え過ぎですかね?考え過ぎだったらいいのですが。
その考えはあながち間違いではないように思えます。
今の状況はソロモンの名裁きで知られている子供の親権を巡る争いで
ソロモンは子供の両腕を親権を主張する母親同士で引っ張り合わせて
相手に勝ったほうに親権を認めるという勝負をさせて
その実、子を想い先に手を放したほうに親権を認めたという話を
連想させますが、ただ違う点があるとすれば子供が血を流しているのに
ソロモンは勝負させて、決着がつかずに困っている状態のように
思えます。両方に親権は認められないのが明らかですが
こういう場合ソロモンがいたらどうするのだろうか?と考えてしまいます。
直ちに審判を止めさせ親権を剥奪し、子供を治療するのでしょうか。
西国立志編に「国政は人民の光の返照なり」という題の一文があります。
これの文の意味するところは、人々の政治レベルと同じ水準に国政がなる、
という事です。
これは、いかなる時代のいかなる国においても成り立つと考えます。
政治家を責めたい気持ちにもなりますが、責はこちら(有権者側)にも
あると思います。むしろ批判ばかりして闘う事をしてこなかったから
ではなかろうかと思います。
こう思うのはリビアの状勢で毎日新聞のある記事の
チュニジア人出稼ぎ労働者の洞察で「リビア人には活力がない。
きつい仕事を外国人にやらせてきたからだ」という言葉に
ものすごく納得させられたからです。
同じことが日本の政治にも言えるのではないでしょうか。
国会議事堂や各政党本部などをデモでぐるぐる巻きにして
政治家を脅して肝を冷やさなければいけないのかもしれません。
そしてその結果、経済が一時的に冷え込むリスクを冒すことを
こちらは引き受けなければ、政治家も有権者側も時代が要求する
スピードで成長できないのかもしれないと、この政局優先の
政治を見ているとそう思わせられます。