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No.1304に関するツリー
- ▼-これでも脱原発が無理な国? [web多事争論編集委員] (2011/05/19 01:38)
- ├Re:これでも脱原発が無理な国? [やまあらし] (05/20 17:32)
- ├Re:これでも脱原発が無理な国? [荒角] (05/22 05:51)
- │└Re[2]:これでも脱原発が無理な国? [等々力為五郎] (05/23 21:31)
- │ └Re[3]:これでも脱原発が無理な国? [荒角] (05/25 03:12)
- ├Re:これでも脱原発が無理な国? [mak] (05/23 13:25)
- ├Re:これでも脱原発が無理な国? [荒角] (05/25 04:03)
- ├Re:これでも脱原発が無理な国? [枝野総理] (06/05 11:02)
- │└Re[2]:これでも脱原発が無理な国? [笹森] (06/07 17:21)
- ├村上春樹さん [島田陽一(仮名)] (06/11 12:06)
- │├Re:村上春樹さん [長文] (06/11 20:00)
- ││├Re[2]:村上春樹さん [島田陽一(仮名)] (06/12 02:50)
- └Re:これでも脱原発が無理な国? [木村] (06/14 02:19)
- └Re[2]:これでも脱原発が無理な国? [masa] (12/27 17:38)
[1304] これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- web多事争論編集委員
- 投稿日
- 2011/05/19 01:38
原発政策の見直しは
総理が示唆していることをはじめ
国のあらゆるレベルで
議論がおきているものの
やっぱり無理なんじゃないか...という
ムードも漂うのも事実..。
一体、日本は、
どこまで無知で、無気力で、無能なのだろうかと
思ってしまう今日この頃。
ここまできても
無理なのでしょうか。
菅総理は福島第一原発事故を受け、原子力行政を根本的に改革していく必要があるという考えを示しました。
「(原発事故の)調査委員会においては、この長年の原子力行政のあり方そのものも十分に検討していただき、その根本的な改革の方向性を見いだしていきたい」(菅直人総理大臣)
そして、菅総理は原子力安全・保安院について、「チェックする立場の安全・保安院が原子力を進める立場の役所の下に共存していた」と述べて、経済産業省からの分離を含め、検討していく意向を示しました。
このほか、菅総理は本格的な復興に向けた第2次補正予算案について、「本当に急ぐものが提案されてきた場合、現在の1次補正で不十分だとすれば、考えなければならない」と述べて、今の国会への提出もありうるという考えを示しました。(18日20:07)
[1309] Re:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 荒角
- 投稿日
- 05/22 05:51
荒角
脱原発を叫ぶなら、せめてそれに代われるだけの発電方法を挙げないと、ただの『愚痴書き込み』にしかなりませんよね。
『自然エネルギー』 を利用する発電方法に対する期待や要望が、メディアを中心として高まっています。具体的な名を挙げれば、太陽光発電・風力発電・潮力発電・波力発電・地熱発電あたりでしょうか。
ただ、それらに対する要望を何も疑問を持たずに安易に受け容れすぎるのも、また問題なのではないかと。
上記で挙げた自然エネルギーは、潮力や地熱といった 『比較的安定的にエネルギー源が供給できる』 ものと、太陽光や風力のような 『気候によってエネルギー源が容易に変化する』 ものの2種類が存在します。
そのうち後者に関しては、『安全なエネルギー供給』 という点では優秀ですが、『安定的なエネルギー供給』 という点では問題が多すぎるのも事実。
今回の関東における計画停電で出てきた問題ですが、『電力の需要と供給を比較し、どれだけの電力量が不足するか』 といった計算をするには、供給(発電)量というのが必ず計算式に必要です。
火力や原子力といった発電施設では、発電量をコントロールする事が可能ですが、太陽光発電や風力発電では、天候によって供給量が日ごと・時間帯ごとに変化しますから、『どれだけの電力量が不足するか』 といった計算そのものが難しくなり、かえって混乱を招いてしまうという懸念材料が出てきます。
(軽く調べたところでは、30分先の発電量予測さえきちんと立てられない、といった事もあるようです)
『必要な時に必要な量を発電できず、別のところから賄わなければならない発電施設』 では、発電施設としても問題がありますよね。
太陽光発電に関しては、現在の技術では他の主要発電方式と比べても突出した発電コストの高さが上げられます。
パネルの劣化やメンテナンスといったコスト面が高く、太陽光から電気への変換効率も悪いです。都市部などは、車やビル風によって巻き上げられる砂埃などで、劣化スピードはより酷くなります。
設置が簡単で携帯も出来るシートタイプの太陽光パネルも出てきているようですが、ただでさえ変換効率の悪いパネルタイプよりもさらに効率が悪いようで、携帯電話の充電ぐらいしか出来ないようです。安定した電力の供給には程遠い状態なのが現実のようですね。
