「日刊争論」では
日々のニュースに対する「ご意見」を募集しています
WEB多事争論編集委員が立てたトピックに、
あなたの「異論」「反論」、お待ちしています
No.1507に関するツリー
- ▼-【訃報】立川談志逝く [編集委員] (2011/11/24 00:25)
- ├Re:【訃報】立川談志逝く [木村] (11/25 02:54)
- └Re:【訃報】立川談志逝く [島田陽一(仮名)] (11/26 15:49)
- └Re[2]:【訃報】立川談志逝く [木村] (01/25 01:40)
[1507] 【訃報】立川談志逝く
- 投稿者
- 編集委員
- 投稿日
- 2011/11/24 00:25
きょう、飛び込んできた訃報。
“落語界の風雲児”こと立川談志さんが二十一日に喉頭がんのため死去。
75歳でした。
毒舌、天才、破天荒…と、評される談志さん。
演芸のみにとどまらず、社会を斬る目も持っておられたと思います。
またひとつ、大きな星が逝きました。
ご冥福をお祈りします。
[1508] Re:【訃報】立川談志逝く
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 11/25 02:54
住んでいるのが大阪であり、世代的にも若干ずれていますので、正直リアルタイムで見た覚えはないですね。
しかし、なんやかやでいろんな逸話が聞こえてきており、その武勇伝的なものを聞くたびにいつか高座を見に行きたいななんて漠然と思ったものです。
まあそう言った、人に聞いた話やら、どこぞで聞きかじった話やらでしか、知りません。
その上であくまで個人的な感覚での話で申し訳ありませんが、
”ああ、ややこしいジジイがようやく居なくなったよ、清々したよなぁ”
みたいなことを言われるのが談志さんにとって一番の供養になるような気がするんですよねぇ。
また、彼が得意とした”らくだ”よろしく、死すら笑いのネタにすべきなんじゃないですかねぇ。
最近テレビがつまらなくなっていると言われ久しいです。
談志さんのような人がいないからと分析する人もいますが、
談志さんのような人が出てこれない環境がテレビに出来ているような気がするんですよ。
”祝!立川談志、地獄への片道旅行壮行会”みたいな番組ぐらいできないんでしょうかねぇ。
毒蝮三太夫さんでしたっけ?
談志さんを電車が入ってきているホームに突き落とし、大笑いした人って。
談志さんが怒ったら、”洒落だよ洒落”と言って済まし、談志さんも納得したとかしなかったとか。
芸人さんって、一般のいわゆる普通の人と違う人であって欲しいというのは、現在ではむつかしいような気もします。
くだらないモノを真面目に議論するとき、くだらないモノを立派なモノとしてからでないと真面目に議論できないような気がします。
テレビなんて嘘ばかりなんだから、そのまま信じちゃいけないよ。という状態から、テレビの地位を確立するために、テレビを立派なものにするようにしました。
それに伴いテレビにでている芸人さんも、普通の人が憧れる存在にならざるを得ない状態になってしまっているような気がするんですよね。
くだらないモノをくだらないモノとして、その上で、真面目に議論できるようにしたいんですよねぇ。
くだらないモノはくだらないからこそ、その存在意義があり、必要性があると思うんですよ。
落語家なんかろくでなしだ、ろくでなしが政治家やってるんだから、ろくでもないことやるのが当然だろう。というようなことを談志さんは政治家の時、やっていました。
朝から、テレビでは結構の番組で追悼特集みたいなことをやられていたみたいです。
せめてどこか一つぐらいは祝杯のひとつでも上げていることを望んでるんですがねぇ、どうなんでしょう?
プロレスなんかでは、悪役はどんなに人気があってもきちんと罵声を浴びせるべきだという考え方があります。
毒舌家は、毒舌家である以上、嫌われてなんぼの世界だと勝手に思うんですよ。
落語家風情が社会を斬るなんて、お笑いだねだという煽りがあって、
落語家風情のいうことに、目くじら立てるなんて人間できていないねぇとか、笑わせるのが商売だよとかの返しが出来るんですよねぇ。
弟子(?)のビートたけしさんなんかも最近同じような目にあっていることが多いんですよね。
特に報道番組に出てインタビューを受けている時なんか、ボケをかましているのに、感心されているという場面をよく見ます。
おかげで借りてきた猫のようになっているような気がします。
そんな中、一番のびのびやっているのがニュースキャスターです。
安住さんのフォロー力というかスルー能力というかわかりませんが、見事にかみ合ってビートたけしさんがのびのびやっているように見えます。
お通夜っていうのは故人をしのぶものって意味もありますが、故人に対し、こっちはこっちで楽しくやるから、心配せずに迷わず成仏して欲しいということで馬鹿騒ぎをする意味もあります。
そういう意味で今週のニュースキャスターは実に楽しみなんですよねぇ。
そういや、談志さんってご冥福祈ってよかったんでしたっけ?自殺はできないとか言う発言を聞いた覚えがあるし、ミサに行ったとかどこかで読んだような気がするので少し気になります。
それとも編集委員さん一流の牛ほめならぬ・・・あんまり言うと野暮になりますね。
[1513] Re:【訃報】立川談志逝く
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 11/26 15:49
立川談志さんは、最近あまりテレビでは見なくなっていました。
体調が悪いということも、もちろんあったのでしょうが、3年ほど前の「情報バラエティ」番組で以下のようなことがありました。
ある人についてコメントを求められた談志さんが「彼のような一家言も二家言もある奴がテレビで取り上げられるようにならないと…」という、どちらかと言うとマスコミや世論への注文を述べていたのですが、ご丁寧にテロップが付けられ、ひな壇芸人たちが口々に「言っていることが難しすぎる」と言っていました。
筑紫さんは著書の中で、言葉を知らない若者に対して「責める」というよりは憐憫を含んだような目を向けていたようですが(自分を含めた大人の世代の責任としてとらえていたようです)、責任の所在はともかく「問題である」という認識もあったようです。
今の日本には色々難しい問題が山積していますが、談志さんの言葉を「難しい」と言って苦情をいうような世代に果たして解決が出来るのか?
