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No.1270に関するツリー
- ▼-ビンラディン殺害 [web多事争論編集委員] (2011/05/03 11:06)
- ├Re:ビンラディン殺害 [金平茂紀] (05/04 08:02)
- ├Re:ビンラディン殺害 [長文] (05/04 22:00)
- ├Re:ビンラディン殺害 [島田陽一(仮名)] (05/04 23:15)
- ├Re:ビンラディン殺害 [tonbi] (05/09 21:52)
- ├Re:ビンラディン殺害 [等々力為五郎] (05/10 00:10)
- ├Re:ビンラディン殺害 [αβ] (05/11 09:59)
- ├Re:ビンラディン殺害 [木村] (05/13 05:35)
- └Re:ビンラディン殺害 [まつやまのぶてる] (05/13 10:09)
[1270] ビンラディン殺害
- 投稿者
- web多事争論編集委員
- 投稿日
- 2011/05/03 11:06
アメリカのオバマ大統領が
アルカイダの指導者、
ウサマ・ビンラディン容疑者を
殺害したと発表しました。
アメリカが進めてきた
テロ戦争の「最大の標的」。
NYで喜びの表情が
世界に配信されました。
ビンラディンの死。
それは、世界に、一体
何をもたらすことになるのか。
[1272] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- 金平茂紀
- 投稿日
- 05/04 08:02
ビンラディン殺害作戦のコードネームが「ジェロニモ」だったとか。
アメリカ・インディアンのアパッチ族のシャーマンの名前だ。
この作戦の本質をよく語っている、と思う。
人間の死を歓喜する国民にはなりたくない、と心から思う。陸前高田にて。
[1275] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- 長文
- 投稿日
- 05/04 22:00
どういった状況で殺害したのか、よく分からないのでなんとも言えませんが
やはり生きて捕らえるべきだったと思います。
どの道刑死が避けられないものだとしても印象が全く違いますし。
折角中東に民主化の波が来て、様々な価値観が入り混じるようになってきたのに
これではまた親米反米の単純な構図に逆戻りしないか心配です。
拘束して裁判にかけ、その後死刑に処する方が
中東の民主化に寄与したと思います。
中東各国もテロとの決別も意識することが出来たでしょうし。
非常に残念です。
[1278] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 05/04 23:15
東日本大震災の発生で、日本全体が沈鬱な気持ちでいるときに、「真珠湾の報いだ」といわゆるKYなジョークを言ったのは、当然のことながらアメリカ人ですが、一人だけではなく複数いたという報道がありました。
"Remember Pearlharbor"という言葉のとおり、卑怯な行為やだまし討ちといったことを彼らはいつまでも忘れようとはしません。それはそれで構わないのですが、それを理由に自分たちの不正な行為すら正当化するというところが、彼らが「ダブルスタンダード」と呼ばれるところであります。
非戦闘員を20万人も殺害した原爆投下もそうですが、彼らは被害者意識を錦の御旗にして報復行為を正当化しようとします。逆に自分達が過去に働いた加害者としての行為はあまり問題にしようとしません。
ビンラディンを産み出したものは誰なのか?彼らが支持を得たのは誰のせいなのか?
「犯罪人を永遠に許さない」というのは一つの見識であろうと思いますが、その手段は問わないということであれば、テロリストたちとレベルが変わらないと思うのは、日本的な考え方なのでしょうか?
[1284] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- tonbi
- 投稿日
- 05/09 21:52
とにかく解らないというのが本音。
そもそも昔からキリスト教とイスラムの戦争はどう考えても
理解出来ない。これは多神教の日本国民だからであろうと思う。
宗教というのは神に感謝するところから始まっていると理解しているのですが。
あちらの神は人の為にある神ではないということ。
砂漠の真ん中で育った宗教だから仕方が無いのか。
アジアの方が穏やかである。
神のために人を殺害する理屈が解りません。
これが個人の件なら解らなくもない。昔は敵討ちが許されていた
時代もあったのですから。
今回の米国の件は理解不能。裁判もなし?