また、風力・地熱・潮力・波力発電においては、その施設を建設するために、自然そのものに手を加えなければいけません。
風力発電の場合、外国のように広大かつ平坦な地形ならともかく、そういう地形が恐ろしく少ない日本では、原子力に変わるだけの発電量を賄うだけの風力発電施設を作るためには、山に道路を作り、木を伐採し、整地するという工程が必要不可欠です(しかも大量に)。仮に海上に作るにしても、海底の整地と、海での建設作業、地上への送電ケーブルなどの設置は必要です。
(現在平野部にある国民の家を取り壊して風力発電施設を建造する、という方法もありますが、どちらにしろそこを追われた住民は山間部に移動して住宅を作る事になるので、山に道路が敷かれ木を伐採し整地する事には変わりがありません)
『風があれば発電できる』 と思われがちな風力発電ですが、台風時などはプロペラの損傷や発電施設そのものの倒壊の危険性を回避するためにプロペラを折り畳んだりして 『停止』 します。『風がないと発電できないが、風が強すぎても発電できない』 のです。
そもそも基本的に風力発電施設は、国土の多くが山間部という日本には向いていません。国土の起伏が激しいので、風が巻いたり、風向きが変化したりすると効率的な発電ができないのです。北海道のような広大で平坦な土地がある場所ならともかく、本州や四国・九州は、よほど立地選定を慎重に行わないと、継続して風力発電機を稼動させることは難しいようです。実際、せっかく建てた風力発電機が全然回っていないという事例は、既にいくつも報じられています。
次に地熱発電ですが、候補地となりうる場所の多くが国立公園や国定公園に指定されていて発電施設そのものの建設ができなかったり、温泉観光地となっていたりするため、景観を損なう発電所建設に理解を得にくいこと、温泉への影響に対する懸念があることなどの問題があります。
国立・国定公園の問題に関しては、規制の緩和などで解決できる(かもしれない)問題ですが(公園の真ん中に発電施設のある場所を国立・国定公園と認めるのか、という議論は避けられないでしょうが)、こと温泉地・温泉施設に関する問題は複雑です。温泉文化は日本古来の文化の一つですが、ライフラインの問題でそれらに負担を押し付けるのか、という問題が出ます。
原子力発電の時は 「地元に負担を押し付けるな」 で、地熱発電の時は 「地元は我慢しろ」 では、説得力もないですからね。
また、最近ではメディアでも 『高温岩体発電』 という、地下に高温の岩体が存在する箇所を水圧破砕し、水を送り込んで蒸気や熱水を得る方法による地熱発電に関する声が上がっていますが、これにもまた問題があります。『地震を誘発する』 のです。
スイスのバーゼルというところで、実際に地熱エネルギーの会社が高温岩体発電における掘削が原因でいくつかの地震が発生し(うち1つはマグニチュード3.4)、地震を誘発して建物などに損害を与えたとして提訴された事案もあります。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8414795.stm
(一次ソースにつき日本語ではありません。翻訳は各々でよろしくお願いします)
スイス政府の調査報告では、このままこのプロジェクトが続けば15%の可能性で最大5億ドルもの損害を伴う地震を誘発する可能性があると結論づけたようで・・・。(このプロジェクト自体は地震の誘発が原因で2006年に中止され、提訴に先立ち完全に停止されてます)
しかも、誘発される地震のタイプは、地表近くに震源があり、地震の規模が小さくても建物被害が大きくなる 『直下型地震』 になりますから、活断層の多い日本でやるのはいささかデメリットの方が多いのでは・・・と感じました。
地震大国の日本において、今回の件でただでさえ震災と電力の問題が注目されている状況で 「発電によって地震が誘発された」 なんてシャレになりませんから。次は 『発電』 そのものに白い目が向けられかねません。
波力発電についても同様で、コストの問題が多いようです。陸上ではなく海上や海底に建造するために建設費が割高になりますし、メンテナンスも大変なようです。ポルトガルでは2008年に、英国製3機の発電機で営業運転を開始しましたが、わずか2ヶ月で補修のため全機が引き上げられました。(その後経済環境の変化で計画全体が無期限停止)
また、発電に必要なほどの波力がある場所に作らなければならない以上、台風時の風力発電と同様に、高波浪時には工事が中断する事になりますし、台風などの異常波浪時では運転を停止しなければなりません。実際、世界最大だったノルウェーの波力発電施設が、大波を受けて倒壊していますし、規模は小さいものの、わが国でも固定式の波力発電灯標が台風の大波で破損した例もあります。係留タイプの場合は、係留索が切れると沿岸に二次災害を引き起こす事が懸念されるため、厳重な安全対策が必要になります。
台風や津波の被害に遭う確率が他国より大きい日本では、台風が来たり地震が起きて(それが海を挟んだ外国の地震であったとしても)津波の心配が起きるたびに、発電施設を 『停止』 しなければならず、これも安定的な供給とはいえません。
