2010年のテレビに
― 最近、「テレビが見られなく」なったと言われます。その理由は何だと思いますか?
全然、答えを僕が持っているわけではないので、今日何がしゃべれるのかちょっとわからないんですけどね・・・。でも、夕方テレビをつけていると、どこのチャンネルを見ても、“安売り”とか“食べ歩き”とか“デパ地下”みたいなことをずっとやっているじゃないですか。あれ、ニュースの枠なのかすらわからないけど。(制作している側が)きっと主婦はそういうものにしか興味がないだろう、と思っているということですよね。なんか見てると馬鹿にされている気がするんだよな。他にも関心持つだろうよ、という気がする。何でみんな同じになっちゃうんだろうなって。同じテロップの入れ方するし。
あと、“コメンテーター”に、専門家が出ていないですよね。コメンテーターとして、専門家じゃない人が専門じゃないことをしゃべっている。あれは責任のない井戸端会議の話ですよね。それでいいんですかね。気になるのは、僕はテレビでしゃべるのって、自分の専門のことしかしゃべりたくないと思っているから、テレビのことしか論じないようにしているんですけど、専門じゃない人間が自分のしゃべることに対して、なんか、責任が薄すぎる気がするんだよなあ。
「わかりやすく」「視聴者の目線に立って」ということで、僕は、(番組を)作ったことがない。正直言うと。0、何パーセントの視聴率競争もしたことがない人間なので、そこで日々闘っている人の気持ちがわからないから、それを、外から、 “意味がない”と言うのもどうなんだろうと思うんだけど。
自分が面白がって作っている、という感じが無いので、見ないです。僕は。
“食べ歩き”も、ディレクターが面白がって作っているんだったら、たぶん、もうちょっと面白いと思うんですけど。なんか、すごくね、「ああ、作っている人間があんまりテレビを愛してないな」とか、「好きじゃないのかな」ということを感じる。それはテレビだけじゃないので。映画も最近そうなので、そんな気がするんですよね。監督が面白がって映画が出来上がっていない気がすごくします。それもまた、おおざっぱな言い方ですけど。
ディレクターを感じなくなってきましたよね。残念ながら。視聴者という・・・視聴者ってわからないものですからね。そこに向かって作る、って全然よくわからないですよね。
― 作り手の自分にとっても、面白かった番組作りって、そこに文化祭みたいな空間があった時です。
わかります。制作会社もそうです。文化祭とか体育祭が続いている感じでものを作っている時は非常に面白かったですけど、いま、そういう気分がだいぶ薄くなっているのは薄くなっている。制作の現場もね。
僕はニュース23の、特に「二部」が大好きでした。大人な時間の感じがした。テレビの中に、ああいう大人の時間がなくなりましたよね。みんな、子どものための時間になったでしょ。映画でも、子ども向けって言ったら悪いけど、10代の女の子、20代の女の子までの映画がすごく多くなってきているんじゃないですか。だから、儲かるということ考えるとさ、みんな、そこへ向かって作り始めちゃうんですけど、本来、テレビとか映画って、「わかんない」って子どもから言われた時に、「じゃあ早く大人になれよ」っていう、上目線って言っちゃうと誤解されるんだろうけど、「子どもだなあ、わかんないのか、これが」っていうことがあっていいんだと思うんだよね。それが子どもの成長を促すことになると思うんですけど。そういうものが、テレビにもう少しあっていいんじゃないかと思う。せめて夜のニュースにくらい。
いま、(制作している側は)「いまどき、テレビを見ている人は知的レベルがそれほど高くないから、もっとくだいていかないと見てくれない」って、色んな意味で、低い方へ低い方へいくじゃないですか。だから、作っている人間が見ている人間をばかにして、見ている人間が作っている人間をばかにしている状況なんだよね。本当はもう少し、お互いに上がっていくようなことが、まだまだ出来ると思うんですけどね。「見なくなった」って言っても、今、僕は、大学で、テレビの話しを30人ぐらいの学生を前にしていて、確かに「テレビをほとんど見ない」とみんな言うんだけど、じゃあ、どういう情報で動いているかというと、意外とテレビの、テレビ発信の情報に動かされている。気がつかない間に。どんな映画を見るかというのも、結局、テレビでスポットが流れた映画に行くとか、意外と見ているんだよね、テレビを。
