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[38] 嫌な予言が的中 9のつく年どうなる?

投稿者
WEB多事争論編集委員 吉岡弘行
投稿日
03/28 10:17

 今年も早4分の1が終わろうとしている。
桜の開花も早いし、西松建設事件やWBCの侍ジャパンの活躍の話題で、例年よりも年明けの三か月があっという間に過ぎた感じだ。
 今回のお題は「予言的中」。趣味の競馬のことではありませぬ。
 
 新年を故郷の松江で迎え、1月2日の最終便の日本航空1672便で帰京した私は、翌3日の土曜日が泊まり編集長の“仕事始め”だった。
 報道局の連中は年末年始、代わり番こに休みを取る。年末年始の勤務者には会社から特別手当が支給されるので、正月を返上して働く者も結構多いのだ。私の場合、3日がそれにあたったが馬券代に消えた。
 大体、年末年始はニュースがない。
通常の番組もお休みで、縮小されたニュース枠には、初日の出や正月の行事など業界でいう“ヒマネタ”が並ぶ。民族大移動のUターン・ラッシュのニュースが終わると、ようやっと通常モードに入る。
 長年、この仕事をしていると年の初めに今年はどんなニュースが予定されていて、どんな感じの年になるのかを考える習慣がつく。
 まず、新聞の2009年のニュース予定を縮小コピーし、蛍光ペンで印をつける。今年は日経新聞で、その紙を手帳に挟むのだ。線をひいた項目は以下の通り。
 
 1月20日 オバマ米大統領就任式(ワシントン)
3月 5日 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC、23日まで)
 4月 9日 マスターズゴルフ(米オーガスタ、12日まで)
 5月 3日 競馬天皇賞・春(京都競馬場)
    21日 裁判員制度開始
   31日 競馬ダービー(東京競馬場)
 6月 3日 通常国会会期末(予定)
 7月 8日 主要国首脳会議(イタリア・マッダレーナ島、10日まで)
   22日 皆既日食(鹿児島県のトカラ列島で最も長く観測可能)
 9月 1日 ドイツ軍のポーランド侵攻による第二次世界大戦開始から70年
   10日 衆院議員の任期満了
11月 1日 競馬天皇賞・秋(東京競馬場)
     9日 ベルリンの壁崩壊から20年
12月27日 競馬有馬記念(中山競馬場)

 2月、8月、10月はアンダーラインをひく項目がなかったが、8月は総選挙があるかもしれない。10月は線をひかなかったが2日に2016年のオリンピック開催都市が決まる。東京は選ばれるだろうか?
 競馬の予定は私にとって重要である。特にダービーと有馬記念は別格だ。競馬は世相を映す鏡だと思っている。
 2004年の12月にデビューしたディープインパクト。
この年はプロ野球が初のストライキ。10月には新潟の地震で60人以上が亡くなった。年末にはスマトラ沖地震で12万人が犠牲になった。この年の漢字は“災”だった。そんな年の末に災を吹き飛ばすような馬が生まれたのだ。
 年が明けて2005年4月にJR史上最悪の福知山線脱線事故が起きる。車両がマンションに突っ込み100人以上が死亡した。重苦しい空気が漂っていたなか、時代はヒーローを求めていた。
 4月の皐月賞では、あろうことかゲートを出た直後につまづき大きく出遅れた。どよめく場内をよそに最後の直線で武豊のステッキが入るやギアがはいってぶっちぎりの勝利をかざった。武の名言「走るというより飛んだ」が生まれた。
 続くダービー、秋の菊花賞を勝って、皇帝シンボリルドルフに続く史上2頭目の無敗の三冠馬となった。
 小泉元首相が政治生命をかけた郵政民営化法案が参議院で否決され、総選挙に打って出たのもこの年だった。世の中が急に騒がしくなり、秋口から耐震偽装問題が発覚。当時、社会部デスクだった私は、年末年始にかけてヘロヘロになった。
構造に偽装などなかった強固なディープも、年末の有馬でまさかの敗北を喫した。
 2006年は何といっても10月のフランス凱旋門賞。NHKが総合テレビで生中継し、視聴率は午前0時37分に22.6%を記録した。結果は3着でレース後に失格の判定。
 競馬は“King of Sports ”といわれているのをご存じだろうか?ギャンブルとしか見ていない方が多そうだ。世界では、馬券を買うことで観客も競技に参加するスポーツと捉えられているのだ。しかし世界の壁は厚かった。
 この数日前に政治の世界では安倍晋三氏が首相になるが、こちらのサラブレッドは何もせずに1年で病気を理由にを引退した。
 ディープは違った。忘れもしない2006年のクリスマス・イブ。引退レースとなる有馬記念に元ニュース23の親友と出かけた。観衆は11万7251人。見事有終の美を飾った名馬の引退式を見届けようとほとんどの人が帰らない。
レースから1時間後、暗闇にライトアップされたターフにディープが現れた。
地響きのようなファンの声。私は単賞、馬単、三連単の予想が見事的中!がっぽり稼いで、親友の子供にクリスマスプレゼントの「人生ゲーム」を贈ってやった。
 2008年は女が元気だった。勝間和代さんというスーパースターがでた。
男は政権投げ出しの福田元首相に象徴されるほどだらしなく、経済界は100年に一度の恐慌にシュンと縮こまった。競馬の世界もウォッカとダイワスカーレットいう2頭の女傑が君臨した。
 
