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No.1501に関するツリー
- ▼-忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは? [makさんより] (2011/11/12 04:02)
- └Re:忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは? [のぶこ] (11/18 22:02)
- ├Re[2]:忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは? [maji] (11/25 14:18)
[1501] 忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは?
- 投稿者
- makさんより
- 投稿日
- 2011/11/12 04:02
WEB多事争論の中で、RCサクセションおよび忌野清志郎の話題が度々出てきますが、今回取り上げてみたのは「軽薄なジャーナリスト」の歌詞の一部分です。
>軽薄なジャーナリズムに乗るくらいなら
>軽薄なヒロイズムに踊らされるくらいなら
>そんな目にあうくらいなら あの発電所の中で眠りたい
これを見て、当時の忌野氏はどのような想いをこの歌詞に込めたのかな、と思いました。
私は、当時の反原発の主張やメディアの論調が膨らむ中で、センセーショナルに取り上げられ、忌野氏の主張や歌詞に対して賛同の声が寄せられていたが、その声に対しても「反発精神」を込めていたんじゃないか、とも思うのです。原発には賛成していない、だけど軽薄なジャーナリズムには乗りたくないし、軽薄なヒロイズムにも酔いたくないという、彼が悩み、考え抜いた上での主張が。
自分の頭で考え、自分で情報を集め、賛成・反対両方の主張を俯瞰して目を背けず、その上で自分で責任を負って結論を出し、主張する。「俺に寄りかからずに、自分で主張しろ!」という想いが込められていたのではないかと思うのです。
皆様はどのような感想をお持ちになったでしょうか。
[1503] Re:忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは?
- 投稿者
- のぶこ
- 投稿日
- 11/18 22:02
当時は、反原発アルバムが発売禁止になって、話題だけが1人歩きしていたのではないかと思います。
ジャーナリストにもうんざり
レコード会社にもうんざり
大衆にもうんざり
全部 うんざりしていたのでは・・・
[1511] Re[2]:忌野氏の「軽薄なジャーナリスト」に込められた想いとは?
- 投稿者
- maji
- 投稿日
- 11/25 14:18
『原発賛成音頭』なんかもやってる忌野さんだが‥‥
‘あの発電所の中で眠りたい’の歌詞は、’『covers』素晴らしすぎて発売できません’騒動の中、『コブラの悩み』B面の最初の曲‘軽薄なジャーナリスト’にあった。『covers』と同時期のライブ版で、こちらは問題の東芝EMIからだされていた。
B面の最後の曲、”君はLOVE ME TENDERを聴いたか?”では
”君はLove Me Tenderを聴いたかい ぼくが日本語でうたってるやつさ あの歌は反原発の歌だってみんな言うけど ちがう、ちがう、それはちがうよ あれは反核の歌じゃないか”と歌ってる。
遠いソビエトしかも共産国のチェルノブイリ原発事故の2年後、世界的は反原発のうねりのさなかだった‥近頃みた、福島瑞穂さんと高木仁三郎さんの奥さん久仁子さんの対談の中で、当時の’反原発’は何処か他人事だったと反省の弁が語られていた‥‥‥
当時テレビキャスターも放射能の危険性を深刻な顔で訴えつつ、マスコミは繰り返し「チェルノブイリの事故は、旧式な黒鉛炉式原発だったことが原因だ‥‥’こちらの島国’の原発は共産主義のソ連の原発、黒鉛炉とまったく違ったきわめて安全な原発です。」という’ニホンのゲンパツはアンゼンです’という宣伝文句を語ることを忘れなかった。
(黒鉛炉はプルトニューム抽出に有利で軍事利用しやすい。この島国の最初の実験炉もイギリスの黒鉛炉系だった。)
ちょっと考えれば、そういった浮ついた’反原発’では原発が無くなることはない。だから‥‥‘あの発電所の中で眠りたい’‥‥ボクは原子力発電所の中で眠ってるようなもんじゃないの‥‥‥とキヨシロー云ってるように思える。
今回の3.11福島第一原子力発電所の事故は、しかし、’この島国’で起きた。一刻も早くすべての原発を止め、廃炉にしなければならない。