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No.1543に関するツリー
- ▼-石原新党 橋下新党? [編集委員] (2012/01/30 01:38)
- ├マスコミが変われば政治も変わる? [島田陽一(仮名)] (02/12 22:05)
- │├Re:マスコミが変われば政治も変わる? [Nisha] (03/15 02:21)
- ├Re:石原新党 橋下新党? [等々力為五郎] (02/19 07:40)
- │└Re[2]:石原新党 橋下新党? [傑作かな] (02/20 07:18)
- ├英雄史観 [島田陽一(仮名)] (02/24 23:55)
- └Re:石原新党 橋下新党? [木村] (02/28 02:53)
[1543] 石原新党 橋下新党?
- 投稿者
- 編集委員
- 投稿日
- 2012/01/30 01:38
東京都の石原知事が
新党に意欲を示している。
あの年齢にして、まだ
意欲満々。
大したものだな~
と思う半面...。
保守勢力の結集?
この時代の保守って。
と思わず、
心のつぶやきが..。
そして、石原氏は、
大阪で圧倒的な人気を誇る
大阪市長になった
橋下氏にエールと秋波を送る。
その橋下氏
大阪の改革をうたい
公務員の給料、人員削減、
役所の内部を敵にみたて、
大改革を敢行する...。
なんだか、
過去、とある総理大臣が
「抵抗勢力」という言葉を生み出し
世論を味方につけた手法を思い出す。
支持率70%を維持しながら
蓋をあけてみたら、
改革の名の下に、
一体、日本社会は
どうなったことやら..。
さて、この大人気の
橋下さん...。
人気なのは、
大阪市民や府民に対して
だけではない...。
政治家でいうと
橋下氏に接近しているのは
石原氏のみならず、
みんなの党の渡辺代表。
橋下大阪市長が率いる大阪維新の会と
連携して総選挙に臨みたい..との意向を表明。
愛知の大村知事も、その流れに
のろうとしている一人だ...。
改革の旗をたて、
人気者にあやかろうとする構図は
自民党の長期政権が、民主党政権とかわってから
より顕著になってきているようにも思えてならない。
しかし、保守をかかげる石原新党、
さらには、石原氏が
ラブコールを送る、橋下氏の動き...
これは、一体、この国に
何をもたらすことになるのだろうか...。
[1549] マスコミが変われば政治も変わる?
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 02/12 22:05
石原慎太郎さんという政治家は、少しばかり自己矛盾をはらんだ政治家であります。
と言いますのも、彼は保守的、ややもすると右翼的な立場で発言をしておりまして、いわゆる「ポピュリズム政治家」に対しても相当厳しい批判をしております。一方で実は彼自身が「ポピュリズム政治家」というカテゴライズをされることもあります。
既成の権力に対する「鋭い舌鋒」「明快な発言」はひょっとすると相当数の日本人の潜在意識を代弁し溜飲を下げているのかも知れません。これは橋下徹さんにも共通している特徴でありますし、小泉さんも理念や動機はともかく、手法としては同じであります。
モノゴトを革新的に動かそうとするときに、官僚的な玉虫色発言はあまり役に立ちませんから、「ワンフレーズ」も仕方のない面があろうかと思います。リーダーに求められるものの一つは「クリアなビジョン」と言われます。
かと言って「ドイツ人のアーリア化」という大変クリアなビジョンで人類史上最悪とも言える虐殺をした人もいるわけですから、問題は中味であるということは言うまでもありません。
ドラッカー氏は著書の中で「誠実さ」の重要性を繰り返し述べております。この「誠実さ」は原著ではIntegrityと記されています。
Integrityという言葉はITの世界、特にデータベースに求められる性質という用途でも用いられていて、「データ間で整合性が取れていること。首尾一貫していること」という意味合いで使われています。時と場合によって発言をころころ変えるような人は「一貫性がない。すなわち誠実でない」ということになりそうであります。この一貫性を支えるものは何かというと、私は「その人がどれだけ現実に対する深い理解があるか」であると考えています。
テレビなどで流される彼らの発言を見ていると、とても「現実に対する深い理解」があるようには思えない。それは、本当にそういった発言をしていないのか、発言はしているのに「難しい話」は編集で全部カットされているのか。そうだとしても「ワンフレーズ」には反映されていない。
養老孟司さんは以前、福島原発の事故が起きたときに
「今ある原発を今後どうするかという話に関して言えば、政治の問題ではなく『技術』の問題である。日本では本来技術の問題に政治が入り込んできておかしくしてしまう」