「見ている」と言いたくないだけの話で、今でも、意外と行動の起点にはなっているんだな、と思う。
だったらもう少し、大人の文化としてのテレビの動機付けというか、方向付けをするようなものを、作れてもいいのになあと思うのが正直なところなんですけど。
たまに、いい時間帯で(番組を)作ったりすると、何重にもチェック入るじゃないですか。あんた誰?みたいな人がいきなり編集に来て、ああだこうだ好きなこと言って、「直せ」って言うじゃないですか。その人、知らないもんね。その知らない人に、2年かけて取材したものの最終段階で意見言われたくないなって。システムの問題としてどうなんだという気がするけど。
そうやって来た人間に、「テレビ見ている人はバカですから、わかりやすくしないと」「今見ているものが今、何なのかわからないとチャンネルを回される」って言われたことがあるんですけど、その発想自体が僕は逆だと思っていて、ずっと。何だかわからないから見るんじゃないかなと思っていて。
わからないと言われることに対する強迫観念みたいなものからいっぺん離れないと、たぶん、面白いものを作れないんだろうと思うんです。
― 今テレビは、“特色を持つこと”を恐れているのでしょうか。だから全部が横並びになる。
テレビを表現だと思っていない人たちがいるということですよね。公共性をどう捉えるかということを考えた時に、それが誰かの表現になってしまった時に、それは公共のものではなくなるんだという。“私”の表現というのは、作家が勝手にやる分にはかまわないけど、放送という公共の電波の中ではやるべきではないという考え方がたぶん一方ではあって、その“私の表現”を削除したところに初めて客観が生まれるんだという信仰が、たぶん新聞の時代から続いていて、その考え方に支配されている人がテレビにいるんだと思いますよ。そこから解放されないとだめだろうと思うんだけど、全然解放されないんだよね。テレビが生まれてからずっとそうだと思うんだけど。
村木さん(注1)が言っていてすごく大事だなと思ったのは、「パブリックっていうのは、多様な個がお互いに認められて初めて成り立つ」と。「個っていうのを排除するところからは、決してパブリックは生まれない」と言っていて。そういう発想でテレビの個々の番組を作っていくという意識を、なんとか培っていかないと、テレビが、“多様性を獲得したり保障したり広げていったりするメディア”ではなく、“多様性を殺していくメディア”になる。もうなってしまっているけど。
80年代以降、特に、同一性とか同調圧力というものにすごく加担をするメディアになっている。
本当は、放送っていうものの軸足をそこから引き離していかないといけないと思う。今、少数者とか多様な個を押し潰す方向でしかテレビが機能していないので、そこが一番問題ですよね。
酒井法子が裁判所の中で何を着ていたかとか、髪型がどうだとか、何もあんなに息きらしながら、皆で伝えなくてもいいだろうと思う。そんなに緊急を要する情報じゃないですよね。あの日、鳩山首相の所信表明があった日ですよね。でも夜のニュースも、一発目が酒井法子なんだよな。どうしちゃったのかな。その優先順位っていうのを、筑紫さんなんかは考えていたじゃないですか。一つ目の項目を何にするのかっていうところに、そのニュース番組の意志を出そうとした。そこで“どういう優先順位を作り手がつけていくのか”ということを放棄すると、速報性だけだったら、ネットに絶対かなわないからね。個性をどこで出すのか、要するに“私”性といってもいいですけど、その匂いや色がしなくなった時に、やっぱりネットに飲み込まれると思うんだよな。逆にそこを徹底的にこだわって、“伝え手というものをきちんと見せていく”方向でしかテレビは生き残れない気がしますけどね。
僕は、全然政治的なイデオロギーはないので、例えば左翼と言われても、いかんともしがたいんですけど。でも運動だと思いますよ。運動しないとだめなんだと思います。僕は運動が終わった後に大学に入っているので、団塊の世代の運動の好きな人に対する嫌悪感というか忌避感がすごくあります。イデオロギーでものを考えていかないというのは僕はある自由だと思っているので、全然嫌いじゃないですけど・・・嫌いじゃないというか、むしろ大事だと思っているんですけど。ジャーナリズムとか、放送とか、公共というものを考えていくときに。
