「レオニー」に託すもの 松井久子さんⅡ
2010/12/16
~「視る側」から変えていく~
―これまでも多くの「出会いの連鎖」があったということですが、3作目の中でも忘れられない出会いはありましたか?


「出会い」には、「偶然の出会い」もありますが、「獲得する出会い」もあります。例えば、「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」という映画を見た時、そのカメラマンが日本人だなんて思いもしなかったのですが、「こういう映像を撮る人を撮影監督としてアメリカで探さなきゃ」と思っていたら、なんとその映画のカメラマンが永田鉄男さんという日本人だったんです。それで家に帰ってすぐ永田鉄男さんのホームページを探して、メールや電話で連絡し、口説いたということもありました。
また、音楽を担当して下さった作曲家のヤン・A.P.カチュマレクとの出会いも、忘れられないものです。きっかけは、アメリカの映画音楽の作曲家10人の音楽、1人15曲分ずつ入っているCDを、その人たちが過去にどんな仕事をしているかなど予備知識を何も入れずに聴いたことです。聴いた後、即座に「この人しかいない!」って思ったのが、ヤン・A.P.カチュマレクの曲で、すぐさま「この人に会いたい!」とエージェントにお願いに行ったのです。でも、エージェントから「予算はいくら?」と聞かれて、「これぐらい」と答えたら、「それではヤンはやらない、自分は言えない」と言われてしまったの。「彼はアカデミー賞の受賞者だし、そういう金額とそういう製作期間では、とても自分たちは彼に話を持って行けない」と。

エージェントにそう言われてしまったので、アメリカ側のプロデューサーも「別の作曲家を考えてくれ」と言い出しました。それで泣く泣く9枚のCDを聴き直して、3人の作曲家を選んで面接したんです。ありがたいことに、3人の作曲家達は皆、熱心に「レオニー」の音楽を作りたいと言ってくれました。で、いよいよ、「私、決めなきゃいけないのかな」となった時に、「その前に、一度ヤン本人に、ちゃんと自分の思いを伝えてみよう」と思ったんです。「それで断られたら仕方がない。その時にこの3人のうちの誰かを選ぼう」と。それでエージェントにもプロデューサーにも内緒で「これは私信です」と手紙を書いたら、アカデミー賞受賞作曲家のヤンが、なんと赤字を覚悟までしてやってくれることになりました。そういう意味では出会いは漫然と待っていたりするものではなくて、自分がこれだと思ったら、少なくとも思いは伝えるものだと、つくづく思いましたね。

私たちが陥りやすいのは、自分のサイズを自分で決めてしまったり、あの人は雲の上の人だからと自ら諦めてしまうこと。でもそういうことを言うのは、自分に覚悟と勇気がないだけなんですよね。本当に欲しいんだったら自分の気持ちは伝えないと。もちろんだめなこともいっぱいあると思うけど・・・。結局ヤン・カチュマレクから「監督からここまで請われることがどんなに嬉しいことか、君の手紙を読んで改めてわかった」と言って頂いて。
―「見る側」のお客さんと築いた関係については、いかがですか?
テレビにはスポンサーがいますね。そこには“経済の理論”が確実に絡んでいる。そうした状況では、テレビを作る一人ひとりの「志」というのをそのまま通すのは、なかなか難しいことかもしれません。だけど今回私が、「マイレオニー」の方々と一緒にやっていることは、「与えられるのを待っているだけじゃなく、“見る側”“与えられる側”も動こうよ」というものだったのです。これでもし、映画界の人が考えているよりも多くの人が「レオニー」を観に来てくれれば、「こういうものでも大丈夫なのか」と“作り手側”“お金を出す側”の考え方が変わってくるかもしれません。
“見る側”が文句言っているだけではダメなんです。私は“見る側”の一員、“受け手側”の一員のような気分だから、自分も同じ“見る側”として、動いてきたような感じですね。
アメリカなど外国に行くと一番感じるのは、みんな、政治に対しても何に対しても、一生懸命自分で考えています。自分の考え方というものを持っている。それは、子どもの頃からそうやって教育されているから。「人と同じじゃだめよ。あなた独自の意見はないの?」と言われて教育されている。一方、日本では、「同じじゃないとだめよ」という教育が行われています。その両者で、大人になってから自主性に大きな違いが出るのは当然のことですね。
自分の持っている「志」について、日本の映画界とかメディアに訴えても、全く反応がありませんでした。全然だめだったから、私はそこに頼らず、私の味方であるお客さまと組むことを選びました。たとえば今回映画が完成して、宣伝部がパブリシティで売り込みに歩いた時、メジャーなメディアは、私の地味さや年齢を理由に(笑)、なかなか扱ってくれませんでした。テレビもそう。有名じゃないからとか、地味すぎるとか、やっている題材が固いからとかの理由で取り上げてくれません。私、若い頃にセクシュアルハラスメントに苦しんだと思ったら、いま、エイジハラスメントに苦しめられているの(笑)。

