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[1] 「病室」

投稿者
金富隆 WEB多事争論編集委員
投稿日
02/16 10:19

その病室は短い廊下を抜けた奥にあった。鹿児島の病院、5階病棟。
部屋の主は緩やかな午睡を楽しんでいたように見えたが、私たちの姿に
気づくと、いつもの人懐っこい笑顔を見せた。

おお、久しぶり。

病身を押して少しだけベッドから身体を起こす。それはわずかな動作だった。だがこのとき、全身は深くガンに蝕まれていたことを考えると、それ自体が
「筑紫哲也」であることへの矜持だったようにも思える。“客を前にして横に
なっているわけにはいかない”。胸の奥に秘めた矜持。このとき家族に告げられた余命から二ヶ月が過ぎていた。

最後の夏、筑紫さんが選んだのは南国・鹿児島での転地療養。増殖を続ける
ガン細胞と戦うため、放射線療法の権威を頼ってのことだった。
8月下旬のその日、窓の外では蝉の音が響いていた。広く浸潤した肺ガンの
影響から声はしわがれ、話すのも時折つらそうだったが、それでもジョークを
飛ばす姿は筑紫哲也そのものだった。

いまテレビは何を見ているのですか? …「篤姫」だけだね(笑)。
ここが鹿児島だってせいもあるけれど。あれはなかなか良くできてる。
でもホント、ニュースなんて見なくなったなあ。鹿児島に来て、ニュースを
見ないことが精神衛生上どれだけ良いか、初めて分かったね(笑)。


ここで連日行われていたのは、肺ガンに効果ありという放射線療法。ピンポイントでガン細胞を叩くことができ、筑紫さんはこれに最後の望みをかけていた。
だが自ら選んだ治療であっても、放射線が負担にならないはずはない。後で知ったことだが、間断なく襲う痛みに医師はこの後、緩和ケアを薦めたという。
「自分は治療を受けに来たのであって、緩和が目的ではありませんから」。
ご家族によると、ぎりぎりの時まで筑紫さんは病と闘う姿勢を見せ続けていた。

だが一方で、病室には不思議な明るさがあった。ご家族の笑いさざめき。
…おい、君は最近どうしてるんだ?
見舞いの私たちにも供される、さりげない気遣い。それは筑紫哲也というひとが持つ、本質的な明るさではなかったかと思う。
病室は建物の奥に位置したが、一般病室の並びにあり、すぐ前の廊下は他の患者さんや見舞い客が行き交っていた。
「筑紫哲也」がそこにいるとは誰も気づかない様子で、それがなんだかおかしかった。ご本人も酸素ボンベをごろごろ引っ張りながら普通に廊下を歩いていたようだし、元々そういうことに頓着する方でもなかった。

気づかれてないんですか? …まあ、今のところはね(笑)。

言葉には悪戯っ子のようなトーンがにじんでいた。変わらないものはもうひとつ。ニュースなんて見ない。そう言い切っていても、何気ない雑談の向かう先は、やはりニュースだった。

…オバマが勝つかどうか。ぼくは微妙だと思うね。情勢は分かってるし、
可能性は高いと思うけど、さあその通りに行くかどうか。
最後の最後まで分からないよ。アフガン攻撃、イラク戦争。アメリカ人は
自分の国が犯した間違いに気づき始めているし、そこは望みではあるけれど。

…でもアメリカ人は超えられるかなあ、レイシズムを。最後はそこのところが、
分かれ目になるんだと思うね。


見ない、興味は無いなんて口では言いつつも、ニュースへの興味はベッドの上で持ち続けていたのだと思う。森羅万象への関心は、最後まで尽きることはなかった。羅針盤の無いこの混沌とした時代、どんな発言をされたのだろうと思うことがある。筑紫さんが亡くなったのは、この二ヵ月後のことだった。

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