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[1695] 国家におけるリーダーの役割

投稿者
島田陽一(仮名)
投稿日
10/06 17:49

 国における政府の在り方というものを議論する際に「大きな政府」と「小さな政府」という選択肢が出てまいります。この場ではどちらの方が正しいのかといった議論はしませんが、そもそも「国の役割の最たるものは何か」という点について、突き詰めて考えますと「リスクヘッジ」ということが、まず思いつきます。
 社会保障にしろ安全保障にしろ、国民一人一人がリスクをヘッジするには限界があったり、もしくは非効率であったり、銃社会のアメリカのように物騒なことになったりします。
 菅元首相が「最小不幸社会」というものを標榜していましたが、内実が伴っていたかどうかは別として、行政の長としての見識としてはそれ程間違ってはいなかったように思われます。
 逆に、国が「リスクヘッジ」以上のことに手を広げすぎますと、昔の社会主義国家のように「国家が先にあって、そのあとに国民がある」という状態に近づいていきます。

 このように「リスクヘッジ」というのは国の機能としては重要なのですが、一方でどういう「ポジション」をとるかによってその「リスク」も異なるというのは、トレーダーの世界に限ったことではなく、国にも当てはまる話であります。
 また、どのようなポジションをとるにせよ、「ポジションを決める」という行為自体が、ある人にとっての「利益相反行為」になってしまうというのが政治の難しさであります。

 そう考えますと、すくなくとも国レベルのリーダーに求められることは、
 ・ポジションを明確に打ち出すこと
 ・そのポジションによって生じるリスクに対して、ヘッジを行うこと(不利益を被る層への目配せを忘れないこと)
 ・「ポジション」-「リスク」-「ヘッジ」の組み合わせが、国全体として「漏れなくダブりのない」デザインとなっていること
 ではないかと思われます。

 小泉元首相は、1点目は明確でしたが、2点目、3点目については関心が薄そうでした。また、マスコミ報道も1点目について中心的に報道していました。
 リスクに対するケアというのは、自分にとって関心のあるテーマだけ見ていれば良いというわけにはいきませんし、コトが起きてからでは遅いため、普段から能動的にことにあたる必要があるというのも良く言われる話であります。例えば年金記録の管理が杜撰で取り返しのつかない事態に陥ったのも、リスク意識が低かったからであります。

 今、リーダー候補に名前の挙がっている方たちが、どの程度リスク管理について意識にのぼっているのか。
 残念ながら、そもそもそういった観点での情報が報じられていないのが実情であります。

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