潮力発電は、文字通り潮力がなければ意味がありません。外国でも海峡などを使っているようですが、日本では潮流や潮位の激しい場所といえば、鳴門海峡や津軽海峡などが代表となります。
それでも日本の最大潮位は5mに満たないのが実状(しかもそれは鳴門海峡でも津軽海峡でもなく、ムツゴロウが激減している、などと環境問題になったあの有明)です。外国で潮力発電を作っている場所は、多くが7m以上、中には12mなんてところもあります。フランスのランス潮力発電所は平均8.5m、最大潮位差は13.5mもあるようで・・・。
必然的に、潮力の少ないところでは発電所そのものが大規模化することになり、ランス潮力発電所をはじめとして、建設によって沈泥が堆積したり生態系のバランス等に影響が出たりしているところもあるようです。規模が大きくなればなるほど、影響も大きくなるでしょう。
まぁ、海峡の中にでっかいプロペラを沈めて回すんですから、当たり前と言えば当たり前です。それまで海峡を行き来していた魚(主に海底や海底近くを移動する魚)などの通り道を思い切り妨害する事になりますから。
自然エネルギー、クリーンエネルギー、といえば確かに聞こえはいいですが、実際には 『自然にあるものを使おうとすればするほど、自然環境に密接に関係する場所へ近づき、直接的にその自然を侵さなければならなくなる』 のもまた事実です。
そう考えると、人間にとっての 『クリーン』 が、自然環境に対しても 『クリーン』 とは、言えないような気がしてきます。
原子力発電から自然エネルギーによる発電に変えるため、森林を伐採し、海底に手を加え、有明のムツゴロウを再度絶滅の危機に追い込み、火山地帯を掘り返す。それは本当に 『自然エネルギー』 と胸を張れる事なのでしょうか。今までさんざん主張してきた 「自然環境を壊すな」 という主張を真っ向から否定する事ではないのでしょうか。
もちろん、「放射能の危険に比べれば遥かにいいじゃないか。それとも今回のような混乱をまた引き起こすつもりか」 という声もあるでしょう。それについては否定しません。私としても、原子力発電を使わなくていい、安定供給ができクリーンな発電があり、それに速やかに移行できるのであれば、それにこした事はないという立場です。
ですが、だからといって代替の発電方法に問題が無いかといえば、そんなことはない訳で、その問題点を今のうちにきちんと取り上げた上で議論しないと、『問題があることも知らないままに賛同し、後で問題が起こって慌てる・・・・という、今回と同じ状況をまた引き起こす』 だけです。
片方(原子力)はデメリットのみを並べ立て、もう片方(自然を利用した発電)はメリットのみを並べ立てるというのは、比較検討する上において極めて不公平だと言わざるを得ません。
(今回、スレ主であるweb多事争論編集委員さんが、原発に対しての 『問題点』を中心にしていたので、比較検討のために他の発電方法も同じ 『問題点』 を挙げさせてもらいました)
ですので、脱原発を叫ぶのであれば、代替となる発電技術を上げるべきであり、その代替発電技術が上記のような自然エネルギーを使った発電方法であるならば、
「放射線の危険に未来の子供達をさらさないために、自然や景観や生態系を壊してでも自然エネルギーを使った発電に切り替えましょう」
と、はっきり言うべきだと思うのです。
[1312] Re[2]:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 等々力為五郎
- 投稿日
- 05/23 21:31
>荒角さん
発電方法についてかなりお詳しい方のようで、敬服します。
しかしちょっと納得がいかないのは、このよく見かける「反原発、脱原発というのならまず代替案を示せ」という論法です。
原子力は今でこそ”現実的な”選択肢のひとつなのかもしれませんが、昔は想像もできなかった”夢のエネルギー”で、戦中の日本でも核兵器を研究していたのに実現できなかったのを、アメリカがマンハッタン計画という国家プロジェクトでようやく完成させた軍事技術を転用させたものです。
民主主義のもとで示される民意は、その構成要素のほとんどが素人の意見によってなりたっています。
まずYESならYES、NOならNOという民意をはっきりさせるべきであり、民意を形成する議論の中で代替エネルギーの話をするのは大いに有りだと思います。
しかしその素人が何かに反対意見を述べるとき、いちいち専門家張りに代替案を示さなければいけないというのは、反対派に対する体のいい口封じではないでしょうか。(編集委員さんが素人かといわれれば、たしかにちょっと違うかもしれませんけど)
こういっておいてなんですが、自然発電の問題点については参考になりました。こういう意見が出てくることで次世代エネルギーの議論はいっそう進展すると思います。
[1314] Re[3]:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 荒角
- 投稿日
- 05/25 03:12
>>等々力為五郎 さん
レスどうもです。
>発電方法についてかなりお詳しい方のようで、敬服します。
いえいえ。1309については、過去にブログに書いた文章(荒角名義ではありませんが)を多少修正してコピペしたものですが、文章そのものは20分程度google検索したものを元に書き上げたものです。
