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No.1538に関するツリー

[1538] 1・17

投稿者
WEB多事争論編集委員
投稿日
2012/01/17 11:20

阪神・淡路大震災から17年がたちました。
震災で6434人の方々が亡くなりました。
今年は、東日本大震災が起きた午後2時46分にも
神戸で黙とうが行われるそうです。
震災から17年。
あなたは何を思いますか?

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[1539] Re:1・17

投稿者
金平茂紀
投稿日
01/22 23:32

うーん。誰も投稿しないし興味がないと思われるのも嫌なので、今年の1・17に考えたこと。
今年の1・17は前年までの風化傾向に歯止めがかかった。言うまでもなく、東日本大震災による記憶の再生が作用した。
そこで考えたことは、メディア空間において、出来事がより強度の大きな出来事によって「上書き」されてしまうこと。これは残酷な現実だ。僕らが強く反省・留意しなければならないことだ。
1995年においては、阪神大震災がオウム事件によって上書きされ、
2011年においては、大震災被害が原発事故によって上書きされ、
より大きく言えば、阪神大震災が東日本大震災によって上書きされた側面はないだろうか。
記憶と記録を風化させない覚悟。これをこころに銘記しよう。

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[1542] Re:1・17

投稿者
等々力為五郎
投稿日
01/30 01:04

阪神・淡路大震災から数年たったときに、テレビで「一生働き続けても返せない」ほどの借金を負った人のことを耳にした記憶があります。家や財産を失うということは、たぶん普通の人間にとっては一生経済的な影響を与え続けることであり、去年の大震災も同様だと思います。

先ごろ消費税増税案が報道されましたが、消費税それ自体は「公平」ではあっても境遇によって負担感は相当にちがうはずです。
IMFが消費税15%でも不十分といっているというから、おそらく将来的にはもっと引き上げられるでしょう(IMFのいうことに、日本が海外に対して持っている債権がどのくらい考慮されているのかは分かりませんが)。

「格差社会」という言葉が流行語としての旨味がなくなってきたにしても格差は依然あるわけで、食うや食わずの人たちのことはもっと考えられてしかるべきなのかもしれません。

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[1546] Re:1・17

投稿者
傑作かな
投稿日
02/07 07:53

あの日は今から思えば予兆があった。
前日に近くの山で今までにない多くの烏が飛び、泣き声を上げていた。
飼っているハスキー「モモ」がクーン、クーンと珍しく鳴き続けた。
その翌日早朝に激しい揺れに起こされ、瞬時に外にいる「モモ」のことを思い、
玄関ドアを開けてやると、一目散に私のベッドに駆け上がった。
暗い中で揺れが続き、全員で震えていた。少ししてラジオから当地に住んでいる
NHKのアナウンサーが電話で窓越しの状況を伝えていた。
「眼の前に高速道路が倒れています」と。

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[1566] Re:1・17

投稿者
木村
投稿日
02/28 03:05

阪神淡路大震災の記憶がまだある中で、東日本大震災という記憶が追加されました。
長く生きれば生きるほど、悲しい記憶や忌まわしい記憶が増えていき、1年365日全てに嫌な記憶ができるというのは、勘弁してもらいたいものです。
だからこそ、嫌な記憶をつくらないように頑張らなきゃいけない。そう思うんですよね。

この間、神戸に行く仕事があり、ちょいと足を伸ばして見に行きました、鉄人28号を。
(説明をしておくと兵庫県神戸市長田区にある鉄人28号のモニュメントです。震災復興やらのためのプロジェクトの一環として作られました。ちなみに最寄り駅はJR新長田です。)
ビルの谷間に、拳を挙げている姿は、災害と戦う姿にも、未来に生きようと意気込みにも、いかようにも取れ、感慨深いものがありました。
ちょっと興奮したものですから、”鉄人28号白昼の残月”というDVDを借りてみました。
最近作られたアニメ映画だったのですが、なかなか面白かったですよ
まず鉄人28号がなぜ作られたかという設定が面白い。
戦後まもなくの時代に、機関銃の弾丸をはじき返すその装甲などの性能が示すとおり、戦争終了間近に開発された”兵器”と言う形で話はすすんでいきます。
兵器が正義のロボットになるのもおかしな話と思いますが、兵器としての鉄人28号もまた、正義を行うものなんですよねぇ。
それは戦争中の”大人”の正義。軍人の言う正義。政治家の言う正義。学校の先生や、新聞、ラジオがいう正義。一億総火の玉、玉砕覚悟という正義
そういった全てを破壊するかもしれない”正義”のため作られた”兵器”が、ようやく平和がすこし回復した時代に、その平和を守るための”正義”のために使われる。
それも子供の正義感によって。なんとも皮肉な話です。