ただ、常に、「少数の側の声をどういう風に伝えていくのか」っていうことは考えている。村上春樹ではないけど、「壁と卵」(注2)であれば卵の側に立つべきじゃないですか。その“べき”ということは主義だからね、どうって言われてもしようがないと思うんですけど、そこを怖がってはいけないと思いますけどね。
― 「テレビを表現だ」というふうに捉えた上での議論は、少ないのかもしれません。
でもね、多分、いつの時代もそうだったと思いますよ。村木さんの番組(注3)を作った時に、60年代のTBS内部の色んな資料を今野勉(注4)から借りて読みましたけど、その当時から、ほとんどの人は何も考えてないですよ。表現することについて、とか、私性、とか、全く。
今その時に声をあげた人たち、立ち上がった人たちのことが語られているから、昔はいい時代だったと言われちゃうのかもしれないけど、当時だって彼らは少数派だった。だから排除された。だから、少数の人間が声をあげ続けるしかないんじゃないですか、いつの時代も。だって今より露骨に政治介入はあったし、60年代、放送中止の事件も山ほどあって、で、組合はそれをイデオロギー的に利用し、会社は会社で企業を守る方向へ。“視聴率とスポンサーと、政治的な配慮で保守へ走るという状況“は、今とそんなに変わらないんだと思う。
何が変わったかというと、僕はやっぱり「少数者の頑張りが変わったんだ」と思ってて、それはね、少数者であることを恐れてはいけないし、時代のせいにしてはいけないんだ、ということを改めて思いましたけど・・・。
― 是枝さんは、テレビでの番組制作は、TBSの「報道の魂」(「追悼 村木良彦『あの時だったかもしれない』~テレビにとって「私」とは何か~」2008年5月放送)以来、やっていないですか
ないです。だって、企画通らないんですよ、僕。なんか、何するかわからないから(笑)。何するかわからないから、1回やると続かないんです。だってもめるんだもん。あれ(TBSの「報道の魂」)は好きにどうぞ、という話だったから。あんなことめったにないですよ。だから、制作会社の人間がいくら騒いでもね、根本は変わらない。放送局にいる人間がね、ちゃんとしてくれないと(笑)。中にいる人間がきちんとしないとね、なかなか難しいです。
― 表現の話に関連して・・・テレビは、事実をどう「見る」か、どう捉えるか、という作業をしていると思いますか
批評性、ですよね。批評するということは、ある種のジャッジをする、ということですからね。それは顔が見えてきちゃうということだから。それを嫌がっているんじゃないですか?でも、それがないと意味がない、伝える意味がないと思いますけどね。
これは自分たちの世代の反省でもあるけど、この人はこの事件について何を考えているんだろう、何を言うだろうって思ってもらえる人が、やっぱり育っていないっていうのもあるよね。筑紫さん、鳥越さんとか、田原さん…、田原さんは自分の意見はないかもしれないけども、そこ、みんな、60代70代でしょ、その下の世代に、いわゆる ジャーナリストって言われる人の中で何人いるかっていうと、非常に心もとないですよね。森達也さんくらいですかね、50代だと。それは反省点だな、と思いますけどね。
― それって、さっきの話にもつながりますけど、テレビを見て、筑紫さんとか鳥越さんが言ったことを聞くと“考える”じゃないですか。でも今は、すごく砕いてわかりやすく説明するってことはやる一方で、考える視点というものはあまり与えることができていないのかもしれません。テロップの数は増えるけど…。テレビがどんどん幼稚になっていくんじゃないかなっていう危惧があります。
テロップはそのまま出しているだけだからね。はっきり言って、活字への敗北だと思うけどな。