私本人もいわゆる 『素人』 と言われる類のものですので、内容に関してもいろいろとツッコミ所があると睨んでいます。むしろ、そういうツッコミを受け、それに対して色々とまた調べる・・・という方法で、自分のみならずレスを返していただいた人たちの 『議論を行うために必要な情報やデータの収集』 になればいいな、とは思っていますが。
『電気を作って生産や生活のエネルギーとする』 という行為そのものは、電力というものが存在しなかった時代からすれば、原子力に限らず、火力発電だろうが水力発電だろうが夢のエネルギーなんですよね、
そして今回、その中のひとつである原子力発電において、一部の専門家や推進派が唱えていた 『安全神話』 というものが虚構だった事が改めて証明されました。
『神話』 なんてその名の通り『神サマが行うような話』 ですから、神サマでもない我々人間が神話レベルに至ろうすれば、それこそありとあらゆる可能性を考えあげそのすべてに対策を徹底するという 『努力』 が必要になります。その努力を怠れば今回のような事故が起こり、努力を続ければ新幹線のように 『安全性という神話に近づく』 事は出来ます。
結局、考えて作り上げたのが人間である以上、どこかに必ず問題点は生じます。『原子力発電に問題点はあるが、その他の発電には問題点は皆無』 なんて事はありえないわけです。(むしろ 『問題点は必ずある』 と考えるようにならなければ、安全性を語る上では失格でしょう)
で、安全性について語る以上は、片方の安全性に疑問を持ち非推奨とするのであれば、それに代わる別のものは挙げなければおかしいですし、当然その別のものの安全性についてもメリット・デメリット双方を語らなければ、議論として成り立ちません。
『やるかやらないか』 ではなく、『どっちがいいか』 の問題なのですから、当然そこには比較・検討が必要となります。一方の特徴だけを取り上げて 『だからこっちがいい』 というのは、推奨や非推奨にかかわらず、比較・検討になっていないと思うのです。
今回の発電問題に関して言えば、『原子力発電は危険だから撤廃しよう』 で撤廃し 「はい幸せになりました」 という問題ではありませんよね? 電力供給という問題に関し、特定の発電方法から 『変更する』 問題である以上は 『この発電方法を続けるか廃止するか』 ではなく、『どれがいいか』 で議論されるべきものだと思います。
であるならば、撤廃する事で減った発電力を補う代替の発電方法や、その特徴・問題点も同時に取り上げなければなりません。
そこには最初から専門家並みの知識など必要ではありません。自分が知っている範囲、調べられる範囲での情報を挙げればいいだけの話で、それは素人であろうと出来る事です。そこに不足しているものがあれば、知っている別の人が補足したり、間違ったものがあればツッコミが入ります。
『三人寄れば文殊の知恵』 という言葉があります。専門家はそれこそ1から100まで自分で調べ上げるのが仕事でしょう(だからこそ彼らは一人で文殊並みの知恵を有するわけです)が、我々は素人なのですから、専門家並みの知識・・・『文殊の知恵』は、質ではなく数で補うしかありません。それが 『集合知』 というものだと思うのです。
まぁ、あくまでもこれは私個人の考えでしかありませんので、対案を出す事を強制したりはできません。
ですが、対案を出さないまま反対だけする人と、出した上で反対をする人は、第三者から見てどうしても評価に差が生じてしまう事も事実です。
これに玄人素人は関係ないと思います。実際私も社会に出て間もない頃、会議の場で上司に言われましたから。
「反対という意見を出すのはいいが、何と比較し何が原因で反対なのかを、出来る範囲でいいからしっかりと自分で調べなさい。でなければ君の発言は意見ではなく、ただの野次になってしまうぞ。
意見は受け入れ参考となるものだが、野次は聞き流されても文句は言えない。君は会議に 『参加』 しているのであり 『見物』 しているわけではないだろう? 野次と意見は違うんだ」
と。
幸いな事に、現代の社会ではインターネットの普及によって、机に座ったままで色々な資料やデータ、意見を手に入れられるようになりました。図書館に行ったり、各省庁や役場に足を運んだりという時間と手間のかかる事が、どんどんと減っています。
せっかくの文明の利器、利用しない手はありません。
上(1309)で書いた文章も、googleで検索するだけで書き上げられるのです。素人の私でも、20分であれだけのデータが集められるのです。
googleでの検索が、素人にできないという事はないと思います。ネットでの議論の場に意見を言える環境であるならば尚更です。
[1311] Re:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- mak
- 投稿日
- 05/23 13:25
原発政策の見直しを本気でしたいのであれば、原発維持・推進への懐疑や批判をするエネルギーと同等程度に、反原発・脱原発へ疑問をぶつけることや、時には批判を行うことが必要だと思います。
自然エネルギーを推進するだけで、問題点を見過ごしたり、意図的に目を瞑ることが、必ずしも正しい姿勢だとは思いません。
自然エネルギーの利用により、全てが解決し、薔薇色のような未来があると言うほうが眉唾ものだと思いませんか?