今回の震災でもそんな皮肉な話がありました。
税金の無駄遣いと言われた巨大ダムが住民の逃げる時間を、数秒でも長くしたそうです。
お年寄りの終の住処となる場所を無理やり追い出せないために、安全性をわずかにでもあげる可能性のある護岸工事ができず、巨額の予算が消費されていたりもします。

人の情けや優しさが原因で被害が広がるかもしれない。
くだらない意地や中抜きするための工事が人の命を助けたりする。
そんな皮肉がまかり通る世の中で何を頑張ればいいのやら、悩みもします。

テレビに映っていた孫のことを偲んでいたお祖母さんの姿を見て、儚い美しさを感じてしまいました。
それと同時に、子供が生き残るべきなんだよなぁという思いが浮かんでいました。

とはいえ自分が水知らずのガキのために**るかと言われれば、無理と答えるでしょう。
でも腹をすかしている子供がいたら、カッコをつけて最後の食料を上げるかもしれない。
今日の食い扶持と、未来の理想を選ぶとなれば、ついつい、かっこをつけて未来の理想を叫びたくものです。
しかし今日を生きなければ、明日を生きることもない。どちらもなくなることを考えれば今日の食い扶持を選ぶべきなんでしょうか?

震災や水害、台風や今の寒さによる雪。
世界的に見ても日本は地理的にそれほど恵まれているわけではありません。
その代わり四季の美しさを知ります。
恵まれていない分自然との調和を考え、ため池などの水害対策を行ない、実に素晴らしい環境を手に入れました。
しかしその環境を維持するために、3男坊以降の男は仕事どころか居場所がない、嫁の人権無視、人減らしなど様々な問題のある因習があったりします。

良いことだけではないし、悪いことばかりでもない。それは今だけではない。昔からのことだとわかっていますが、あれほど大きなことがあると、そんな言葉は吹っ飛びます。
一時期、日本中が、良いことを探すことすら、はばかられるような状態がありました。

”この世に生まれた奇跡を全力で受け止めようと思う”
あるロボットの人形の写真集のコピーなんですけどね。
小さなロボットの人形が本を読んだり、道を歩いたり、何気ない日常を営んでいる写真なんですよ
割と人気なんで買ってみたんですが、意外と癒されています。

なんだかんだ言って、普通の生活、”日常”を営んでいくことが一番大切だと思うんですよ。
それが奇跡を全力で受け止めることだと思うんですよ。
だから、日常をできる限り簡単に営めるようにしていく努力が必要だと思うんですよね。

こういった非日常となった災害などを、記憶として残していかないといけないという人がいますが、なぜ残すべきなのか言う人がいないんですよね。
多分、当然だから言う必要はないだろうという判断なんでしょうけど、正直私は、理由をきちんとしていたほうがいいと思うんですよ。
覚えておく理由は、きちんとした対応方法がないのに忘れてれば意味がないからだと思うんですよ。
例えばある場所で転んで怪我をした。同じ場所で転ばないように、転んだことを忘れずに気をつけるべきです。
そういうのが学習です。
転んでも怪我をしないようになれば、忘れてしまっていいんですよ。
訓練をしたり、普段暮らしていくには不要な建築物をつくる。その理由を忘れてもいいんですよ。
その代わり、なぜだろうと思えば、調べるという人間を育てることができればいい。
調べたら、きちんとそのいきさつがわかるような環境ができればいいんですよ。

「あの時はホントに大変だったわ」と笑い話にするためには、同じようなことが起こっても大丈夫なようにしなきゃいけない。
やらなければいけないことはたくさんあるんですよね。

とりあえず全力で、いい加減に生きていくしかないんでしょうかね・・・

最後に卑怯な質問を一つ。
あなたが死んだあと、知り合いに自分を偲んで泣いていて欲しいですか?さっさと吹っ切って笑って欲しいですか?

ロボっトっていうのは、人間の代わりをしてくれるものです。
鉄人も小さいロボットも、人間のかわりに泣いてくれてるような気がします。

どう思われようが、人間ていうのは笑いっていうのを一番大切にしたいと思いますねぇ

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