 さて、本題。
去年の年明けに同じ日本航空の便で上京したときに出雲空港はものすごい嵐だった。静岡から伊豆半島のあたりまで乱気流で、生まれて初めて「こりゃやばい」と思った。ところが浦安のあたりにさしかかりUターンして羽田空港に降りる際には
別世界のようで、空から見る都心の夜景は最高にきれいだったのだ。
 私は国内線の旅客機を仕事以外で利用するときは、キャビンアテンダントの向いの非常口の席を選ぶことが多い。
 席について荷物をおいてから、定期購読紙“以外”の新聞を頼み、ゆっくりと最後尾まで歩いていき、必ずトイレに入る。用を足さなくても手を洗ったり、鏡を見たりするのだ。席に戻って記者腕章やパスポート、身分証明書なを入れた小さなポーチ以外の荷物を棚に入れる。それから着席してシートベルトをしめ新聞を手にする。ゴルフでいう第一打の前のルーティーンのようなものだ。
 なぜこんな習慣になったかは、自分でもよくわからない。しかし、この行動で機内の雰囲気がわかり、キャビンアテンダントの顔も全員把握できる。(妙な下心があるわけじゃありませんよ、念のため)
 非常口付近の客は、万一の緊急時に避難誘導活動をキャビンアテンダントと協力してしなくてはならない。今までそんな経験はないのだが、そんな事態がいつ起きるとも限らない。
 1月2日のフライトもいつものルーティーンをした。
これは印象でしかないのだが、これから新年をスタートしようという客が何となく暗い。キャビンアテンダントもどこか疲れている。
自宅に戻ってたまっていた年末年始の新聞を整理する。翌日が泊まり勤務なので時間はたっぷりあるので、去年のスクラップなどにも目を通し、さて2009年はどんな年になるのやらと考えてみた。
 旧運輸省担当をした経験があるので、今でも航空関係の記事はスクラップする習慣になっている。航空業界が不況の波をもろに受けていることがわかる。一方で、事故やトラブルの記事はさほど多くない。
 御巣鷹山の日航機墜落事故がおきた時は大学生だった。
名古屋空港に中華航空機が墜落した夜はある政治家を囲んで麻雀をしていた。テレビにテロップが流れ、赤坂の本社まで走って駆けつけた記憶がある。
旧運輸省の担当だった1996年には福岡空港でインドネシアのガルーダ航空機が滑走路をオーバーランして炎上、3人が亡くなった。一週間ほど不眠不休で航空事故調査官などを取材した。
 ここのところ大きな飛行機事故はおきていないなぁ・・・と思って、直感的に今年は飛行機事故の年になるのではないかと嫌なことが頭をよぎった。
 1月の第二週に社会部のデスクに声をかけた。「今年はなんか飛行機事故が多発しそうな気がするんだよな。社会部はちゃんと備えてる?」
 デスクは「去年、飛行機事故を想定して訓練をやったんですが、もう一度注意喚起しといたほうがいいですかね・・・」と答えた。
 春からの新編成で年明けから全国のJNN系列局を回らなければならない私の直属の上司の編集部長は大の飛行機嫌いだ。その編集部長にも「気をつけて下さいよ」と言った。とても嫌な顔をされたので言わなきゃよかったとちょっと後悔した。
 冒頭で早4分の1が終わったと書いたが、先月、ニューヨークのハドソン川にUSエアウェイズ機が“奇跡の不時着”をした。サレンバーガー機長の見事な操縦だった。
 今週月曜日には、成田空港でフェデラルエクスプレスの貨物機が横転、炎上し、機長と副操縦士が亡くなった。乱気流の一種“ウインドシア(急激な風向きの変化)”が原因とみられている。亡くなった2人には大変気の毒だが、旅客機でなくてよかった。
 その2日後には長崎空港の滑走路で“タッチ・アンド・ゴー(着陸してすぐに離陸)”の訓練をしようとした小型機に旅客機が進入し、2キロに接近するトラブルがあった。管制官は「小型機の存在を失念していた」というが、一歩間違えば大惨事になっていた。
 管制交信のミスで危険な状態で旅客機が滑走路に進入するトラブルは、伊丹空港でも20日と22日に連続して起きていた。
 航空機事故とは全く関連がないが、西暦の下ひとけたに“9”のつく年は歴史的な出来事が起きている。
 1929年「世界恐慌」、1939年「第二次世界大戦勃発」、1949年「中華人民共和国誕生」、1959年「キューバ革命」、1969年「アポロ11号の月着陸」、1979年は「スリーマイル島の原発事故」に「ソ連のアフガニスタン侵攻」、1989年「ベルリンの壁崩壊」、1999年「欧州共同通貨EURO導入」といった具合だ。
 10年前のEUROがスタートする際、私は草野満代キャスターと一緒にイタリア・ドイツ・フランス・ベルギーを回って『ニュース23』で企画を放送した。日本人で初めてEUROを使ったのは実は草野さんで、ソシエテ・ジェネラル銀行のパリ支店でEUROのトラベラーズ・チェックを発行してもらい、デパートで香水を買ってもらった。
 しかし、旅客機事故の惨事だけは取材したくない。御巣鷹事故の取材をした先輩たちに大変つらい思いを聞いているからだ。
 先にふれたサレンバーガー機長は下院議会でこう証言した。
「同時多発テロ以降の経営難に経済危機が追い打ちをかけ、経験豊富なベテランがリストラで次々と現場を去っている。操縦士の技術を重視しなければ、必然的に空の安全に否定的な結果をもたらす」
 今年残りの4分の3は“空の安全”を祈りたい。


 

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