日刊争論

「日刊争論」では
日々のニュースに対する「ご意見」を募集しています
WEB多事争論編集委員が立てたトピックに、 あなたの「異論」「反論」、お待ちしています

No.1561に関するツリー

[1561] 年収300万円ダウン

投稿者
編集委員
投稿日
2012/02/27 21:56

大阪市は、橋下市長の指示のもと、市営バス運転手の給与をおよそ4割削減し、平均年収739万円から民間なみの平均460万円程度にまで引き下げる方針です。巨額の赤字を抱える現状では当然の措置とみるか?それとも一気に4割削減では生活破壊に繋がるとみるか?ご意見をお寄せ下さい。

投稿する

[1562] Re:年収300万円ダウン

投稿者
高橋和也
投稿日
02/28 00:18

 そもそも赤字でもそれが公共サービスとして価値があり必要だから税金が投入することが許されるのであって、市営バス運転手の生活を守るためではないと思います。

投稿する

[1563] Re:年収300万円ダウン

投稿者
木村
投稿日
02/28 02:18

物事を判断するためには、情報をきちんと整理しなければいけません。
そうすることによって解決策はいくつか出てくるかもしれません。
出ている情報は
・市営バス運転手の平均年収は739万円
・民間のそれは460万円
です。

平均というのはなかなかむつかしいものらしく、最高学府たる大学生でも4人にひとりは
説明できないそうです。

ですからひとつづつ、考えていきましょう。
平均年収とは、おそらく全員の年収を足したものを人数で割ったものでしょう。
ということは、
20人のクラスでのテストの平均が5点という場合、
一人が100点で残り19人が0点でも平均は5点ですし、
20人全員が5点でも平均は5点です。
もしかすれば、誰か飛び抜けて多くもらっている可能性もありますし、全員がそれなりに高い場合もあります。
・・・何となく、この文章を一言で済ませられるような気もしますが・・・

とはいえ、日本はそれほど一人にだけ高い給料を払うことをよしとする文化を持っていません。
その代わり、年齢が高くなればなるほど、給料が高くなるようになっています。
ということは、少ないベテラン運転手がとんでもない高い給料を貰い、若い運転手はやすい給料でこき使われているかもしれません。
もし安い給料というのが年収100万ぐらいなら、四割カットで60万になります。暮らしていけません。かわいそうです。
だいたいベテラン運転手になったからといって、バスの運行上メリットがあるのでしょうか?
運転技術が良いからといって、乗り心地がいいとは思えません。早く着くと言われても、時刻表通りに付いてもらわなければ意味がありません。
だいたいバスにしても電車にしても若い人の方が親切だし、やる気を感じられます。
老人いじめと言われようがベテランの給料をとことん減らすべきだ!などと思いますが、現実的にそういう状況なのかを調べる必要があります。

しかしテレビや新聞にそのような情報はありません。
日本というのはなんという情報後進国なんだろうと、嘆く・・・・前にインターネットで検索してみました。

すごいですね。すぐに見つかりました。さすがに最新版は見つかりませんでしたけど平成20年度版が見つかりました。
URLをみると大阪交通局が出しているものらしいので、信用できます。

で内容を見てみると・・・やっぱり、素人がものを考えると、ダメですね。
安い給料でこき使われる若者はいませんでした。
いや、年代別の給料が見つかったわけではないんですよ。
つまり、”若者”がいないんですよ。
20代が0人ですよ・・・
30から34才が7人・・・
最年長となる55から59才が15.1%ですよ・・・・

それが平成20年の情報です。4年でどうなったかわかりませんが、この状況が劇的に変わっているとは思えません。
20年後どうするつもりなんでしょう。はっきり言って会社として、”終わっている”と言っていいんじゃないですか?

とりあえず必要となるのは、世代交代でしょう。
ベテランに早期退職を促して、若者を雇用する。
年齢構成もキレイになるし、平均年収も下がる。いいことづくめです。
人件費は上がる可能性はありますが、平均年収を下げると言っている訳ですから嘘は言っていません。
まあ、どういうやり方をするのかは、橋下市長の手腕に期待ですね。

あ、そういえば、民間バスの年齢構成を調べていませんね。
やっぱり”平均”ってものを利用するのは、むつかしいですねぇ。

投稿する

[1568] 代償を伴う自由

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
03/04 13:54

 私たちは、主に科学技術の発達により色々な「自由」を勝ち取ることが出来ました。
 交通手段もその一つでありまして、より短時間でより遠くまで到達することが可能になったことで、「自由」が拡大したということに対してそれ程異論は無いと思います。
 ただ、この自由の獲得にはコストと言いますか代償が必要でありまして、それは有限な天然資源の消費であったり、大気への有害物質の放出であったりします。

 (乗合)バスという交通機関は、全国的に見れば利用者が減少傾向にあり、この大きな要因はマイカーの普及であろうと思われます。地方に行くと高齢者を除く成人一人にほぼ車一台という様相を呈してきます。行きたい場所にいつでも行けるということは実際に便利ですし、それ以上に心理的にも安心感があります。この「自由」と引き換えに、天然資源の消費と「生活弱者」と言われる高齢者や未成年者の足であるバスの衰退ということが起きております。
 ただ、ここで言う「自由」というものの大部分を占めているのが「思いついたことがすぐに実行に移せる」という意味での自由であったりします。
 例えば、真夜中急にラーメンが食べたくなったであるとか、ドンキホーテに買い物に行きたくなったとかという、かなりどうでも良いものまで含まれます。
 この手の「自由」が増えることで、「事前の計画や準備というものが軽視されるようになった」ということは、例えば携帯の普及に伴って待ち合わせの時間や場所が昔に比べて相当アバウトになっているということにも表れているように思われます。
 逆に言えば、「事前の計画や準備」をしっかりやっていれば、自分の手元に留保すべき「自由」の量は少なくできますし、その場その場の思いつきに比べると成し遂げられる成果は大きくなる。

 つまり、私たちが自由と呼んでいるものの多くが「権利の留保」(出来るだけ選択肢を手元に残す)としての自由であって、逆に「やりたいことがはっきりしている人」にはそれ程多くの選択肢は必要がない。権利の留保ではなく行使の方が重要ととらえる。
 これはお金についても似たようなことが言えて、やりたいことがはっきりしている人ほど「必要な金額」もはっきりする。逆にはっきりしていない人ほど「出来るだけ沢山欲しい」と言ったりする。

 もともと、人権にまつわる「自由」というのは伝統的に「権力の干渉からの」自由という意味合いが強かったのでしょうが、いまでは「自由」という言葉が批判を許されずに一人歩きしている印象があります。決してタダでは済まない「自由」をある意味で無駄に確保している私たちのライフスタイルも見直す時期に来ているのだと思いますし、既得権益にしがみついているという意味では市営バスの組合も同様なのかも知れません。

 昨年亡くなったApple創始者のスティーブ・ジョブス氏が、生前スタンフォード大学で行ったスピーチは、色々な書籍や様々なメディア等で引用されるくらい有名なものであります。
 「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか? 」
 という言葉は、ベンチャー企業を一代で大企業に育てた経営者の言葉として聞くべきものがありますが、同時に私たちが日々暮らしていくうえでの試金石ともなりそうであります。

投稿する