―色んな仕事を経ていま、映画監督をやっていらっしゃいますが、これからも、映画監督としてやり続けていきたいですか?
映画を作って一番ありがたいなと、だから映画はやめられないと思った理由は明確です。テレビって、2時間ドラマも映画と同じくらい苦労して作っているけど、“一回オンエアされたら終わり”なんですよね。せいぜい再放送を1回やるくらいじゃないですか?それと視聴者には、簡単にチャンネルをまわされちゃう。ところが、映画の観客は、電車に乗って劇場に来てくれて、お金を払ってチケットを買ってくれ、2時間の間真っ暗な中で私の映画を見続けてくれる。これを味わったら映画はやめられないですよ(笑)。
映画は総合芸術と言われますが、監督の仕事も全部が総合した仕事ですよね。今、監督をしながら私は、ライターの時の経験も、マネージャーやっていた時の経験も、プロデューサーをやっていた時の経験も、全部を生かせているような気がしています。そういう喜びを知ってしまった。でも、インタビューを受けると最後に必ず「次はどういうものを作りたいですか」と聞かれるんですが、そんなに甘いものじゃないことも確か。これが失敗したら、映画監督としての私はもう終わり、といつも思っています。
だから、失敗したくないと思う理由は、また映画を作れるという希望を持ちたいから。他に食べていく術もないですしね。毎回そう思っています。1作目「ユキエ」の結果が出たから2作目の「折り梅」について考えられたし、「折り梅」を100万人が見てくれたというところから「レオニー」につながっていった。今はひたすら祈るような気持ちで、映画公開までのカウントダウンをしている心境です。(お話をお聞きしたのが、公開5日前のことでした)

映画監督としては、50歳からの出発でした。いま60代半ばになってやっと、自分のビジョンなり、自分の言葉というのを胸張って伝えられるようになりました。それができるようなものが、自分の中に積み重なった。それを伝えるために、映画くらいぜいたくな仕事はない。自分の描いたビジョンを皆に見てもらうために、世界のすぐれた才能と技術をお借りしてね。そこでその人たちとぶつかり合いながら、作品を生み出す。これほどぜいたくな仕事はないと思っています。
―1人でアウトプットするのではなく、色んな人とセッションして作り上げていくのが醍醐味なんですね。
それが好き。というか、それが私には合っている気がします。一人ぼっちには耐えられないから(笑)。共同作業が好きなんですね。お客さまも含めて人が好きだし。
私は常に、私が上から与える立場だと思っていないし、相手から学ぶ立場だと思っています。学ぶことはたくさんあります(笑)。

プロフィール
松井久子(まつい・ひさこ)
早稲田大学文学部演劇学科を卒業。「週刊平凡」「アンアン」等の雑誌ライターを経て、
1976年、俳優のプロダクション(有)イフを設立。数多くの俳優のマネージメントを手がける。1985年、(株)エッセン・コミュニケーションズを設立し、プロデューサーとしてドラマ、旅情報、ドキュメンタリー等のテレビ番組を多数企画・制作。
映画初監督作品「ユキエ」(1998年)では、アメリカ・ルイジアナを舞台に、45年間連れ添った夫婦の愛と老いの姿を描き、国内外の映画祭で高い評価を得る。第2作「折り梅」(2002年)では脚本も手がけ、日本の平均的な家族が再生する姿を老人介護を軸に描き、公開から2年間で100万人の観客を動員。全国1350箇所を超える自主上映会が今も続いている。
現在、製作・脚本・監督を手がけた3作目「レオニー」が全国で上映中。
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