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[972] 裁判員と死刑

投稿者
編集委員
投稿日
2010/11/20 21:57

今、裁判員制度において「死刑判決」を下すことの精神的な重圧が問題になっております。

 さて、この重圧は今に始まったことではありません。これまでも裁判官や法務大臣、執行する刑務官など様々な人たちがこの死刑にまつわる重圧に晒されてきた訳でありますが、それは多くの国民にとって他人事でもあったわけです。
 近年、日本では遺族感情を重視し「極刑やむなし」とする世論が強くなってきている訳ですが、裁判員制度の導入により、上記のような重圧には晒された途端に「その重圧は避けたい」というのであれば、少々身勝手ではないかとも思われます。

 国連人権理事会では、日本の死刑制度について問題になっております。諸外国の言うことに全て従うことが良いとは思いませんが、もともと人権というのは国連加盟国において「普遍的な価値」としてとらえるべきものでして、「国が国民の命を奪うことが是か」という点で、逆に諸外国を納得させるだけの理論が構築できるのかどうか。
 裁判員制度で当事者になった途端にこれほどうろたえるわけですから、我々はまだその入り口にも立っていないと思われます。

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[973] Re:裁判員と死刑

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
11/21 09:50

 今、裁判員制度において「死刑判決」を下すことの精神的な重圧が問題になっております。

 さて、この重圧は今に始まったことではありません。これまでも裁判官や法務大臣、執行する刑務官など様々な人たちがこの死刑にまつわる重圧に晒されてきた訳でありますが、それは多くの国民にとって他人事でもあったわけです。
 近年、日本では遺族感情を重視し「極刑やむなし」とする世論が強くなってきている訳ですが、裁判員制度の導入により、上記のような重圧には晒された途端に「その重圧は避けたい」というのであれば、少々身勝手ではないかとも思われます。

 国連人権理事会では、日本の死刑制度について問題になっております。諸外国の言うことに全て従うことが良いとは思いませんが、もともと人権というのは国連加盟国において「普遍的な価値」としてとらえるべきものでして、「国が国民の命を奪うことが是か」という点で、逆に諸外国を納得させるだけの理論が構築できるのかどうか。
 裁判員制度で当事者になった途端にこれほどうろたえるわけですから、我々はまだその入り口にも立っていないと思われます。

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[975] Re:裁判員と死刑

投稿者
リッキー
投稿日
11/22 04:09

重責というか、、、

まともな人でしたら犯罪者とはいえ一生「自分の決断で人が死んだ」事がついて回り
思い悩むと想います

それぞれ「自分の決断で人が死んだ」人が老いて病気になって病院や老人ホームで昨日まで隣で生きていた人が居なくなっていく状況でどういう想いで人生の最後を迎えるのか、、、

う~ん…いつかはそうなると思いますが
ありがたい事に今は健康にすごさせてもらっていますので…
解らないというのが正直な処です
(^^;

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[976] Re:裁判員と死刑

投稿者
まーちん
投稿日
11/26 13:06

初投稿でございます。

専門的なことを突っ込まれたら答える知識もなく、間違えて覚えてしまっていることもあるかとは思います。

ただ、あっているとか論破したいとかではなく、ちょっと思うこと書いてみようかと思いまして・・・

さて、今朝も裁判員裁判による初の未成年者への死刑求刑で、裁判員になった方が素顔を出してインタビュー答えられているニュースが流れていました。

こんな非現実的なこと考える自分もどうかと思うのですが・・・

例えば自分が突然殺されてしまったとして。

あるかどうかもわかりませんが、霊魂のようなものが現世に残っていたとして。

犯人を死ぬほど恨むにしても、これだけ裁判員の方々が苦しんでしまうというなら、「もう裁判員制度とかやめてやってくれ・・・」とか思うんじゃないかなぁ・・・と。

いや自分にも似たようなことで裁判員が巡ってこないとも限らないのですが、いちばん大事なのは被害者本人の心情で、その被害者が亡くなってしまったらそれを聞くこともできないという・・・

死と同じくらい避けられないことがある
それは生きることだ

とは某映画のセリフですが、果たして死をもって償うことが本当にいちばん重い刑なのか。

死にたいくらい苦しい思いをしてこれからも生かされる被害者の親族の気持ち、そして不本意にも亡くなった被害者本人を思うと、いったい何がいちばん正しいのか本当にわからなくなってしまいます。

死刑を執行すればハッピーエンドというわけでは絶対にないわけで。

当たり前すぎるところに着地してしまいますが、そもそもこんな残酷な事件が起こらないのがいちばんいいと思います。

「世界人類が平和でありますように」

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[982] Re:裁判員と死刑

投稿者
傑作かな
投稿日
11/28 10:25

以前大工仕事の手伝いをしていたことがあります、大工業界も機械化がすすみ、電動ドライバーや電気のこぎりは当たり前で、空気釘打ち機というものまでありました。圧縮空気でそれこそバスンという音とともに釘が打ち込まれるというものです。ある日これを棟梁に手渡すときに間違ってその棟梁向きに引き金を引いてしまいました。棟梁の胸の脇をすり抜けました。
この事実を思い出すたびに胸がどうしようもなく痛みます。
裁判員の方々は間接的に殺人を任されているのです。
本来その任に当たるのは(責任の一端を素人に押し付けて自分の責任を軽くする)法曹界あなた方なのです。法曹界の改善は必要ですが他の方法(有罪か無罪かのみを判定するetc)でも行えます。殺人は私には到底勤められません。何がなんでも強く辞退します。

