私の多事争論


坂本龍一「僕らが“倫理”を語るなんて」Ⅱ

2017/04/12

イナーシア=惰性






(坂本)
人間は日常に埋没していってしかも忘れて、また天災が来ると目を覚ます、ということを繰り返しています。去年の3月11日、僕はたまたま東京にいました。その後ニューヨークに帰っていろんな仕事をしている時も、毎日のように日本の状況を心配しながらチェックしていました。それで、7月に日本にまた帰ったんですが、成田に着いて東京へ入ってきたら、あまりにも町が普通なんでショックを受けました。みんな普通にお買い物をしているし、子どもも道を歩いているし、全然想像していたのと違うので、それもショックだったんですよね。数ヶ月の間であまりにも日常に戻っていたので。もちろんテレビも3・11前に戻っていたし。

(金平)
僕はテレビ局に勤めている人間としてテレビのありようを見て、「ああ、僕らがそういう空気を率先して作っているんだ」と思いました。もちろん3・11直後は、テレビはCMを飛ばして情報を流し続けました。でも、だんだん3・11以前に戻っていく。まるで3・11が無かったかのように。
それを見て、なんだかね・・自分の方が変なのかなと思ったりしました。そういう方針を決める人たちは、きっと僕らの仲間だったりする人間なわけです。ところがそういう人たちが決めていく方針と自分が、決定的に変わったなという思い。そうするとどちらが本当におかしいんだろうという思いがあります。
辺見庸さんは、“イナーシア”という言葉を使っていました。“惰性”ですね。惰性ってものすごく怖くて、「3・11以前のとおりやって何の問題があるんだよ」と。「あれが僕らの日常だろ?」みたいなね。その力ってものすごく強いんです。昔だったら「反動」とかそういう言葉を使うような動きだと思うんですが、ものすごい勢いでそういう力がはびこっています。で、それに対して言挙げすることがおかしいってなるような、そうなりかねない恐怖を、実のところ感じています。




(坂本)
金平さんのような感覚が異常なのではなくて、同じように違和感を持つ人も多いと思いますよ。やはりあの時のテレビの変わりよう、揺り戻しを見て、この一年だけではなく、ここ数年テレビ離れという言葉がよく言われますけど、あれで加速した面はありますね。

(金平)
ありますね。


(坂本)
とにかく、もう、テレビ自体を家に置かないというお宅も多くなっちゃったし。僕の周りでもそうですね。だからそういう意味では、テレビが自分で自分の首を絞めていると思います。もちろんテレビっていろんな面があるので、報道だけではなくて、エンターテインメントもあっていいと思いますけれど、3・11以前と同じようにしていいとは思わない。
これはテレビだけではなく、東北の復興の問題にも共通しています。以前の姿に戻るのが復興だとは思わない。そういう復興ではいけないと思っています。でも果たして、実際に復興に携わっている人たちがどれぐらいそういうことを思っているのか。



どうも議論としては、「土地を何メートルかさ上げするんだ」とか、「防潮堤は何メートルにするんだ」とか、そういう議論ばかりです。僕のようなものがそういうことを言っていても全くどうしようもないんですけど、あまりにも想像力がない状況です。そういうことに意見を持っている建築家や都市計画の専門家がどのぐらい復興計画に加わり地域に入っているか。そして、そういう人たちの意見を聞こうとしているのか、全然見えないですね。



(続く)



坂本龍一(さかもと・りゅういち)
言わずと知れた世界的なミュージシャン、作曲家、ピアニスト、俳優、著作家、等々幅広い活動範囲をもつ。1952年1月生まれ。東京都出身。都立新宿高校→東京芸術大学大学院修士課程修了。愛称は「教授」。音楽上の経歴は一切省略して、ここでは彼の社会的な活動に若干触れておく。戦争や環境問題についての発言をしっかりと継続して行っている日本では数少ないアーティストのひとり。実際、故・筑紫哲也キャスターらと共に、地雷除去キャンペーンに参加したほか、アメリカ同時多発テロ事件後の「非戦」姿勢の表明、楽曲の制作(アルバムChasm)、PSE法(電気用品安全法)に反対する署名活動の展開、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場に反対する運動(STOP ROKKASHO)、東日本大震災後には、自ら被災地を訪問して、森林保全団体モア・ツリーズとともに、木造仮設住宅の設営に尽力している。かなりの読書家でもある。

(聞き手)
金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。




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