それはね、声の感じとか、間とか、言いよどみから、何かを感じとっていくということが出来なくなるよね。コミュニケーションってむしろそこなのに、そこを誰も信用しなくなってる。それはひどいですよね。あとナレーションもそうですけど。映っているものを説明するだけのナレーションなので、見ていればわかるよ、っていう。むしろ見てないことを、もしくは、見た人が感じることと違う批評性を加えていくためには必要だと思いますけど、映っているものの説明であるなら、それは映っているからいいじゃないかっていう気がします。今はやっぱり同じ方向でフォローする。映っているものが、ナレーションとテロップと同じ方向でフォローされるから、同じ方向のものが3つ入っているもんね。下手すると音楽も同じ方向で入るから4つなんですよね。スタジオで受けるのも同じ方向、その単調さはね。それだったらまだね、たまにTBSのバラエティ番組の「リンカーン」を見ますけどね。あれね、タレントさんのしゃべりに、テロップがちゃんと突っ込んでるよ。ちゃんと。要するに批評してる。僕は、テロップで突っ込むということをちゃんとやっているあのやり方の方が、むしろ、テロップの使い方としては非常に優れていて、批評性を持っていると思う。テレビ番組として。報道の人もああいうの、勉強したほうがいいと思うよ。
ドキュメンタリーの人ってやっぱり、これだけ見られなくなったのは、題材に意味があるから、見るに値するものが映っているんだからつまらなくても見ろよ、っていう意識が強すぎたんだと思う。それはたくさんテロップを入れるというのとは別の意味で、見てもらうためのテクニックとか必要だと思うんですよね。エンターテインメントなんだから。そういう意識がね、薄いな。特に夜中の自分がやっている番組だからあれだけど、日テレの夜中の番組とかさ。ま、NHKもだけど。もうちょっと工夫はないの?っていう気はしますけどね。もっと面白がらせてくれてもいいのにな、とか。「CBSドキュメント」なんか見てると、やっぱり非常に重たいテーマを扱ってても、面白いもんね。エンターテインメントとして。なんでこういうの出来ないんだろうなって思います。ああいうものをちゃんと時間をかけてやれば、ゴールデンタイムでも見てもらえるドキュメンタリーとか報道って成立すると思うよ。だってあのアメリカで成立してるんだよ。
筑紫さんだったら、きっとCBSドキュメントなんかやるとさ、好きな音楽の人とかそういう人のインタビューばっかりやるんだよ(笑)観てみたかったけど。
― 筑紫さんは、テレビを本当に愉しんでいましたもんね。
だから伝わるんだよ。撮ってる人が面白がってるとか怒ってるとか、喜怒哀楽を・・・。あ、自分で作ってても、対象なり世の中なり何でもいいですけど、自分が抱えこんだ喜怒哀楽がきちんと出たものは、やっぱり伝わるよね。やってて面白いし。そのことを恐れない方がいいだろうと思うけどな。今はそれを殺そう殺そうとするし。それを入れちゃいけないんだ、という教育をされているだろうし。それはやっぱり、作っている人間の感情が動いてないものは、観ている人間の感情を動かさないと思います。当たり前です。
さっき言った映画もそうです。というのは、監督の感情が見えないものが増えたなって思うんですよね。監督が作りたいものを作るのではなくて、プロデューサーが主導で。観客が観たいというものを作るようになって日本映画の観客動員が増えた、という捉え方を多くの人たちはしているので、そのことと闘っていかないといけないんですけど。結果としては確かに観客動員は増えているので、いろんな要因があるとは思うけどね。それこそテレビのスポットの問題もあるだろうし。そこに、どう対峙しながら、監督の感情とか思考というものを作品の中に残していくかというのは、結構、死活問題なので、やらないといけないし、がんばらないといけないと思うんですけど。テレビも本当にそうだと思いますね。
テロップが多いのも、ただで入るようになったからいけないんじゃないの?昔は紙焼きで1枚600円したのよ。今はその場で入れられるし。古い話だけど、僕が始めた頃は紙焼きをがっちゃんこがっちゃんこ入れて、誤字とかあると前のテロップを切り貼りして、118%?みたいに大きさ合わせたりして、編集室の脇で一生懸命にやってたもん。あれだったらお金かかるからね、そんなに入れられない。手作業だし。でも70年代までは本当に入ってないよ、テロップなんて。何にも入ってない。でも観てくれますよ。全然大丈夫ですよ。
テレビの現場で働いている人には、もっとテレビを愉しんでほしいな。でも、大変だろうね。
