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[988] 問題共有と当事者意識
- 投稿者
- 島田陽一(仮名)
- 投稿日
- 12/02 00:12
筑紫さんの多事争論で、私が一番迫力を感じるのは「自己責任」の回であります。
TBSのサイトから視聴できるので、機会があれば見ていただければと思います。
http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s071224.html
その「自己責任」という言葉を使って、以下の例文を作ってみました。
・裁判官は死刑判決を下すのが仕事だから、一生十字架を背負うことになっても「自己責任」だ。
この例文は、「死刑制度には賛成だが、裁判員として死刑判決に関わるのはいやだ」という人たちが持ち出す理屈であります。
では、もう少し例文を作ってみましょう。
・軍人は戦争が仕事だから、戦死しても「自己責任」だ。
そんなことを公人が言ったとしたら、恐らく非難ごうごうだと思われます。ですが、先ほどの例文と論理構造は同じです。
「自己責任」というのは「それはあなたの問題である。あなたが解決しなさい。私には関係ない。以上」というニュアンスで使われるケースが多いように思われます。
問題を抱えている人に対して、その問題をたまたま抱えていない人が投げかける無慈悲な言葉が「自己責任」と言えるでしょう。
・子供を産んで生活が苦しくなるのは、子供を産んだあなたの「自己責任」だ。
と言い続けている間に、この国の出生率は低下傾向を続け、もはや「あなたの問題」ですまなくなり「社会問題」と化しています。
一世を風靡した「トヨタ生産方式」ですが、特徴の一つとして、ある問題を抱えた作業員が紐を引っ張ると生産ラインが止まり、周囲の作業員がみんな集まってきて、知恵を出し合い問題解決策を練るそうであります。
その作業員の「自己責任」では済まさないのが良いところではありますが、よく考えれば人が集まる「組織」として助け合うのは当たり前のことであります。
その当たり前なことが出来なくなっているのが今の世の中だという警鐘が、筑紫さんの多事争論「自己責任」だったように思われます。
「人の生死を決める精神的な重圧」については、実は死刑廃止論者を中心に以前から問題視してきました。この問題は裁判官や刑務官の職業選択の結果として生じる「自己責任」として片づけられてきたわけですが、裁判員制度の導入で皮肉にもようやく問題共有された訳であります。
「人の生死を決める精神的な重圧」自体を問題としてとらえれば、その重圧を減らすか無くすかという次の議論に移っていけるわけです。
最後に、偽悪的ではありますが、もう一つ例文を作って終わります。
・裁判員制度は、国会において決まったことなので、主権者である私たちの「自己責任」だ。