報道人

[100] 記録なき時代の記録

投稿者
報道局編集部 秋山浩之
投稿日
11/24 20:02

20年以上、テレビの世界に身を置きながら、ふっと、
「テレビのこと、自分は何もわかっていない・・」
そう思うことがあります。
そんな時、思わずまさぐって手にするのが『お前はただの現在にすぎない』という本です。
テレビ界の3人の先人が著したこの本は、数多あるテレビ論の中でも抜きん出た存在感を持っています。それは、テレビ表現者みずからが血と肉をもって書いた文章であり、本の出現それ自体がある種の事件だったからです。時代背景が分からないとやや読みづらい本ですが、テレビをめぐる熱気と知的議論に溢れていて圧倒されます。そして、こんな先人たちがいたことに安堵して
「テレビも、捨てたものじゃない」
などと微かな自信を取り戻したりします。

先人3人のうち2人はすでに故人ですが、生前、私はわずかながら交流がありました。萩元晴彦さん、村木良彦さんです。2人が制作した過去のドキュメンタリー番組を衛星放送で再放送した際、それぞれにインタビューして番組論やテレビ論を尋ねたのです。非常に印象的なインタビューでしたが、その内容はいずれ別の機会に紹介できればと思っています。
今回ここで記したいのは、3人のうちの残る1人で、いまも現役ディレクターとして活躍する、今野勉さんについてです。今野さんが書いた自伝的ノンフィクション『テレビの青春』を、私はインタビューベースのドキュメンタリー番組にして、2009年10月に放送しました。テレビ発展期の1960年前後、テレビ制作者たちは何を考え、どう行動していたのか、番組で描きました。そんなむかしのこと、現在のテレビと関係あるの?そう思われる方もいると思いますが、番組を制作しながら私なりに考えたことを書き留めてみます。

今でこそテレビ番組は録画・保存するのが容易ですが、テレビ放送が始まってしばらくの間、番組を録画するという発想自体がテレビ局にありませんでした。テレビ番組は一回放送したら消えてしまうもので、繰り返し見るものではなかったのです。
ドラマですら全編生放送、ぶっつけ本番の時代でした。時代劇の途中でカツラが飛んでしまったとか、背景セットが倒れてスタジオがむき出しになったとか・・。エピソードには事欠かない時代でした。
ぜひそんなシーンをいま見てみたいものですが、残念ながら映像は残っていません。当時、録画技術は未成熟で、且つ、かなり高額なものだったのです。それゆえにほとんどの初期テレビ作品は、録画されることなく、幻のごとく消えてゆきました。テレビにとってこの時代は、いわば「記録なき時代」なのです。

一方で、この時代ほど「テレビとは何か」問われた時代もありませんでした。
新参者のテレビが、どんな可能性を秘め、どこに向かおうとしているのか。ラジオとも、映画とも、舞台とも違うものとして、社会にどう位置づけられるのか。いわば人類の知恵を絞っての、激論が続いた時代でした。
いや、論ずるだけではなく、実際のテレビ番組において、数々の実験がおこなわれた時代でもありました。テレビ的表現とは何なのか、一体どこまで許されるのか。テレビの地平線がどこにあるのかを探ろうというエネルギーに溢れていました。
つまり、この「記録なき時代」、テレビの現場には「知力」と「開拓精神」が溢れていたのです。

今野勉さんの文章は、まさにそんな時代が舞台でした。
『dAの時代』というタイトルで雑誌『調査情報』に連載されていた頃から、私は必ず目を通していました。1959年に入社した今野さんが、同期の仲間5人と『dA』という同人誌を作り、テレビとは何かについて熱く論じ合った。そんな日々が克明に綴られていたからです。当時の空気に触れてみたい。そして、テレビがどのように知的整理の歴史をたどり今日に至ったのか知りたい。私はそう思いながら読んでいました。
だから今回、番組を作るにあたっても、今野さんにまずお願いして『dA』という50年前の同人誌を手にとらせてもらいました。古紙特有のカビ臭いにおいが鼻を突きましたが、中身を読むと当時の空気がそのまま封印されていました。無名の新人ADたちが、精一杯背伸びして、もがく様が目に浮かびました。
「この人たちの七転八倒の末に、いまのテレビがある」
そんな風に感じ、ある種の歴史観を持つことが出来ました。「記録なき時代」に、ひとつの輪郭を与えることができたのです。それは、テレビが様々な可能性を秘めていたがゆえの、絶えざる緊張感に満ちた時代でした。そしてこの緊張感が、現在のテレビを鋭く糾弾する、私はそう思いました。

「dAの時代」から50年。テレビは図体こそ大きくなったものの、それに見合う“おつむ”を我々はもっているでしょうか。テレビとは何かが問われた出来事のひとつ、TBSビデオ問題で浮かび上がったのは、身体の大きさに見合うだけの使命感、倫理感が、完全に欠如しているおのれの姿でした。
その後の反省期を過ぎて、我々は立派に成人となったのでしょうか。ボロこそあまり出さないものの、時に思考停止と思えるほど惰性任せの、仕事ぶりになっていないでしょうか。そしてそんな自分たちを振り返る余裕もないまま、何となく漫然と、毎日をこなしているだけだったりしないでしょうか。

確かに、テレビは消えてなくならない時代に入りました。必要とあらば何度でも再生できる立派な技術が存在する「記録可能な時代」になったのです。ただ、テレビを生み出す側、つまり人間の側の、肝心の寄って立つ柱が、消えかかっていないでしょうか。いったい何を礎として、我々はテレビを作るのか、ぐらついていないでしょうか。
この本末転倒を、私は心配しています。
そして、だからこそ、いまとは正反対の「記録なき時代」に、思いを馳せるのです。あの時代、手足は未熟だったかもしれないが、最大限知力をふりしぼってテレビに向かい合っていた。あの頃の必死さこそ失ってはならない、テレビの礎ではないのか。番組こそ消えてしまったが、作る側の魂のようなもの、確固とした柱が、そこにあったのではないか。それを記録として残さなければいけない。私はそう思いました。

懐古趣味でなく、テレビを論じる原点として、今回の番組は作ったつもりです。
50年前と今とでは、あまりにも状況が違うのに、何の意味がある・・
そんな批判もありました。けれども一方で、テレビ心を持った何人かから、エールを送ってもらいました。
「テレビは、いまも青春・・」
そう語った今野さんの言葉の重みを、しっかりと受け止めたい。そして若い世代に伝えてゆきたい。それが自分に課された使命だと思っています。

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