例えば、荒角さんの投稿に書かれていた自然エネルギーに対するデメリット部分や疑問を、自然エネルギーを推進する人々に投げかけてみることもひとつの手段です。その問題点を相手にぶつけて、改善を促して解決していくことが、地道ながらも脱原発を目指す第1歩だと思います。
[1315] Re:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 荒角
- 投稿日
- 05/25 04:03
そういえば私個人の意見を明確にしてなかったですね。
『自然環境に影響を与えない自然エネルギー発電技術の研究・開発・普及に資金をかける一方で、それに完全移行するまでの原発に対しても、安全の徹底の為にしっかりと資金をかける』
というのが、一番現実的ではないかと思います。
上で挙げた自然エネルギーでの発電にも問題点がある以上、将来的にそれらに移行するのであれば、その問題点をクリアするだけの研究・開発は必須です。
また同様に、研究・開発段階のものをすぐに全国に作れる、という類のものではありませんから、それに完全移行されるまでの間は現行の発電方式の安全性・安定性をもっともっとしっかりと考え対策を徹底する、という事も平行して行わなければなりません。
過去の、原発に対する盲目的な反発行動を行っていた団体の姿勢のように
『いずれ廃止されるようなものにお金をかけるなんて税金の無駄遣いだ!』 という声に圧されて安全性確保やメンテナンスの予算を削られたりする事など、もっての他という事になります。
いずれにせよ、これらの事をやる以上はそれだけの予算が必要になります。
以前行われた事業仕分けでは、「100年に1度の地震に備える予算など無駄」 と、麻生政権での補正予算で組まれた学校や避難施設などの耐震化予算などがゴッソリ削られました。政権交代後に行われた福島原発のメンテナンス問題に対しても、耐用年数が迫っていたにもかかわらず民主党政権はロクにメンテナンスもしないままに耐用年数だけ延ばし運転を続行しました。
そして不幸にも、それらを疑問視し危険性を訴える人たちは少数派でした。
安全は無料ではありません。お金を払って買うものだと思います。
安全であるためには様々な安全化の対策をしなければならず、それには当たり前のようにお金が必要です。
原発廃止や無駄の廃止を叫ぶ人たちの声に圧されて、安全性の向上やメンテナンスを行う予算がどんどん削られていく状況で、安全が向上できるどころか維持すらできるワケが無いんです。
そしてこれは、発電施設のみに限った問題ではありません。高度成長期時代に作られた橋や道路、トンネルや水道管などは、耐用年数を迎えるものがどんどん増えていっていますが、それらのメンテナンスや補修に関する予算は 『無駄削減』 の名の下に年々削られているのが現状です。おかげで現在では、メンテナンスや補修がまったく追いついておらず、3分の1程度しか手をつけられていないという状況。それも予算の削減上 『本気でヤバイ』 というところのみで、中には 『どうか壊れないでくれ』 と祈りながら見過ごす事になる亀裂なども多いようで、この数値は年を追うごとに酷くなっているのが現状です。
(無論、本当に無駄なところにまで手をつけろとは言いませんが、どこが無駄かすらロクに議論されないまま一方的に予算だけ削られては元も子もないですし、無駄だといわれていた道路が今回の被災地支援の際に、壊れたメイン道路の代わりになって、必要性が叫ばれる羽目になった例が多かったのも皮肉な話です)
『安全性』 をケチれば当然の如く 『危険性』 は増えます。
命に関わる問題で、よく知ろうとしないままに命の無駄まで削減していたのが今までですが、これからはもう少し真面目に考えなければならない問題でもあると思います。
[1329] Re:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 枝野総理
- 投稿日
- 06/05 11:02
私は原発しかないと思います。
反対するには代案がいります。素人ならば専門家に代案を請うべきです。反対派の連中は専門家の意見も聞かず、ただ駄々をこねてるだけだと思います。
専門家の意見を参考にするとやはり原子力に替わる電力源はないと思います。
放射能は確かに怖いですが経済苦を理由とした自殺や交通事故のほうがはるかに多数です。数の問題じゃないとの得意の反論が来そうだけど、政府が取るべき施策としてはやっぱり数です。なぜならすべての物事が矛盾なく動いていくことは皆無だからです。だからどうしても最大多数の幸福のために為政者として(個人としてではありません)目をつぶらなければならないことは出てきます。原発問題はその際たるものだと思います。
[1330] Re[2]:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 笹森
- 投稿日
- 06/07 17:21
反対派を黙らせようと言う強権的考えはおかしい
国や推進派専門家は反対派の意見を聞かずに運用したからこのような事態になった。
自然エネルギーはこれから成長する分野だと思います。
だからこそ日本が世界をリードする産業になる可能性がある
