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[1004] 「空気」は責任をとってくれない
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 12/12 16:38
最初の問いかけは論点が2つあって混在しているように思われます。
・昭和天皇が戦争犯罪人であると思うか否か
・日本における天皇制に対する「アンタッチャブル」な空気をどう思うか
両方とも大きなテーマでありますし、様々な議論が既になされてきてもおります。
ここでは、この2つを包含するものについて述べてみたいと思います。
それは
・筑紫哲也さんが「空気」と呼んで嫌っていたもの。
・阿部謹也さんが「世間」と呼んで「対象化」を試みたもの。(阿部謹也氏は社会学者)
つまり、
・無責任で正体が掴めないくせに、とてつもなく強大な力で本来自由であるはずの個人(市民)を縛り、時には世界全体に災厄をもたらすもの。
であります。
私たちが「空気」や「世間」の奴隷と化している状態というのは大変危険でありますが、無意識のうちにそうなっていることもあります。
戦時中の日本は「国体思想」という空気が支配していたと言えるでしょう。当時の軍部には「国体を守るためには、一時的に昭和天皇の意思に背くこともやむを得ない」として敗戦の玉音放送をやめさせようとしたグループもいたようです。つまり、天皇個人よりも「天皇制による統治体制」が軍部にとっては大事だったというわけです。
私たちはそういった「空気」というものに対して、少なくとも民主主義を支える市民としては無防備であってはならないわけです。
そのために必要なことは、実は単純で
・現場に行って自分で確かめること(証拠や証跡を確認する)
・仮説を立て検証すること
・それらをしないまま他者の意見を鵜呑みにはしないこと
の3つであります。単純だから容易かというとそうでもありません。
ジャーナリストは本来それを手助けしてくれるものであったはずなのですが、今はむしろ「空気製造機」になっているようにも思われます。