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[1684] Re:最大規模のデモ

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
08/04 12:01

 筑紫さんと因縁の深い「週刊文春」で、「今回のデモについて、しっかり取り上げていたのはNEWS23Xだけだった」という記事が掲載されていました。(対する報道ステーションは「政局にばかり時間を割いていた」とも)
 なんとか生きながらえている「NEWS23のDNA」と言えそうです。

 ここ数年、私ごとですが、映画「クライマーズハイ」を見たり、「お前はただの現在に過ぎない」を読んだり、ドラマ「運命の人」を見たりと、要するに30年以上昔のマスコミの様子を窺い知るような経験が、たまたま重なりました。
 当然、それらの話にはフィクションが入っているためそのまま真に受けるわけにもいきませんが、当時のマスコミが持っていた「熱」みたいなものは伝わってきます。現状のマスコミとの「温度差」も感じます。

 その「熱」の正体として思い当たるものに、「公憤」という言葉があります。
 「公共の正義の立場から感ずるいきどおり」という意味であり、対義語は「私憤」です。
 「デモ」が成立する前提条件としては、「公憤」を抱く人が大勢存在するということになると思われます。
 対照的に「住民運動」と言われるものが、行政や企業などの行為によって直接・間接的に被害を被る住民による「私憤」から発するものだとすると、「デモ」は先ほど述べたように「公共の正義」が侵されていることに対する「公憤」から発するものだと思われます。当然ながら、「公共」や「正義」という意識の希薄なところには「公憤」は発生しません。

 「公」と「私」というのは、社会科学では長年議論されているテーマであり、素人があまり迂闊なことも言えませんが、そもそもこういった「実体として存在はしないものの、どうあるべきかについては議論すべきもの」について議論の対象にすら上がってこないことが問題の本質のように思います。
 日本の文学から「哲学」「思想」的なものが衰退して久しいわけですが、これはテレビなどのマスメディアについても同様のことが言えるわけで、娯楽としての要素の強いテレビ番組に「通奏低音」としてどこまでそういった思想的なものを盛り込めるかというのも、作り手の腕の見せどころではないかと思って、淡い期待しているところであります。

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