今ある原発は地震対策などの問題を指摘していた専門家の意見も聞き対策すべきでしょう。
事故が起きたのにそれでもまだ原発を推進する方は発電所の近くに住めば良い。
自分と関係ない電力を発電しているのに事故が起きたらそこに住めなくなる。そんな危険なものいりません
[1333] 村上春樹さん
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 06/11 12:06
作家の村上春樹さんがスペインの「カタルーニャ国際賞」の授賞式スピーチで原発批判を行い、ちょっとしたニュースになっております。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour
要旨を抜き出すと以下の部分だと思われます(以下引用)。
「我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。」
原発の問題は
「人類が手に入れられる中で最大のエネルギーである『核の力』について、この国は今後どう向き合っていくか」
というところが、本質的な問いになると思っております。
「脱原発」をしたする場合は、それがいわゆる「ソフトランディング」であっても、国内の原子力工学の技術は壊滅的な状態になると思います。縮小市場と見なされた瞬間に資本は手を引くからです。「核兵器自体は持っていないが、その気になれば作れる国」という、安全保障上の位置付けも同時に失うことになります。つまり「発電方式をどうするか」だけの話ではない。国として「核の力」を放棄するというのはそれなりに勇気を伴うことなのだろうと推測します。
表だって出せない話だとは思いますが、だからこそ議論がかみ合わない。推進派の本音は「一度手にした核の力を手放したくない」だとすれば。
もちろん国土の狭い日本において、自然エネルギーを安定的に利用することのハードルは高い。二酸化炭素排出も減らさなければならない。現実解はあるのか。
「今は無い。でも今後探っていく必要がある。少なくともこれまでとは違う目標を目指して進もう」というのが村上さんのメッセージだと思われます。
さて、どっちに進みましょうか?
[1334] Re:村上春樹さん
- 投稿者
- 長文
- 投稿日
- 06/11 20:00
島田陽一(仮名)さんには申し訳ありませんが、
私はとてもこの村上春樹スピーチを評価することが出来ません。
スピーチの中で原爆と結び付けて脱原発が語られていますが、
その論理構造はとても幼稚なものにしか見えない。
>何故そんなことになったのか?
>戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感はいったいどこに消えてしまったのでしょう?
>我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
>理由は簡単です。「効率」です。
この安易な議論展開など、本当に村上春樹さんの言葉なんだろうかと疑ってしまうほどです。
大量殺戮兵器の原爆と発電システムの原発では論点も何もかも違うでしょうに。
原発を利用して原爆を作るという議論の中で絡めて展開されるなら分かりますが、
我が国は原発持ってませんし。
この4行以降もどこかで聞いたような意見をまとめあげているだけ。
脱原発の流れにファッション的に乗ったスピーチにしか見えません。
「村上春樹の」というブランドが付いているので
この発言はマスコミや識者に金科玉条のごとく持ち上げられるのでしょうが
無学な私からすれば最後の二段落以外は読む価値を見いだせない。
無論、海外向けであることやスピーチであることを考えれば、
分かり易い話にしたのかもしれませんが、それにしても安易な内容に見えます。
もう一つ嫌な感じを受けたのが、原発に対しては長々と話されているのに
他の大震災の被害については「無情」という概念と絡めてサラッと流されているように見える点です。
どこの媒体で読んだのか忘れましたが、
大江健三郎さんも震災についてはサラッと流し大半を原発について語っていました。
理解は出来ます。
現在進行形で福島の大地を汚し海を汚し、各地に汚染をばら撒いていることや
日本全土に未だ原発が稼働する中で知識人として言葉を尽くす必要があるということでしょう。
しかし、頭で理解できても生理的に受け入れられない。
2万数千人の方が亡くなり、土地の形すら変えてしまったあの大震災について
どうして前座のような扱いが出来るのだろうと。
もちろん話の流れやテーマというものもあるでしょう。
世間に向けて脱原発を訴える使命感もあるのでしょう。
でも「311」と省略して、あの震災を「きっかけ」としか捉えていないような知識人を見るにつけ
心の中に納得できないものがたまっていくのを感じます。
阪神大震災の時はもっと具体的な議論がなされていたように記憶しています。
(私の記憶違いかもしれませんが)
それもこれも原発の事故が悪いということなのかもしれませんけども・・・。
このスレでも荒角さんの提言から様々なご意見が出されていますが、
こういった様々な立場の方が冷静にそして客観的に議論することこそより求められていると思います。
[1335] Re[2]:村上春樹さん
