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No.1462に関するツリー

[1462] 水害の年

投稿者
編集委員
投稿日
2011/09/07 23:23

台風12号による豪雨で、
紀伊半島を中心に死者行方不明者100人を超える被害となっている。

今回の土砂災害の被害は、
東日本大震災の津波被害と重なり、自然の猛威を感じざるをえない。

100年に一度の大津波、
何十年に一度の水害、
それがわずか半年の間に起こってしまった2011年。

文明が過信につながっているのだろうか。
「想定外」の自然と、これからどう向き合うのか。

改めて考えてしまいます。

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[1473] 次の世代に我々が出来ること

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
09/17 23:55

 自然災害が度重なると私たちは「終末感」にとらわれることがあります。「人類は来るとこまで来てしまった」「この世の終わりだ」などという想いにとらわれるのは、今に始まったことではありません。
 しかしながら長い目でみると、自然はいつの世も人間に試練を与え続けております。日本の場合は地震や火山、台風、降雨、降雪などの災害に事欠かないわけですから、無常感や因果応報といったものと結びつきやすいと言えると思われます。
 こういったことが起きると、しばしば「何故こんなことが起きたのだろうか」と恨み節に近いような感情を禁じ得なくなりますが、むしろ災害が発生した後の未来に向けた対応が問題でありまして、今回の震災のように生活の基盤そのものが丸ごと流されて、更地同然になった場合にどう対応すべきかということがあります。
 このような話は災害だけに限りません。いわゆる「限界集落」の話や逆のケースではマンションの林立で行政インフラが追いつかない地域の話などもあります。自然災害のような急激な変化と同列で語るべきではないと言われるかも知れませんが、自然災害は同じ地域で繰り返し起きていることが多いことからすると、いつ起きるかは分かりませんが、いつか起きることは予想が出来る話であります。
 状況の変化が緩やかであれ急激であれ、いずれにしても「次の世代」のための対応ができていないという現実があるとすれば、その原因はいったい何なのか?
 憲法が保証する権利との兼ね合いもあって難しいかも知れませんが、自治体が主体的に街づくりのグランドデザインができるような法整備というものも検討した方が、最終的には地域住民にとってのメリットが増えるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

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[1474] Re:次の世代に我々が出来ること

投稿者
長文
投稿日
09/18 19:26

島田陽一(仮名)さんが仰ったご意見に全面的に同意します。
どうしても大災害の後は観念論がまかり通り、
特にメディアに出る識者の方は観念論から始まって勝手に悲観的になったり
自分に酔っているかのような意見が見受けられますが、
本当に必要な議論はそういったものではないですよね。

阪神淡路大震災の当時もオウムの事件や悲惨な事件が重なったことで
終末論的な議論や日本に悲観的な物言いが流行りましたが、
それらの言説は今の時代に何も残していません。
それらの空虚な言葉よりも建物の耐震性の見直しや地震に対する備え、
断層の見直し等具体的な未来に向けての議論の方が今の時代にしっかり根付いています。

今は目の前の問題への具体的な対処と、未来に具体的に何を教訓とすべきかを
議論すべき時でしょう。
例えば東日本大震災と台風による大水害の共通点として
行政による避難指示の遅れが挙げられます。
行政に頼りきりになるのではなく、自分たちで避難する場所や道筋を予め考えておく。
これも一つの教訓だと思います。

日本社会全体としての観念論も必要な時がくるとは思いますが、
まずは具体性を持った議論が必要な時期だと思います。

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