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[70] 東京女子大のモダニズム建築をめぐる考察

投稿者
WEB多事争論編集委員 吉岡弘行
投稿日
05/26 23:24

JR西荻窪駅から北西に10分ほど歩くと東京女子大学の美しいキャンパスに到達する。
普段は教員や関係者でなければ入れない男子禁制の場所だが、先日、あるシンポジウムに出席するために大学の門をくぐった。
 アントニン・レイモンドという名前をご存じだろうか?日本の近代建築に大きな影響を与えたチョコ出身の世界的な建築家だ。彼の師匠がフランク・ロイド・ライトである。帝国ホテルなどの設計に携わったライトの方が日本でははるかに有名だろう。
 キャンパスのちょうど中心に当たるところに「社交館」と呼ばれるレイモンドが設計した鉄筋コンクリート造りの建物がある。1924年に完成したもので、一見すると体育館なのだが、1階の奥はちょっとしたステージになっていて劇場にも使える仕様になっている。シンポジウムで講演された卒業生で歴史小説家の永井路子さんによると、実際にキャンパス内にある女子寮(東寮と西寮=これもレイモンドの設計)の女子学生が新入生の歓迎パーティーや送別会によく利用したということである。時には実際に演劇も上演されたという。
 この建物の最大の魅力は、なんといっても2階の東西南北の四隅にある小部屋にしつらえられた「暖炉(ファイアプレス)」である。
実際は合わせて5つの暖炉があるのだが、それぞれのデザインが微妙に異なっていて、レイモンドの創意工夫のあとがうかがえる。今から80年も前からここに薪をくべて読書会やゼミナールの討論をやったかと思うとなんとも心温まる思いがする。
建築関係者が口をそろえて「重要文化財級の近代建築」というこの建物だが、今、解体の危機にひんしているというのだ。
大学側が2006年のキャンパス整備計画の一環として、東寮(2007年に解体)と「社交館」の解体を決定し、その工事が目前に迫っているからだ。解体後は「避難所を兼ねた広場(オープンスペース)にする」という。
 正門をくぐるとよくわかるのだが、東京女子大の敷地にはキャンパスの象徴である図書館を兼ねた本館が正面にそびえ立ち、広大な芝生の広場が整備されてる。また本館の北側にあたる裏手には、武蔵野特有の雑木林が広がっていて、豊かな自然が残されている。
 シンポジウムは大学側の計画に反対する人たちが計画したもので、私は賛否どちらの側でもなかったが、この春から東京女子大で教鞭をとることになった友人の矢田部英正さんの勧めと、何よりも以前からライトとレイモンドのファンだったので、一度、実際の暖炉を見てみたいという思いでこの会に参加した。
 レイモンドのお弟子さんに吉村順三という有名な建築家がいて、そのまたお弟子さんが東京芸術大学名誉教授の奥村昭雄さんだ。
奥村さんは「日本には暖炉の歴史がないので、このレイモンドさんの暖炉が私たちの教科書である。新鮮な空気を火床の中に呼び込んでおり、正面の開口面積に対する煙突部分の断面積が充分にあり、ダンパーはなく、煙突が高い。これはもう完璧」と最大限の賛辞を送っている。また「昨今、子どもたち『燃えている火をじっと見る』という経験をする機会を失っていることは悲しむべきことだ。原始、人間は燃える火を見てものを考えていた。ファイアプレスとは、その大切な感覚をわれわれに呼び戻すための“大きな仕掛け”とも言える」とも指摘している。
 私の学んだ大学には暖炉はなかったが、学生時代は奥多摩の河原でよく焚き火をしたものだ。特にネパールに川下りに出かけたときには、キャンプ地で流木を集めて、夜毎、テントに入る前に友達と将来のことや異性のことを時間を忘れて語り合った。燃え盛る火を囲むとなんだかとても思索的な雰囲気になるから不思議なものだ。
 シンポジウムでは戦中、戦後に「トンジョ」で学ばれた方々が次々とこの「社交館」の思い出を語られ、建物の保存を訴えた。こう言ってはなんだが、皆さん大変ご高齢にもかかわらず、凛として胸に迫るお話が続いた。聴衆の卒業生の方たちも積極的に質疑応答に加わり、「東寮が取り壊された今、社交館は最後の砦だ」という思いを次々と発言されていた。解体の再考を求める有識者の署名は150人を超えたというが、保存派の人たちが望む大学側の説明会はほとんど開催されず、「説明責任を果たしていない」という声が多く聞かれた。
私が最も印象に残ったのは、日本基督教団荻窪南教会の元牧師で卒業生の鳥山明子さんの次のような言葉である。
「建物というのはそれがあるだけでは歴史にはならない。ひとが関わってこそ初めて歴史になるのだ」
 大学側は早ければ6月初旬にも解体工事に着工するという。解体後はミニチュアを作ってどこかに飾る計画もあるという。
解体に要する時間はほんの一瞬である。80年以上も愛され続けた建物をどういう形で残していくか─一あるいは解体する必要性の方が大きいのか─一もう少し時間をかけて双方が議論する余地はないものだろうか。
「あの時、壊してしまわなければよかった」─一。そうした無念さが残らないようにするためにも。一度、失われたホンモノを取り戻すことは永久にできないのである。

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