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No.1426に関するツリー
- ▼-SNS・FACEBOOKの功罪 [αβ さんより] (2011/07/30 10:50)
- ├Re:SNS・FACEBOOKの功罪 [長文] (08/03 22:38)
- ├Re:SNS・FACEBOOKの功罪 [島田陽一(仮名)] (08/04 02:32)
[1426] SNS・FACEBOOKの功罪
- 投稿者
- αβ さんより
- 投稿日
- 2011/07/30 10:50
多事争論テーマ募集で以下の投稿がありました。
みなさん、いかがでしょうか?
「投稿日07/30 03:34
アメリカ発のSNS、Facebookの功罪について多くの方々のご意見をお聞きしたいと思います。 」
[1442] Re:SNS・FACEBOOKの功罪
- 投稿者
- 長文
- 投稿日
- 08/03 22:38
mixiなら経験もあって何とか分かるのですが、Facebookはザックリとした知識しかなく、
αβさんが望まれた意見とは違ってピントのボケた意見になるかもしれませんが
一応思うところを書いてみたいと思います。
色々と争点はあると思いますが、
おそらく一番ホットであると思うのは既存メディアとの対立軸にあるSNSの存在でしょう。
中東での革命に使われたのが最も分かり易い例になると思いますが、
既存メディアが信用できない中で、SNSやツイッター上に流れる情報は千金の価値を持ってきます。
具体的にどのように使用されたかは想像で補うしかありませんが、
知り合いを数珠繋ぎにし、かつ実名での登録を前提とするFacebookであれば、
そこに書かれた情報の信用度は(実際に正しいかどうかは別として)
既存のメディアよりも高くなる物と思われます。
Facebookにおける「デモを行おう」という意見に対しても、
現状に不満があり、尚且つメディアに対して信用がなくなっていれば
真剣度合が変わってくるのではないでしょうか。
結果、フェイスブック革命とも呼ばれる大きな流れになっていくように感じます。
(私自身はあのエジプト革命をフェイスブック革命だとは思っていませんが)
つまり、既存メディアの状況や社会状況次第でFacebook等のSNSの役割は変わってくる。
メディアに対して信用がそれなりにあるのであれば、
あくまで身内やビジネス上のツール以上の役割は担えないでしょう。
強いて言えば新しいコミュニティの開拓という社会変革の役割を担えるかもしれませんが、
あくまで緩やかな変化の一部分を担う程度で終わるのではないかと思います。
一方で既存メディアへの信用度が低くなれば、
新たなる情報発信、或いは新たな思想の発信の場としての役割を担い始めることでしょう。
ただし以前にも言ったことですが、ここから革命へと移行するには
FacebookやTwitter、ネット上の掲示板があるだけでは難しい。
元々の社会に対する強い不満や革命へと移行する基盤がなければ、
あくまで新しい場としての役割を全うするだけだと思います。
典型例は中国ですね。
いくらネット上の声が大きくなっても、
中国経済が好調なうちは不満が形を取らずにただネット上に流れるだけで終わることになるでしょう。
これが格差が絶望的に広がり、不況と呼べる状況になれば
おそらくFacebookやTwitterは非常に大きな役割を担い始めると思います。
「功罪」の話でしたが、まったく功罪の話になってませんねwすみません。
私が言えることは、功も罪も使われる状況によって変わるだろうということです。
あくまでコミュニケーションツールとして使われるのであれば、その範囲でしか功罪は生じない。
革命や社会改革を引き起こす状況で使われるのであれば、
その大きな範囲で功罪が生じ、いずれも社会に重要な影響を及ぼすことになるでしょう。
あくまでSNSは道具であると思っています。
その裏にある社会状況によって功罪に対する見方が変わってくるのではないかというのが私の意見です。
[1443] Re:SNS・FACEBOOKの功罪
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 08/04 02:32
SNSは「6次の隔たり」という学問的な仮説がバックボーンにありますし、Facebookは、ハーバード在学中のザッカーバーグ氏が大学のサーバをハッキングをして、美人学生の勝ち抜き戦をWebで行ったという実績があります。
「絶対安全」などという結論ありきの技術はいずれ破綻することは今回の地震で分かりましたが、逆にこういった個人の発想を実験的に実装してブラッシュアップを重ねていける文化のある国に対するうらやましさを感じます。
こういった仕組み自体に功罪があるわけではないと思いますが、人脈をインターネット上に実装するという考え方は興味深いと感じます。
もっとも、私たちの国の「人脈の在り方」について言及すると、権力なり権限なりのモトを辿っていくと個人に行きつく文化の国と、逆に組織に行きついてしまう「中空構造」の国とでは、人脈そのもののパワフルさに差が出来てしまうのはやむを得ないことだと思われます。日本においては、これらの仕組みについて目立った功もなければ罪もないというのがむしろこの国の問題のような気もします。