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5.23授賞式

2008年度日本記者クラブ賞授賞式

2008年5月23日(金) 於)日本プレスセンタービル

日本記者クラブ(社団法人・滝鼻卓雄理事長)は4月24日の理事会で、
本年度の日本記者クラブ賞を、TBS報道局キャスターの筑紫哲也氏に受賞することを決定し、
5月23日の総会で贈賞式がおこなわれた。
以下、受賞理由を紹介した上で、贈賞式の模様を記す。

〜受賞理由〜

1989年スタートのTBS系列「筑紫哲也ニュース23」のメーンキャスターとしての18年余の活動実績が、わが国のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした。

朝日新聞記者としての30年で培ったジャーナリスト魂と豊富な取材体験を糧に、時流や大勢に流されない安定した報道スタイルで内外の動きを的確に伝え、幅広い視聴者、ニュース源の信頼を得た。

鋭いニュース感覚と的確なアジェンダ・セッテングだけでなく、文化活動の発掘・紹介などテレビならではの可能性にも挑戦し、民放テレビ報道の社会的役割の向上にも資した。

肺がんのため今年3月で、同番組のメーンキャスターを降りた。しかし、昨年7月、参院選開票特番に声だけで出演し、安倍首相に「選挙で答えが出たにもかかわらず続投するとなると、国民の審判はどういう意味をなすのか」と直言したように、ジャーナリストとしての情熱に衰えはない。今後も節目節目でTBS系列の番組で活躍する。

歴代の日本記者クラブ賞受賞者や日本記者クラブ理事らが出席した総会で、滝鼻卓雄理事が受賞理由を読み上げ、筑紫氏に表彰状と記念メダルが授与された。

滝鼻理事長の挨拶

筑紫さんは「新聞記者」「雑誌編集長」「テレビ・アンカーマン」と3つのジャーナリズムの現場を渡り歩いた・・「渡り歩いた」というと何か失礼ですね。(笑)「上り詰めた」かたで、非常に日本記者クラブ賞にはふさわしい選考結果だと思いまして、我々も非常に誇りに思っています。

若干、健康に問題をお抱えになっているようですが、それを克服されてですね、これからは日々この国で発生すること、あるいは世界で発生する様々な出来事について鋭い発言を継続してやっていただきたいということ、それをお願いすると同時にもうひとつ。

最近、何となくジャーナリストに元気さがない。私たちから見ると足りない。特に若い新聞記者あるいは報道記者に足りないと思いますので、それに活を入れる発言をやっていただきたい。特に、ジャーナリストに進むべき道を示すようなご発言・教育活動をやっていただければ、我々後輩の者にとってはありがたいと思っています。

これからますます充実したジャーナリズムの道を歩んでいかれんことを祈念いたします。

筑紫哲也氏の挨拶

賞をいただいた上に、過分なお言葉をいただいて恐縮しております。私自身は滝鼻さんが言われた「渡り歩いていること」を「漂流している」という言い方をしておりまして、「自分は漂流者だ」と言ったこともあります。(会場笑)

今回の受賞を本当に個人的に喜んでいるんですが、悪い冗談もどうもあるようでして、「アイツにこの賞はいらないんじゃないか。もらっても喜ばないんじゃないか」と。

なぜかといえば「長年、日本の記者クラブを批判し続けているヤツだから」という話でして・・・。

ジャーナリストは、まず言葉は正確であるべきだと思います。私は、「日本型の記者クラブ制度」について批判をしてきたことは、隠すつもりはありません。しかし『社団法人・日本記者クラブ』を批判したことは、一度もありません。(会場笑)

私の受賞は41人目に当たるそうです。その中で、おそらく私が一番喜んでいるんじゃないかと思います。「客観的にそういえるのか」という方もおられるかもしれませんね。

これだけ長いことこの職業をやっていますと、それに対して、本当に41人中一番喜んでいるという理屈を並べることは可能でありまして、理由が3つあります。

ひとつは、私があと一ヶ月後に73歳になります。たぶん受章した時の年齢でいえば、最高年齢のグループに入るだろうと。近年見るかぎり、僕よりずっと若い方が受賞されておりますから。

ということは、73歳になろうといている人間が、まだ現場にいて現役であるということを、日本記者クラブの方が認めていただいたということで、ひときわ喜んでおります。

次に、さきほど滝鼻さんがおっしゃったように、私はいろんなところを「漂流」してきましたから、それぞれの業界の中で、いかに対立が激しいか、葛藤があるか、競争があるか、ということをイヤになるほど知っております。それだけじゃなくて、テレビ対新聞、新聞対雑誌という中で、いろいろと葛藤があることも皆さんご存知のとおりです。