という話をしていました。それは例えば「教育」についても同じような話が言えて、教育現場においては「教育技術」というものが歴としてある。学力低下の話と日教組や戦後民主主義の話を絡めて政治的なものにしてしまった途端、現場が置き去りになる。
そう考えていきますと、「現実に対する深い理解」というものが土台にないまま、痛快で胸のすくような発言を繰り返す人がそれなりの地位と権力を握っている現状は決して良い状態とは言えないと思います。
筑紫さんはNEWS23のキャスター時代、番組の無い週末は東京を離れ、地方に赴いていたそうです。彼ほどの立場であっても、東京に身をおいたままでは見落としてしまう現実があったのでしょう。ジャーナリストとは何かと聞かれた筑紫さんは「永遠の大学院生」と答えたそうですが、筑紫さん個人に限って言えば「永遠のフィールドワーカー」という印象を持ちます。
個人的にはマスコミが変われば政治も変わるのではないかと思っています。
その変化の「方向性」として筑紫さんのジャーナリストとしての姿勢は目標になるのではないでしょうか?
[1590] Re:マスコミが変われば政治も変わる?
- 投稿者
- Nisha
- 投稿日
- 03/15 02:21
Hats off to wohever wrote this up and posted it.
[1557] Re:石原新党 橋下新党?
- 投稿者
- 等々力為五郎
- 投稿日
- 02/19 07:40
もともと大阪市は役人天国であることが大変問題になっていたところで、市民の方々は現状を変えたかったのでしょう。
だから若くて実行力があって「キャラが立っている」橋下さんの人気があるのは当然のことです(キャラの立ちっぷりなら石原さんも負けてはいませんが)。
人気があって影響力があれば、選挙に「命」がかかっている議員さんたちは自分もあやかりたいので当然ながら接触を図ろうとする。
そうすると視聴者や読者の「ニーズ」に応えなければいけないマスコミは取り上げないわけにはいかない。
橋下さんのやることに好感を持てない人にとっては警戒すべき事態なのかもしれませんが、選挙民も議員もマスコミも意図的な悪意に基づいて動いているわけではないでしょう。
問題があるとすれば、我々と政治の関わり方が、首長が誰だとか政局や政界がどう動いただとかに限定され、何よりそれが「どう報道されるか」に影響される「テレクラシー」の現状が進行していることではないでしょうか。
しかし地方自治は民主主義の学校だといわれるように、政治は何も中央政界と自治体の首長だけで成り立っているわけではありません。身近なレベルで良き議会をどう形成し積み上げていけるかが社会の質を決めていくのだと思います。
駅前で演説をしている議員さんのビラを誰も受け取らないような現状で、身近な市議会だとか町議会だとかに一人ひとりがどれだけきちんとコミットメントし、監視できているか。
その視点からするならば、島田さんのおっしゃるように政治と報道の「フィールド」はもっと分散し「下降」されてもいいのかなと思います。
[1560] 英雄史観
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 02/24 23:55
「保守系の知事」の存在感が増している現状について、もう一つ述べたいと思います。
日本の学校教育における歴史の教え方は、端的にいうと「英雄史観」的な色合いが強いように思われます。
例えば、奈良の大仏を建立したのは「聖武天皇」と教わります。ところで、実際に作業に携わったのは当然ながら庶民ですが、どうやって動員されたのか、彼らの風習や価値観はどうだったのかなどという話は学校の授業ではあまり出てきません。年表で歴史上の出来事と時の権力者とを安直に結びつけて記憶することはしても、そこに民衆がどう関わっていったかという観点は忘れがちであります。しかしながら、歴史の流れというのは権力者たちの動きによってのみ決まるものではありません。例えば一昔前に話題となった網野義彦氏の歴史観などは、中世の庶民にフォーカスしたものとして、ジブリ映画の「もののけ姫」の時代背景としても取り上げられる程、興味深いものとなっています。このように歴史を捕える観点は他にもあります。
こういった歴史に対する見方は、大人になってからも引きずってしまうものでありまして、英雄史観に偏った教育を受けていると、「時の権力者が優れていればモノゴトは上手く運び、逆の場合はろくでもないことになる」という、ある意味「民衆不在」「ヒーロー待望」の歴史観に陥りがちであります。そういった歴史観の持ち主が増えれば増えるほど、目立つ言動を行う人が政治的なリーダーとして力を持つようになります。
教育政策を論じる際に「歴史をもっと教えよう」という話はこれまでも出ていますが、どう教えるかが大事でありまして、歴史観とはつまるところ「社会観」であります。他国との関係における「自虐史観」が問題とされることがありますが、それよりもまず「民衆」すなわち我々の自虐史観の方が問題なのではないかと思われます。
[1565] Re:石原新党 橋下新党?
