西川美和 過渡期を生きる女性たちⅣ
2012/12/03
今の時代の“幸せ”について
(金平)
脚本書くのは面白いですか?
(西川)
面白いですね。
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(金平)
やっぱりそうなんですね。あの映画見ていてそう思いました。
(西川)
脚本を書く仕事は、全行程の中で唯一、私が1人で、自分の力だけでやっている仕事ですよね。あとはいろんな人の力と才能を借りながら、ある意味自分の思ったものよりも膨らんでいく。そういう意味では、シナリオだけは自分一人で出来る仕事だと思うし、難しいです。本当に。うまくいかないです。
(金平)
でも、脚本を書いている時って快楽の時間ですか?
(西川)
うーん・・・。快楽までいっているかどうか分からないですけれど。「このセリフだ!」とひらめいた時やアイディアがひらめいた時は、映画の仕事の全行程の中で一番嬉しい瞬間だと思いますね。あとは、うまくいってほっとするとか、思い通りの映画がとれてケガ人もいなくて良かったとか、そこそこ人が入ってくれて責任を果たせたとか、“安堵”が多いんですよね。だから、“喜び”を感じるという意味では書いている時だと思います。

(金平)
「ゆれる」の作品の中で、最後、和解に至るきっかけとして、兄が8ミリフィルムを見る場面が出てくるでしょう?あの中に、渓谷で遊ぶ子どもの頃の兄弟の映像が出てきます。そしてお兄さんが弟をずっと手で支えている場面が出てくる。ああいうものは脚本書く時にイメージしながら書いているんですか?
(西川)
私の場合はイメージして書いています。
(金平)
さっき“快楽”という言葉を使ったのは、そういうのが、観ていてぐーっとくるんだと思ったからです。
(西川)
でもそこが私のコンプレックスでもあります。というのも、優れた映画監督は「自分の設計図を壊していける人」とどこかで思い込んでいる部分があるんですね。映画監督の仕事というのは現場の仕事です。現場でありのままのものを見て「どっちからも撮れる」「こう撮ったら面白い」というアイディアを現場で湧かせ、自分の設計図を壊していくもの。でも私にはそういう俊敏さはなく、撮影に入る前に構築して構築して、と、かっちり作っていきます。なので、逆に決まったものしか撮れない。それに、決まったものからあふれたものを切り取る視点が現場で持てない。それが、自分の特徴であり欠点でもあると思っています。

(金平)
映画の話から離れてしまうかもしれませんが、表現者やいろんな分野の人にお聞きして、今という時代、3・11は人々にすごく大きな影響を与えたと思うんです。ものを書いている人や詩人の中には、「3・11以前と以降では、私は決定的に変わってしまった」という人がいます。
30何年生きてこられてね、“今”という時代状況・・・先ほど“世間が求める女性像や生き方みたいなものと、自分が求めているものの間のズレ“について仰っていましたが、僕は今という時代は、“そういう意味のズレが極大に達している状況”なのではないかと思っています。僕は来年60歳になりますが、周りを見ていると、人間が幸せになりにくい時代状況というものを感じます。今という時代状況について、何か考えている事はありますか?

(西川)
幸せについては、本当に仰る通りだと思います。私たちの世代は、物質的に飢えている訳ではありません。それに、生き方の選択肢が増えて、自由に生きていくんだ、自分らしい生き方を探すんだって育てられたはずです。たぶん親や祖父母の時代には得ることが難しかった多くの選択肢を手にしています。それなのに、その多くの選択肢の中で壁にぶち当たっているというか、どうやって生きていけばいいのかかえってわからなくなっているという状況があります。