考えましたが御免なさい。
[1288] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- 等々力為五郎
- 投稿日
- 05/10 00:10
今回の件をよろこんでいる人の多くは、人の死ではなく、9.11の卑劣なテロに対してアメリカの「正義」が勝ったことをよろこんでいるのだと思います。
逆に、だからこそ「正義」に酔うことは怖いのだといえます。
利害のぶつかり合いと違って、「正義」の衝突には妥協点が見出しにくいことも「正義」のもつ怖さのひとつです。
[1290] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- αβ
- 投稿日
- 05/11 09:59
イスラム圏、特にパキスタンやアフガニスタンの人々の心の中には、アメリカの外交政策とは決して相容れない部分があるのではないでしょうか。あれだけの惨事を引き起こしたとされるビンラディンが10年もの間逃亡を続けられた理由は他には思いつきません。ブッシュ元大統領は今回のニュースについて表立ったコメントを出していないようですが、イラク戦争に関してアメリカが掲げていた大義名分は完全に崩れ去りました。今後はエジプトやシリア、リビア等の争乱と、9・11の間にある因果関係を再整理してみた方が良いかも知れませんね。
[1294] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 05/13 05:35
”世界の敵”である”悪役”がいなくなったわけでして・・・
だからといって正義の味方がいるわけでもないですが。
当然、フィクションのような”悪役”というわけでもなく、経済だの流通だののリスクの集大成というべきものであり、一部の政治や報道などにとっては免罪符の発行理由でもあるわけです。
”悪役”はある意味必要不可欠な存在であるわけです。
もちろん、現状の社会システムで必要な話なだけで、例えば、批判だけしとけば報道になるといった一部の人たちの考えがもうちょいなんとかなれば変わるような気もします。
といっても、それを革新的に何とかできる立場の人たちはなんとかするつもりはなさそうですし、すぐに何とかできるようなものではないので、こういったところで愚痴めいたことを書くしかありません。
とりあえず、今の段階で、”悪役”が必要な状態で、”悪役”がいなくなってしまったわけです。
必要なものが無くなれば、新しい何かが出来るなり、何かが代わりになります。
というわけで、”ビン”の次は”カン”という事になるかもしれません。
”ビン”は洗えばそのまま再利用できますが、割れてしまえばどうしようもありません。
それに比べて”カン”を再利用するために、一旦溶かさなければいけません。
残念ながらそういうエネルギーはありませんし、そんなエネルギーがあるのならば別のことに使うべきだと思います。
再利用するかはともかく、溶かすことには特に文句は無いですし、それをやるのが、別の国でも問題ないような気がします。
とりあえず、私たちはカンが必要ない、というか邪魔で存在が迷惑だという意思を示すべきではないかなとか思うわけです。
そんなことを考えていている中、金平さんの投稿を読みました。
>>人間の死を歓喜する国民にはなりたくない、と心から思う。
こう書かれています。そのことについて考えさせられます。
ビンラディン氏が殺害された。そしてそれに対して一部のアメリカ国民は喜んだ。
そのことは、自分たちが求めていることがどのような結果で、その結果が血なまぐさいものであることを理解したうえ、それを支持し、そして今回の結果が理想に近いものであったため、国民は歓喜していると言う事ではないでしょうか。
それはまぎれも無く、自分たちが進むべき道を自分たちで求め、その結果に対し責任を持っているといえます。当然そこに、相手からの批判をあることを見据えている人もいるでしょう。
自分の理想を求め、それをどのような結果であっても甘受し、それに近い結果であれば歓喜する。
それを果たして、自分の理想も持たず、結果を他者に求める人間に批判が出来るのでしょうか?
失礼を承知で金平さんに聞きたい。
なりたくない国民があるというのならば、どのような国民になりたいのか?
例えば、自分たちや仲間が被害を受けた事件にどのような結果を求めるのか?
”#10 「殺すな!」からの出発 ”で、絡めてかかれている以上、考えられているはずです。
理想とする朝日襲撃事件の結果はどのようなものですか?
歓喜する、いや少なくても祝杯を挙げるような結果はどのようなものですか?
”真相が究明される。”というのは結果を出すための過程にしかすぎないと思います。
少なくても”時効”という結果は、求めていないのは理解できます。
では、真相さえ分かれば、祝杯を挙げれるのでしょうか?
実行者はともかく、指示した人間は権力者であり、裁判でも裁けない状態で、再度同じような事を指示できる可能性があるという真相が分かっても喜べるのでしょうか?
そして、ある立場であれば理解できる事件であり、本来襲撃された人間に批判が集まるような真相が発表されても、喜べるのでしょうか?
それとも、喜ぶ必要はなく、事件の関係者は、何らかの形で苦悩し続けるべきとお考えでしょうか?
私は、どのような事件でも何らかの形で、ある程度喜ぶことができる幕引きが無くてはいけないと思っています。
少なくても文字を追って推察した結果は”自分の求める真相が発表される”ことです。
そしてそれは”自分たちの求めている真相を究明し、報道の力で報復をする。ただし、殺しはしないが生活が成り立たないようにする”と言っているようにも見えます。
当然、妄想めいたことを言っているとは思います。だからこそ否定してもらいたいのです。
そして、どういう結果を理想としているかを語ってもらいたいのです。
いままで、日本人は、そういうことを考えてこなかったと思います。
結局、答えを求められても、苦悩して時間切れになり、なるようになってからその結果に文句をいう。こういう事をやってきました。
私たちは何を求めているのでしょうか?私たちはなにをするか、何を求めるかを選択しなければいけないのかもしれません。
再び金平さんの文章を例にさせてもらいます。
アメリカインディアンという表記をされました。こういった呼称についてはいろんな議論があります。批判される可能性もあります。
ですので、”アメリカ大陸にもともと住んでいた人たち”などの、表記方法もあったはずですが、あえてこのような表記をされました。
それは間違いなく選択であり、そういったことが必要なんだと思います。
そういえばアメリカインディアンの教えにこういったものがあるそうです。
”批判ばかり受けて育った子は批判ばかりします。”
批判をするだけでなく、一度、まじめに夢や理想でも語ってみませんか?
私が言うのもなんですが・・・
[1296] Re:ビンラディン殺害
- 投稿者
- まつやまのぶてる
- 投稿日
- 05/13 10:09
この事件を冷静に見て思ったのが、
金平さんの投稿に「人間の死を歓喜する国民にはなりたくない」
とお書きですが、本当にそのとおりです。
アメリカが戦争の終わりに、広島と長崎に原爆を落としましたけども、
そのときも、こんなに大々的にアメリカ国民が歓喜したのかと思うと、
ぞっとしました。