- 投稿者
- 木村
- 投稿日
- 02/28 02:53
こういう政治家が付き合ったり別れたりするのを好きな人っていますよねぇ。
もちろん、政治家の信条やら思想やら、支持団体やらを考えた上で、そのことを考慮すると
今後の行動を予想する要因になるのはわかるんですが、現実的に要因になっているのかと考えると、・・・
だいたい石原新党なるものも、参加する人を見れば何をしたいのか、何をできるのかよくわかりません。
それこそ編集委員さんの心のつぶやきも理解できるというものです。
特に橋下氏の人気を”改革の旗をたてたこと”によると判断していれば、保守勢力を結集している人が、改革の旗を振ってる人にラブコールを送っているっていうことになり、
混乱すること間違いなしです。
ことあるごとに世代交代をうったえる私に言わせれば、日本の美しい美徳である
”還暦過ぎれば、赤いチャンチャンコを着て縁側で猫でも抱いてうたたねする”
と言うのを保守して欲しいですね。いや割と本気で・・・
それにしても橋下氏の”人気”ですか・・・
全国的の人気と大阪の人気はかなり違うような気がしてるんですよねぇ・・・
大阪で大勝した理由は3つあると思うんですよ。
1.大阪で”人気”が出る要因のひとつは”オモロイ(面白い)”ということ
2.大阪の人間は、基本的に役所や政治家に、この国の将来を任せていると思っていない
3.大阪は商売の街であるため、政治手法に、市場的な考えを導入することに違和感を感じない。
1のみを見て問題ありと判断される早とちりな方が、よくテレビに出てるように思いますが、
結局2を理解していないんですよね。
政治が、商売やら仕事の邪魔している。足を引張っているという考えが実際多数を占めているような気がします。
ですから、市長にしても知事にしても”邪魔さえせぇへんかったら、なにしててもええ”と思っているのが、大阪の人間です。
”おもろいニイチャンが、馴染みのあるやり方で政治をやっとる。”
端的に言うと、橋下氏の”人気”はこういうことだと思います。
あと、政治家が、人気がでたと思うんなら、その手法を真似すべきと思うんですよ
ですが、おそらくその手法は、ほかの地域の人にとって、かなり違和感を感じると思います。
お節介なほかの地域の人が、そのことについて批判とかをしていますが、商売に携わっているのであれば、当然であり違和感はありません。
そういえば、ほかの地域の人にはコンビニなどで、モノを買ったとき、客が”ありがとう”を言うことに違和感を感じる人がいるそうです。
少なくても大阪では、”商取引がうまくいったことに関してお互いに感謝する”という意味でありがとうを言います。
こういったふうに地方によって考え方とかいろいろ特色があるはずなんですよね。
だからこそ、橋下氏の政治手法を真似るではなく、その地方にあった政治手法を確立すべきだと思うんですよ。
まあ、語尾にみゃあみゃあ付けるのはどうだろうって話ですけど・・・
とにかく地方自治をしようという形に成り始めたような気はします。
そういう時に必要なのは、やはり情報!
その情報を取得するのは・・・
なんになるのでしょうかねぇえ