今回の映画の関係で言うと、女性の生き方が、半世紀、一世紀の間に随分変わったので、親に聞いてもお祖母ちゃんに聞いても、「どう生きれば幸せなのか」がわからない。そういう中で女性たちは迷いまくっていると思います。
かつ女性の生き方は、男性の生き方とは違って、肉体を背負う部分があります。どんなに同じ様に仕事ができたとしても、体力は男の人よりないですし、月経の苦しみがあったり、出産・育児という動物としての責務があったりします。そういう点で、うまくバランスが取れて充足している人はなかなかいないですよね。特に都市生活の中では・・・。
本来は、幸せの価値は各々が自分で決めるべきものです。でも、誰かが「これが幸せだ」としたことに対して「本当にそうなのかな」ってみんな揺さぶられてしまいがちで、なかなか確固としてものが掴みきれていない。今はいわゆる過渡期なのかなという感じがしますね。
(金平)
映画の中に、「肉体性を背負って生きていく」という部分は、少し出てきますよね。松たかこさんが生理用ナプキンをつけるところだとか、ぎりぎりの描写だと思いますがマスターベーションしているところとか、ああいったのはなかなか男の監督にはできないと思います。感覚的に分からない所があるのでね。
あと、提示されたスタイル、“幸福になるなり方”みたいなものに人は殺到してまう。それが映画の中の“詐欺の仕掛け”ですよね。例えば、「優しい板前さんが声をかけてくれて自分の事も認めてくれる」みたいな。そういうものを皆こぞって求めますよね。社会的地位とかそんなんじゃなくて。
(西川)
そうなんですよね。
(金平)
女性たちが殺到してしまう、ああいう仕掛けを作ってしまうのがすごいなと思いました。
(西川)
やっぱり、何でもそうですけど、自由って一番扱いが難しいものですよね。
(金平)
「自由にしていいよ」というのが一番残酷かもしれない。
(西川)
それをうまく自分のものにしていくというのは難しいと思います。でも、そうなってしまうと、支配されていた時代の方が楽だったのではないかと思えてしまう。どこかで、何かに支配されて「幸せの価値はこれだ」と教え込まれて思考停止状態になる方が楽なのではないかなって思ってしまうのが人間なのかなと思います。でもこういう苦しいプロセスを経て、各々が自分の幸せの価値基準を掴み取れる時代がくればいいと思いますけどね。どうなんでしょうね。

(金平)
ある種の幸福になるためのスタイルが、きちんと決まっていた方が楽だ、というようなところはあるんでしょうね。何でそんなことを思ったのかと言うと、この2週間で2つの結婚式に出席したんです。どちらも今風の若い人たちの結婚式でしたが、今の結婚式って、最後の泣かせ所も含めて、スタイルがきっちり決まっているんですね。
一つは、姪の結婚式だったんですが、弟が最後、花嫁になった娘からお礼を言われるんです。司会が「願いを込めて」とか白々しいことを言ってふるんですが、そのスタイルに従ってやると滂沱の涙が出て来るんです。なぜかというと、その時にいろんな感情が噴出するシステムが、うまい具合に出来上がっているからです。終わった後ぐったり疲れたんですけれど、これでいいんだって思ってしまいました。こうやって成り立ってきたんだなって思ったんです。
(西川)
おめでたい席は、そういうベタな感じもいいですけれどね。
(金平)
きっとその対局にある“お葬式”も、そうかもしれないですよ。
(西川)
そうですね。
(金平)
だから、世の中には、スタイルがきちんと決まっているからこそうまい具合に感情を表出できる、という仕掛けがあるんですよね。

(西川)
そうですね。映画のフォーマットでももちろんありますからね。私も割と涙腺が弱い方なんで、何を見ても泣いてしまうんですが、その感情操作に乗せられてボロボロ泣きながら「こんなものに泣かされていいんだろうか」という思いもありますね。幼い子どもが悲しい目に遭っていたら涙が出てくるし、動物が痛い目にあったらかわいそうだと思うけれど、そういう単純な喜怒哀楽みたいな感情を誰かにコントロールされてそれが正しいと思うことは、私は怖いなと思います。
(続く)
西川美和(にしかわ・みわ)
1974年、広島県出身。大学在学中に是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』(99)にスタッフとして参加。02年、『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。同作品で第58回毎日映画コンクール脚本賞ほか数々の国内映画賞の新人賞を獲得。長編第二作『ゆれる』は第59回カンヌ国際映画祭監督週間に出品され、国内でロングランヒットを記録。09年、長編第三作目となる『ディア・ドクター』は第33回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に出品、第83回キネマ旬報ベスト・テン作品賞(日本映画第1位)、第33回日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数多くの賞を受賞。今年公開となった四作目の長編映画『夢売るふたり』は第37回トロント国際映画祭に出品された。その他小説作品に「ゆれる」「きのうの神様」「その日東京駅五時二十五分発」などがある。
(聞き手)
金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。
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