軸を失った社会を立て直すのは、なかなか容易なことではありません。
[1540] Re[2]:【訃報】立川談志逝く
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 01/25 01:40
去年の夏ごろ、この言葉を見たとき、友人が理想的な職場だなと言いました。
どういう意味か聞いてみると、午前3時間午後4時間の7時間労働とはありがたいよなと言う意味らしい。
もちろん本来の意味は知っていました。
友人と別れた後、少し考えてみると、節電だかなんだかで、朝早く出て仕事をしろというよくわからない風潮があり、
朝四暮四どころか、朝四暮五、六をしようという職場の雰囲気に対するギャグではないかと思ったわけです。
きちんと話さなければ、その人のことを”言葉の知らない人”と見てしまうかもしれません。
少なくてもこの友人は”ツッコミ待ち”だったわけですが・・・
わからないことがあれば、聞く、もしくは確認するという姿勢は必要だと考えます。
とはいえ、普通の席で、以前のちょっとした話を、蒸し返すのもなんとなく照れくさいものです。
向こうもちょっとしたギャグをいつまでも覚えているわけではないでしょう。
しかし、こういった掲示板では、発言はある程度残ります。
ということで年を越しましたが、投稿させてもらいました。
「情報バラエティ」番組がなんなのかはわかりません。
しかし、島田陽一(仮名) さんの話から感じたのは、談志さんに対しひな壇芸人が言った言葉は苦情ではないと思ったのです。
ひな壇芸人といってもその大半は、舞台や劇場などで漫才やコントをしている”芸人”です。
談志さんも落語家すなわち芸人です。
芸人が芸人に対して、「言っていることが難しすぎる」というのは、なにか?ということです。2種類ほど考えられます。
ひとつは、”ネタフリ”
例えば、談志さんが”この程度もわからないのか、**野郎ども”と返していれば
”**って言われたよ。でもでもでもそんなの関係ーねー”とできる芸人がいるかもしれません。
もうひとつは、”ダメだし”
ひな壇芸人を極めんとしている芸人もいます。
そういった人たちの中に土田さんという人がいます。
その人が話していましたが、番組のプロデューサーやディレクターがどのような番組を作りたいかを考えて番組での行動を決定しているそうです。
その言葉を考えれば、ひな壇芸人にとってニーズを探る”客”と言うべき存在は、スタジオの客でもお茶の間の視聴者でもなく、番組のプロデューサーやディレクターです。
それであれば、談志さんの話というのは、番組にあっていなかった。雰囲気を変える必要があったと考えれるでしょう。
かつて遊郭に太鼓持ちという芸人がいました。
遊郭には様々な人たちがきましたが、これから宴だというときに、世の理を、喧喧諤諤と話し合って入れば、太鼓持ちは、「旦那がた、むつかしい話はこの辺にして、」ということでしょう。
それが仕事です。そういう意味でガヤ芸人とも言われるひな壇芸人は、その番組の中で”仕事”をしただけです。
もちろんこのようなことを言っていても、その番組がなんであるのかわかりません。
今の世の中、「情報バラエティー」番組の中には、タイトルの中に”報道”だの、”ニュース”だの”ドキュメンタリー”だの付けているものも多いのです。
私もそういった番組に出ている人を”MC”とよんだりしています。
解説員の中には、ひな壇芸人と区別が付きにくいテレビの出方をしている人もいます。
最近では武田邦彦氏なんかそうですね。大阪の橋本市長も弁護士時代は、ひな壇芸人と解説員、どちらもできるというような形で番組に参加していました。
とはいえ、本人がそう言った自覚がありその時に応じて必要な仕事をしている人もいますが、解説員でございという顔をしていながら、やっていることはひな壇芸人並みという無自覚の人もいます。
この間某なんとかステーションを見ているとそこに出ている解説の人なんかの無自覚ぶりはすごかったです。
本職が新聞の解説員らしいんですが、専門の教授が来ているのに、分かったようなことを言っているんですよ。
微妙に間違えているらしく、教授が苦笑しながら、改めて説明をしている横で、ドヤ顔を晒しているその状態は、”滑り芸”と言われるものだったんですが、
ツッコミ役がいないため少しの笑いもなかったですね。
そう考えると、”談志さんの言葉を「難しい」と言って苦情をいうような世代”とはなんぞやという話になってきます。
もしかすると「問題である」という認識がありながら、なんの解決もしないような世代のことではないかと思ったわけです。
このようなことをいちいち質問していたも、相手に失礼なだけです。
こういう場合は国語の教科書に則って、質問をしたいと思います。
最後の一文に全てまとまっているはずです。
という訳で、質問なんですが、
軸を失った社会という記述がありますが、軸を失ったのはいつですか?
もしくは軸を失う前の社会というのはいつの時代の社会のことでしょうか?
トマス・モアにユートピアはどこにあるんですか?という質問をしているように思いますが、
まあ、確認ということで。
実際、随分前の文章に対する質問なので、読まれるかどうかもわかりませんが、ひまでしたら答えていただけると嬉しいなということでお願いします。