[152] msさん
- 投稿者
- medito
- 投稿日
- 11/26 19:15
:>毎回、憲法論議を主導しているのは、統治機関の側ではないでしょうか。積極的に問題提起するのもそうです。
>国民よりも統治機関が変えたがっているように見えます。
おそらくは保守派の、憲法改正派の国会議員のことを指してそう仰っているのでしょうが、彼らは国民の代弁者なのですが何か問題あるのでしょうか。
内閣、国会、まあ統治機関といえばこれらですけど、その構成員はそのほぼすべてが国民に間接的もしくは直接的に選ばれた者たちです。
逆に伺いたいのですが、彼らが問題提起しなければ誰がするのですか。
>政府が恣意的な判断をしているのであれば、なおさら順守させる方向に向かわせるのが本来のあり方だと私は思います。
では、戦力の不保持を明記しておきながら自衛隊があるという矛盾を、条文の改正なし解釈改憲なし、という条件で一体どのように解決すればいいのかを教えてください。
>政府にとって使い勝手が悪くなったために、改正しようとする。また、都合が悪くなったら改正する。
>これを国民が制御している状態と言えるでしょうか。
お言葉ですがmsさん、これは感心できない論法です。
確かにあなたの仰ってるとおりであるならば、それは制御している状態であるとは言い難い。しかしだからといって、憲法改正議論がすべてそうだとは限らないでしょうし、憲法9条の改正議論がそうだというのはmsさん個人の主観かレッテルにすぎないわけじゃないですか。
そのようなことを言いだしてしまえば、一切の改正議論ができなくなります。
>鎖が機能していないということですが、この国には集団的自衛権が認められていません。ぎりぎりの段階で拒否しているのが9条だと思います。
明日にでも解釈が変われば認められてしまうわけですが、「ぎりぎりの段階で拒否してるのが9条」とは、何とも頼りにならない鎖です。
>憲法には、9条以外にも約束が果たさせていない問題はあります。
>「一人ひとりの生存権の面倒は見ていられないから改正しよう」「男女間には未だに社会的な格差があるから改正しよう」という人はいません。
当たり前じゃないですか。
>これらも現状から乖離していると思いますが、いかがでしょうか。
文脈からして、どうも「生存権の保障も男女平等も実現されてないじゃないか。これらが実現されるべき目標であると同じように、9条だって実現されるべき目標なんだ」という論理のようですが
憲法において「実現されるべき目標」というのは、たとえば生存権のような特定の権利条項においてのみ言えることです。
これらは現状から乖離しているから、条文に少しでも近づけるように努力すればいい。然るに憲法9条はそういった「努力目標」の類ではありませんので。