そういう中で、ある意味、企業の色がついているとか、染まっている人間が、この賞をもらうということはありえないと、私は長年固く信じておりました。ですから選考に当たられた皆さんの非常に度量の広さといいましょうか、懐の深さというものについて、改めて敬意を表したいと思います。

最後の3つ目の理由でありますが、これは受賞理由そのものに書かれていることでもありますけれども、「テレビはマスメディアではあるかもしれないけれども、本当にジャーナリズムなのか」という疑問がジャーナリズム論ではずっと続いてきました。今も、続いているんだろうと思います。

にもかかわらず、日本記者クラブは、今回の受賞理由を見ますと「放送ジャーナリズムの確立に貢献した」とお書きになっています。つまり、放送ジャーナリズムがあるんだということを、いわば「認知」されたわけでございまして、そのことは大変うれしいことだと思います。

新聞や雑誌の世界は、最後に鉛筆と紙さえあれば勝負できる、個人技だというウヌボレをもってやれる職業であります。ところが、テレビはどこまで行っても「集団作業」であります。

ですから、今回の私の受賞というのは、私個人ではなくて、「筑紫哲也ニュース23」という番組に18年半にわたって集まり、はせ参じてきたスタッフたち、番組に協力してくれた人たち、そしてこの番組を支えたTBSと、それと一緒に隊列を組んだJNN、そういう人たちの全部の努力を代表していただいたんだと思います。

それだけじゃなくて、テレビはジャーナリズムじゃないんじゃないかという非常に意地悪な視線を受けながらここまでやってきたすべてのテレビの現場の人たち皆さんと受賞を喜びたいと思っています。

まあ、これだけ理屈を並べますと、私がいかに受賞を喜んでいるかということがおわかりいただけたかと思います。(笑)

改めまして本当にありがとうございました。(拍手)

*日本記者クラブ賞は、日本新聞学会(現・日本マス・コミュニケーション学会)の元会長、千葉雄次郎氏が1972年、自著『知る権利』の出版を記念して、クラブへ贈った寄託金を基金として創設。
報道・評論活動などを通じて顕著な業績をあげ、ジャーナリズムの信用と権威を高めたジャーナリストにあたえられる。
*参考までに、以下、日本記者クラブ賞受賞者一覧(敬称略)を記載。

日本記者クラブ賞受賞者一覧

1974年度
松浦直治(長崎新聞社)
1975年度
古谷綱正(東京放送)
1976年度
松岡英夫(毎日新聞社)
池松俊雄(日本テレビ放送網)
1977年度
芝 均平(朝日イブニングニュース社)
磯村尚徳(日本放送協会)
1978年度
松山幸雄(朝日新聞社)
1979年度
岩下雄二(熊本日日新聞社)
1980年度
疋田桂一郎(朝日新聞社)
1981年度
村尾清一(読売新聞社)
1982年度
須田 栄(中日新聞社)
1983年度
斉藤茂男(共同通信社)
1984年度
増田れい子(毎日新聞社)
牛山純一(日本映像記録センター)
1986年度
岡村和夫(日本放送協会)
1987年度
大谷 健(朝日新聞社)
吉野正弘(毎日新聞社)
1988年度
石井英夫(産経新聞社)
1989年度
小島 明(日本経済新聞社)
1990年度
諏訪正人(毎日新聞社)
吉田直哉(日本放送協会)
1991年度
藤原房子(日本経済新聞社)
1992年度
芥川喜好(読売新聞社)
岩見隆夫(毎日新聞社)
1993年度
古森義久(産経新聞社)
1994年度
船橋洋一(朝日新聞社)
1995年度
山本祐司(毎日新聞社出身)
木村栄文(RKB毎日放送)
1996年度
田勢康弘(日本経済新聞社)
相田 洋(日本放送協会)
1997年度
牧 太郎(毎日新聞社)
1999年度
国正武重(朝日新聞社出身)
黒岩 徹(毎日新聞社)
2000年度
熊田 亨(中日新聞社)
2001年度
鳥越俊太郎(全国朝日放送)
2003年度
田城 明(中国新聞社)
2004年度
春名幹男(共同通信社)
2005年度
黒田勝弘(産経新聞社)
2007年度
松本仁一(朝日新聞社)
清水美和(中日新聞社)