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 06/12 02:50
私が書いた内容よりも、「村上春樹スピーチ」というトピックに反応されたようですが、とりあえず2点ほど。
まず、村上スピーチの評価について書かれているようですが、私の評価も書かせてもらうと、彼の論旨はよく理解できますし、積極的に評価もしています。一方で長文さんのような「評価できない」という反応も無理からぬことかなとも思います。
私は被曝県の出身で、平和教育も恐らく他県の方々よりは多く受けております(筑紫さんの本では「広島・長崎以外では平和教育はやっていない」と書いてありました)。実際に被害に遭われた方々は、そうでない人に比べて「なぜこんなことになったんだろう」と深く思い詰める傾向があるのだと思いますが、被曝者達も例に漏れず考えました。
-「なぜ我々は原爆を投下されなければならなかったのか?」
「終戦を早めるため」とか「真珠湾の報復」とか「実際の街を使った核実験」とかいろいろな説があります。
私は「実際の街を使った核実験」というのが一番近いと思っています。その理由は村上さんのスピーチで使われた「効率」という言葉と、深い関係があります。
科学をそれなりに学ばれた方ならば、燃焼反応のような「化学反応」と「核反応」とでは、そのエネルギー効率に天地ほどの違いがあるということが理解できるはずです。科学的な観点では、「神の領域に人類は達したのではないか」という自己陶酔さえもたらす核反応の「効率」。実際に使ってみたくなる「魔力」がありました。
あまりにも力が強大であるが故に、それは次のような倫理的な問いをもたらすはずでした。
-「地球というちっぽけな閉鎖空間で、人類は人工的に核反応を起こすことが許されるのだろうか。下手すると地球を破壊してしまうのではないか」
ピンとこない方は、例として遺伝子工学と倫理との関係を思い出してほしいと思います。「科学の発達によって、人類は侵してはいけない領域に入ったのではないか」という問いです。
第2次世界大戦という戦争は、そういった倫理的な問いを未解決のまま封じ込めてしまいました。その結果、核反応を兵器として使い、発電のようなエネルギー源としても使ってきました。核実験による被曝やおぞましい人体実験、原発事故による犠牲者を出しながら。
「原爆」と「原発」とは話が違うと思われる方は、先ほどの倫理的な問いを思い出して頂きたい。
報道ステーションでは古館さんが「村上さんはあえて原子力ではなく核という言葉を使って原爆と原発を結び付けている」と分析していました。
村上スピーチは未解決のまま今日まで来ている倫理的な問いを想起させる働きがあるものとして、私は評価しています。
次に、以下の点についてです。
> 冷静にそして客観的に議論することこそより求められていると思います。
私もそのご意見に賛成ではあるのですが、そのいわゆる「大人の対応」の結果何が起きるかを予測してみました。
私の予測では「原発推進派の巻き返し」が起き、「今回の事故は不運が重なった特異な事故でした。シャンシャン」となりそうだと思っております。
再生可能エネルギーの開発に注力することすら行われず、「今度こそ絶対安全な」原発を、こりもせず中央構造線の上に建てたりするんだろうと思います。再生可能エネルギーは「非効率」であるという理由で。懲りない「彼ら」には厳しい目を向け続けなければならないと思います。
そういった意味でも、村上スピーチは良いところを突いていると思いますよ。
なお、私は直接被曝したわけではありませんが、先ほど述べた理由で被曝という体験は身近に感じられます。浪江町の実家を「失った」知人もいます。被害を実感しているものにとって、彼のスピーチは「よく言ってくれた」という気持ちになりますが、被害の実感のない人にとっては「感情的」「非現実的」なのでしょうね。
[1345] Re:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 06/14 02:19
ここまで議論が進んでいるのにもかかわらず、
また前のトピックで言っていたことにも重なるにもかかわらず、
あえて前提にツッコミを入れてみます
脱原発とはなんですか?どういう状態でしょうか?
もちろん原発に頼らないような電力体制にしたいまでは分かります。
原発をどうするのかです。
停止させてしまえばいいのでしょうか?では停止した原発の近くに住めますか?
少なくてもメリットはありませんので私は住みたくありません。
リスクが若干減った程度の原発停止でいいのであれば、節電すればいいだけです。
しかし実際リスクが減るかといえば、それも怪しいのではないでしょうか?
電力を生み出すが、危険であり、管理するのに人手がかかる原発が
電力を生み出さず、若干危険度が下がったが相変わらず危険であり管理するのに人手と電力が必要な停止中の原発になるだけです。
いくら公共事業とはいえ民間企業が何の利益も出さない物に費用をかけるでしょうか?
最低限の人員だけで、管理することになると考えるのが当然でしょう。
もし、国に移管されても対応が変わるとは考えにくいと思います。
そうなると逆にリスクが増えるような気がしませんか?
ではリスクをなくすためにどうすればよいか?
