報道人

[103] Re:事業仕分けと、政治記者の懺悔

投稿者
medito
投稿日
12/02 12:41

貧困に喘ぐものがいる、その現実は重いものです。そして一部の高級官僚の不祥事は許し難いものがある。しかし、私が今回の事業仕分けを見て恐れたのは、「贅沢な官僚が仕分け人にしてやられる」という単純極まりない勧善懲悪の茶番に国民が熱狂してしまうことです。

たとえば、「そんなに予算がほしいの?贅沢し放題だよね君たち?生活が厳しい『弱い人たち』だってたくさんいるよ?それでもそんなに予算ほしいの、ねえ?」と。官僚=無駄遣い、贅沢三昧、恩知らず、というステレオタイプなイメージが広がり、一人歩きし、そしてそういったイメージとは対極にある『弱い人たち』を持ち出す人間が現れ、「本当に必要かどうか」の議論が単なる階級闘争のようなものに矮小化されてしまう。
もっとも、そういうイメージを作った官僚が悪いと言えばそうですが、「本当に必要かどうか」の議論をするときに、「官僚のイメージ」というのは全く判断材料にならないものです。官僚の不祥事に批判的姿勢は当然保つべきですけど、それとこれとは別、というさばさばした姿勢も必要である。適切に判断し、その上で官僚に適切に運用させればいい話なのですから。

然るに、今回の事業仕分けの国民の反応をみるに、そういった姿勢をどれだけみんな持っているかどうか。怖いのは上の方が言っておられるような(他意はないことをご理解ください)、「そのお金がなぜそれだけ必要で、世に訴えることもできない弱い人たちの食費や医療費よりもどれだけ大事であるかを教えてください」というような話になることです。「弱い人たちの食費や医療費よりどれだけ大切なんそれ?」。完全に「肥えた官僚」と「弱い人たち」の対立図式に取り込まれている。
こういう言い方をされれば、反論をするのは難しい。何故なら、こういう言い方をする方は、はじめから「弱い人たちの食費や医療費の方が大事に決まってんだろ!?」と考えているからです。なにを言っても説明する側は「弱い人たちの食費や医療費よりも自分たちの予算を優先させる悪者」扱いになる(そもそも上の問いがそういった仮定を無意識、もしくは意識的に内包したものですから)。
そういった基準も大事な基準の一つではありますが、わかりやすい勧善懲悪の、仕分け人が官僚をやりこめるという図式に国民が熱狂して、皆がそういう偏った考え方になれば適切な査定なんて出来やしません。大衆はわかりやすいものを好む。極端から極端に走る日本の国民性を考えても、心配です。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」。誰の言葉でしたっけ。けだし至言である。貧困に喘ぐ方たちにたいするホットな心、イメージに惑わされず冷静に物事の必要不必要を考えることの出来るクールな頭脳。そういったものが、求められています

投稿する

 
投稿フォーム [引用付の返信をする] ※コメント投稿のお願いを必ず参照して下さい 
あなたのお名前 *
題名 *
ご発言本文
※いただいた投稿はすぐには反映されません。上記「コメント投稿のお願い」をご参照ください。