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[1560] 英雄史観
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 02/24 23:55
「保守系の知事」の存在感が増している現状について、もう一つ述べたいと思います。
日本の学校教育における歴史の教え方は、端的にいうと「英雄史観」的な色合いが強いように思われます。
例えば、奈良の大仏を建立したのは「聖武天皇」と教わります。ところで、実際に作業に携わったのは当然ながら庶民ですが、どうやって動員されたのか、彼らの風習や価値観はどうだったのかなどという話は学校の授業ではあまり出てきません。年表で歴史上の出来事と時の権力者とを安直に結びつけて記憶することはしても、そこに民衆がどう関わっていったかという観点は忘れがちであります。しかしながら、歴史の流れというのは権力者たちの動きによってのみ決まるものではありません。例えば一昔前に話題となった網野義彦氏の歴史観などは、中世の庶民にフォーカスしたものとして、ジブリ映画の「もののけ姫」の時代背景としても取り上げられる程、興味深いものとなっています。このように歴史を捕える観点は他にもあります。
こういった歴史に対する見方は、大人になってからも引きずってしまうものでありまして、英雄史観に偏った教育を受けていると、「時の権力者が優れていればモノゴトは上手く運び、逆の場合はろくでもないことになる」という、ある意味「民衆不在」「ヒーロー待望」の歴史観に陥りがちであります。そういった歴史観の持ち主が増えれば増えるほど、目立つ言動を行う人が政治的なリーダーとして力を持つようになります。
教育政策を論じる際に「歴史をもっと教えよう」という話はこれまでも出ていますが、どう教えるかが大事でありまして、歴史観とはつまるところ「社会観」であります。他国との関係における「自虐史観」が問題とされることがありますが、それよりもまず「民衆」すなわち我々の自虐史観の方が問題なのではないかと思われます。