原発を停止させたあと、そこにある使用済み核燃料等の放射性物質を何とかしなければいけません。
方法は大きく分けて二つでしょう。
日本で何とかするか、ほかの国に何とかしてもらうか。
何とかする方法は現在日本にありません。
ではほかの国に何とかする方法があるかといえば、どうでしょう。
一応、それなりの方法を実施していくにはあります。しかし、その方法に対しその国の人たちの一部に疑問をもたれています。
人の住んでいない場所に置いておくという国もありますが、未来にどういう問題が起こるかはわかりません。
そして残念な話ですが、こういった放射性物質にニーズがあります。
汚い兵器とでも言うべき劣化ウラン弾などの兵器の材料として、必要としているところもあります。
脱原発をいうのはいいですが、その結果が、ほかの国にいらない物を押し付けたり、兵器の材料を輸出したりする国になるという事は”想定外”ですかね?
もちろん、これは私の想定です。前提自体が間違っている、もしくは良い解決法があると確信しているのであれば、反論をしてもらえればありがたいです。
しかし、そういった問題を直視せず、きっと良い方法があると楽観視して、”よく分からないけど反対”という人がいることに多少の懸案を覚えます。
身近な例だとテレビの不法廃棄です。テレビを買い換えた。しかし古いテレビを引き取ってもらうのにお金を払いたくない。
そんな、いらないものを何とかしたいとき、何が起こったか?一部の悪徳産廃業者が現れ、適当な場所に捨ててしまったのです。
うまい話があるはずはありません。しかし、いらない、反対だと言っていれば、誰かが何とかしてくれる。そして何とかしてくれたら、その後は無関心
こういう考えが、幾たび悲劇を起こし、また、その後処理に使わないでいいお金を使ったことがあるでしょう。
危険なものがいらないのは当たり前です。
しかし、私が判断できない、それどころか生まれてもいないときに、原発は作られ運用されてきました。
もちろんそのころの状況が分かりませんので、なんともいえません。
だから、その時の判断をした人間や、判断をした人間を支持した人間、またそれに反対し切れなかった人間に対して、文句を言いたいですが、意味はありません。
どれだけ理不尽だろうが、残念ながらその負債を引き継がなければいけない状態になってしまいました。
言ってしまえば、親が無茶な借金をして作った家が、住めない状態です。
少なくても、別の住める家を何とかするまで、野宿をするか、住めない家に住むかのどちらかです。
現在原発が止まり何が起こっているか?
電力会社は、節電をするように要請し、電気料金を高くするといっています。
それによって何が起こっているかというと、物の生産拠点が決まらないということが起こっています。
物とは、節電となる省電力の電化製品や、太陽光パネルなどの太陽光発電に必要な部品も含まれています。
先ほどの例で言うと今すんでいる家がないと、次に住む家は見つけにくいんですよ。
もちろん危険なままで原発を稼動させるのは問題です。
だからこそ、きちんと考えなくてはいけない。少なくても、必要性と危険などのリスクマネジメントをして。
大阪から東京に行く際、東京がある方向に向かって走り出すことが、東京に行く努力をすることでしょうか?
まず、東京とは別方向の関西空港や、新大阪駅に行くことは、東京へ行こうとしていないと思うんでしょうか?
一旦、インターネットが使える場所に行き、乗り換えや時刻表を見ることは、無気力なんでしょうか?
脱原発という言葉をどういう意味で使っているのか分かりません。
しかし、私は危険な放射性物質を放置した状態で未来へ残すべきではないと考えます。
未来に危険な原発を残さないために、現在、原発を使ってその算段をしないといけないかも知れません。
現実に起こりえるリスクに対してどれほど妥協できるか?そういう話が出来る場がないんです。
もちろん現実社会において、こんなことを言っても相手にされないでしょう。
大きな声で”反対反対”と叫ぶほうが、発言権があります。
大きな理想を語り、現実的な手法も何も語らず、ただ理想と現実の違いに憂うほうが楽だし、酒飲んでるときの会話にも出来ます。
だからこそ、ネットで語るしかないんですよ。現実でもこういうことをしゃべる場所が出来ることを信じて・・・
・・・まあ他にも株もって東電に文句言うとか方法はあるんですけどね。
[1521] Re[2]:これでも脱原発が無理な国?
- 投稿者
- masa
- 投稿日
- 12/27 17:38
初めて投稿します
皆さんの意見はまさに多事争論で
もうすばらしいの一言です
そこまで言うのは「脱原発」に関してさまざまな意見が
ここで言えテレビや新聞、雑誌ではあるいは炎上だらけの
2ちゃんやツイッターとは納得できることに関心持ってます
私は正直言ってまともにテレビや新聞週刊誌を読まなくて
もう失われた10年間でしたもう来年で30代後半で
私が生まれた前に原発が作らざるを得なかった
社会システムで育ってしまった中央集権国家日本です
そもそも「脱原発」論理は国土が小さな国でたくさん人を住ませるには合わないのです、まことに遺憾ながら
これからどうのこうのは 安全管理を正して準じ廃炉して
今度は「脱炭素発電」に挑戦するべきでは
ないでしょうか火力発電の二酸化炭素回収技術はそろそろ育っているみたいです。これに期待して「脱原発」です
東京電力は株式会社でなく国有化やむなしの意見です