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- ▼-東海村10年の思い [民放雇われディレクター] (10/02 00:14)
- └Re:東海村10年の思い [JJ] (10/09 01:52)
[94] 東海村10年の思い
- 投稿者
- 民放雇われディレクター
- 投稿日
- 10/02 00:14
9月30日、
JCOの臨界事故から10年を迎えた東海村(茨城県)は、
想像以上に静かだった。
追悼集会や抗議デモ、
大規模な防災訓練、
あるいは、大勢のマスコミ、
そんなのを想像していたのだ。
東海村は、本音では、事故を忘れたがっているのかもしれない。
「原子力発祥の地」のプライドを傷つけた、あの事故を。
駅前で話を聞いたなかには、「今日が何の日か知らなかった。
事故は覚えているけど、正直、ピンとこない」そう答えてくれた
高校生もいた。
600人以上の被爆者のうち、個人の健康被害を訴える住民は、
今、ただ一組の夫婦を除いていない。
しかし、その一方で、村が年に一度実施する健康診断に訪れる
被爆者の数は減っていないという。
それが、原子力産業に支えられた村の現実なのだと思う。
現在も裁判で係争中の夫婦は、
「10年は闘いだった。こと細かにお話すれば、何十時間にもなりますよ」
そう言って、初対面の私に、語り続けてくれた。
当時から指揮をとってきた村長は、9月に行われた村長選で、
原発推進派の候補と一騎打ちとなり、辛くも再選を果たした。
「10年で私も年をとりました」と言いつつも、
村の未来像を語る口ぶりは熱い。
「反原発、と言われることもあるがそれは違う。事故が起きたからこそ、
原子力と本当に共存する社会を模索し、国をリードしていくべきなのだ」と。
だからこそ、事故を風化させてはいけないのだと。
こうして、さまざまな東海村の10年の思いを預かり、
東京に帰った私を待っていたのは、上司の非情な言葉だった。
「ごめん、尺がないから、3分以内で。」
確かに、スマトラ沖の地震や、JALの再建問題など、ニュースは多い日だった。
ニュースが多くても、「ニュースの枠」は決まっている。
それが、テレビの都合。
10年前の事故の概要を、
夫婦から預かった10年分の思いを、
東海村の現在の姿を、
10年で進歩した防災システムを、
村長の語ってくれた村の未来像を、
それらを3分に収めるのは、至難の業だ・・・。
たとえ収めたとしても、それで正確に伝わるだろうか。
できないのなら、放送自体を見送った方がいいのかもしれない・・・。
しかし。
私は3分でも、伝えるべきだと思った。
当然ながら、原子力と向き合わなければならないのは、
東海村だけではないからだ。
東海村の高校生でさえ「ピンとこない」原子力事故を、
自分に関連づけて考えるのは、難しいだろうと思う。
しかし、現在、原子力は、発電の約30%を担っていて、
国の政策次第では、今後、そのシェアが増えることも必至だ。
「事故の反省=原子力反対」という簡単な方程式では、決してないという、
その現実にこそ、まず私たちは目を向けなければならないのだと思う。
地方にリスクを背負わせて、都会でじゃんじゃん電力を使う私に、
原子力を批判する資格があるだろうか。
今は、まだ、ノーだ。
それを実感した、2009年9月30日だった。
(了)
[96] Re:東海村10年の思い
- 投稿者
- JJ
- 投稿日
- 10/09 01:52
もう10年も経ちましたか。
第一報が入った(当時職場にあった通信社の情報端末)時、「臨界」の言葉に、
みんな意味が判らず…。確か作業中に光が出たという情報が出てたと思います。
これはエライ事だと感じたのは、周囲を見ても私だけだったような気がします。ちょっとだけ、ほんとに少しだけ知識がありましたので、光を見たという言葉を聞いてゾッとしました。
考ええられないような事故でしたね。ステンレスのバケツの話を聞いて驚いた
のも覚えてます。
もう、みんな忘れ去られていますね。
こういう時が一番危ないんだと思います。