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[1126] Re:贅沢いうな!
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 02/19 14:31
このテーマについて、「国民」つまり我々に何が求められているかという観点から、少し考えていきたいと思います。
以前の日刊争論でも書かせて頂きましたが、「有権者の投票行動が定まらないと、国家像も定まらない」ということは言えます。
どんな政権であれ、それなりの権限と時間を与えないと、まとまった成果は出てこないと思います。そういった意味で有権者の辛抱が足りないということは言えるでしょう。
もう一つは「人を見る目」の重要性です。こちらの方がむしろ重要かも知れません。選挙というのは、サラリーマンに例えると「人事考課」に値すると思われます。これまでの実績を評価し今後への期待を込めて、有権者は票を投じることになります。筑紫さんは選挙のたびに「Vote」と言って棄権を戒めていました。ですがもう一歩踏み込んで考えると我々は票を投じるときに何を評価しているのでしょうか?「名前を聞いたことがある」というレベルで票を投じてはいないでしょうか。あるいは党名だけとか。
「皆さんの地区から選出された国会議員の名前と活動内容を言えますか?」
恐らく相当数の方々が答えられないと思われます。これが「国民の代表」の実態であります。
私の実家は地方の片田舎にありますが、父母の年齢層の人たちは地元選出の議員さんの色々な話(とても書けません)で結構盛り上がることがあります。昔は良い意味でも悪い意味でも、どの政治家を応援するかというのは下手をすると生活にも影響しかねない、重大な決断でした。それはそれで大きな問題であって、最近はニュートラルになって来ていて良いことだとは思いますが、関心そのものが薄れて来ていることが新たな問題であります。政治家というのは、「有権者に育てられる」という側面があるからです。
昔のように、地縁・血縁のドロドロした中で育つ必要もないとは思いますが、今の公職選挙法は政治家と有権者との接点を絞りすぎているように思われます。
大統領選挙期間中のオバマ大統領は、最初はパリパリのスーツが初々しい一議員でしたが、長期にわたる激しい選挙戦をくぐり抜けるうちにみるみるたくましくなってきました。
「信頼できる政治家」が育たない限り、この国はどの方向にも進めなくなるのではないでしょうか?とりあえず地元の選挙区に注目してみましょう。