ははは(笑)。笑ってる場合じゃない(笑)。テレビマンユニオンだって大変だもん。僕みたいに、なんて言うんですかね、いい歳して理念を語ってる人間は、会社を支えて頑張って番組作っている人たちからすると「なんだよ、一人だけ好きなこと言いやがって」って。「少しは会社のために働け」って思ってると思います。「いいよな、お前は好きなことやって」って言われてますからね、多分。
今野勉さんも今はひたすら好きな番組だけを作ってますね。70歳を超えて。愉しそうですよ。
― 今野勉さんの言葉で印象的だったのが「視聴者が見たいと思っているものだけ、作るんじゃなくて、見たいと思ってないものをこちらから見せていくべき」という話です。
そうそう、これ面白いよっていう提案を、もっとするべきだよね。今野さんはただ、自分が愉しいんだと思います(笑)あんなに50年愉しそうにしている人って珍しい。けど、うらやましいですよね、かなわないですよ。
― でも、そうやって憧れる存在がいるっていうのは、後輩の私たちにとってはありがたいことですよね。
そうですよね、だからせめて愉しそうにしてようと思って。辛そうにしてると、みんな目指してくれないから。今、学生を前にして何を話すかというと「愉しいよ!」っていうのと「食えてるよ!」っていう2つをちゃんと伝えないと、目指してくれないの。愉しいだけだと…。「年金とかどうなってるんですか?」って学生に聞かれちゃって。「監督は国民年金ですか?」って。「ああ、監督、国民年金です」って(笑)。「じゃあ、死ぬまで働くんですね」とか言われて。「だって愉しいもん!」って言って。こんな大変な仕事、愉しくなければやっていけないじゃないですか!(笑)つまんなかったら、ねえ。あと、学べる場所である、っていうこともすごく大きいですよね。本当に。
注1) 村木良彦さん 1970年TBSを退社し、日本最初の独立テレビプロダクション「テレビマンユニオン」を立ち上げ。「地方の時代映像祭」プロデューサーを務める。2008年1月死去。
注2) 2009年2月、作家・村上春樹が、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行ったスピーチ。「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」
注3) 是枝さんが、2008年5月18日に、TBS「報道の魂」で放送した企画 「追悼 村木良彦『あの時だったかもしれない』~テレビにとって「私」とはなにか~」
注4) 今野勉さん 村木さんとともにテレビマンユニオンをたちあげ。73歳の今も現役でテレビ制作に携わる
是枝 裕和 (これえだ ひろかず)
映画監督・テレビディレクター
1962年、東京生まれ。87年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出、現在に至る。
主なテレビ作品に、水俣病担当者だった環境庁の高級官僚の自殺を追った「しかし…」(91年/フジテレビ/ギャラクシー賞優秀作品賞)、一頭の仔牛とこども達の3年間の成長をみつめた「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」(91年/フジテレビ/ATP賞優秀賞)、新しい記憶を積み重ねることが出来ない前向性健忘症の男性と、その家族の記録「記憶が失われた時…」(96年/NHK/放送文化基金賞)などがある。
95年、初監督した映画『幻の光』(原作 宮本輝、主演 江角マキコ・浅野忠信・内藤剛志)が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞等を受賞。
04年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。08年には、自身の実体験を反映させたホームドラマ『歩いても 歩いても』(主演・阿部寛)を発表、ブルーリボン賞監督賞ほか国内外で高い評価を得る。同年12月には、初のドキュメンタリー映画『大丈夫であるように-Cocco終らない旅』を公開した。 09年、最新作『空気人形』が、第62回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、人形が心を持つというラブ・ファンタジーと、メタファーとしての官能を描く≪新たなる是枝ワールド≫として絶賛される。現在公開中。