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[986] Re:裁判員と死刑

投稿者
傑作かな
投稿日
12/01 07:45

たとえば、裁判員制度導入の目的について「司法試験から修習生をへて職業としての法曹界につき、世間の風をしらない人間が、いわゆる世間を裁くことに乖離がある」てなことがいわれていたと思いますが、その世間に極刑を告げるという業務責任を擦り付けてどうする。
法曹界の改善に寄与するにせよ、一般人が関わるのは、せめて有罪か無罪かの決定でいいのではないか?
言い渡した極刑に控訴をすすめた裁判官の心情が裁判員の気持ちを良くあらわしている。

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[988] 問題共有と当事者意識

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
12/02 00:12

 筑紫さんの多事争論で、私が一番迫力を感じるのは「自己責任」の回であります。
 TBSのサイトから視聴できるので、機会があれば見ていただければと思います。
 http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s071224.html
 その「自己責任」という言葉を使って、以下の例文を作ってみました。

・裁判官は死刑判決を下すのが仕事だから、一生十字架を背負うことになっても「自己責任」だ。

 この例文は、「死刑制度には賛成だが、裁判員として死刑判決に関わるのはいやだ」という人たちが持ち出す理屈であります。
 では、もう少し例文を作ってみましょう。

・軍人は戦争が仕事だから、戦死しても「自己責任」だ。

 そんなことを公人が言ったとしたら、恐らく非難ごうごうだと思われます。ですが、先ほどの例文と論理構造は同じです。
 「自己責任」というのは「それはあなたの問題である。あなたが解決しなさい。私には関係ない。以上」というニュアンスで使われるケースが多いように思われます。
 問題を抱えている人に対して、その問題をたまたま抱えていない人が投げかける無慈悲な言葉が「自己責任」と言えるでしょう。

・子供を産んで生活が苦しくなるのは、子供を産んだあなたの「自己責任」だ。

 と言い続けている間に、この国の出生率は低下傾向を続け、もはや「あなたの問題」ですまなくなり「社会問題」と化しています。

 一世を風靡した「トヨタ生産方式」ですが、特徴の一つとして、ある問題を抱えた作業員が紐を引っ張ると生産ラインが止まり、周囲の作業員がみんな集まってきて、知恵を出し合い問題解決策を練るそうであります。
 その作業員の「自己責任」では済まさないのが良いところではありますが、よく考えれば人が集まる「組織」として助け合うのは当たり前のことであります。
 その当たり前なことが出来なくなっているのが今の世の中だという警鐘が、筑紫さんの多事争論「自己責任」だったように思われます。

 「人の生死を決める精神的な重圧」については、実は死刑廃止論者を中心に以前から問題視してきました。この問題は裁判官や刑務官の職業選択の結果として生じる「自己責任」として片づけられてきたわけですが、裁判員制度の導入で皮肉にもようやく問題共有された訳であります。
 「人の生死を決める精神的な重圧」自体を問題としてとらえれば、その重圧を減らすか無くすかという次の議論に移っていけるわけです。

最後に、偽悪的ではありますが、もう一つ例文を作って終わります。

・裁判員制度は、国会において決まったことなので、主権者である私たちの「自己責任」だ。

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[1385] Re:裁判員と死刑

投稿者
応援してます
投稿日
06/27 20:06

少し時間が経っていますが、ちょっと投稿してみます。

今年のはじめ頃にテレビで、何年も逃亡してた女性の指名手配犯(一人殺害の容疑)のドキュメントをやってました。

ああ、この人(指名手配犯)は、幼少期から愛のあまり無い、(親、住む環境、周辺の隣人)過酷で、孤独で屈折した中で育ったんだな。という様な環境で、

それから青春期には盗みの道へ。

捕まった刑務所内では、公然の強姦があったそうで、彼女はその対象になったり。当時彼女は十代だったかと。


心がおかしくなりますよね。


その後、まともな仕事につけずに、住み込みの風俗やらを転々とした中で、同僚のホステスを一人殺害で逃亡。でした。

見ていて、もしかすると、同僚も同じ様な雰囲気の人なのかな。とすると、そう言う中の社会は普通の人でも上手くやって行くのは難しいのではないかなと思いました。
まして、心に傷、愛のゆとりの無い同士、もっとおかしな社会が出来てたのかなと思いました。

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[1386] Re:裁判員と死刑

投稿者
応援してます
投稿日
06/27 20:53

ですので、 殺人した ⇒ 殺せ(死刑)ですと、

不安定な環境の人たちは、

産まれた ⇒ 育ちに問題(お金、愛)⇒ 教養もない ⇒ まともに働けず ⇒ おかしな社会の中犯行 ⇒ 死刑

もしくは、産まれ ⇒ 環境の問題により教養なし ⇒ 成人し結婚 ⇒ 子供産む ⇒ 親になったがまともな仕事つけない(お金ない) ⇒ 子供 教養なし ⇒ つづく ⇒ 成人子供産む ⇒ つづく ⇒ 犯行 ⇒ 刑務所

のサイクルで、

環境のいい人たちでの社会になって、下層部はくるくるとそうなればいいということになるのかなと思いました。

ちょっと違ってましたらすみません。


国としては、命を奪うことではなく、いかに救えるか。というのを思います。

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