坂本龍一「僕らが“倫理”を語るなんて」Ⅵ
2017/04/21
“基盤”が違う
(金平)
さっきの“アートと原発”ということでもうちょっと言うと、権力一般とアートの関係って言うんですか。僕は、アートは反権力だなんて全然思っていませんし。


(坂本)
アートは金のあるところに形作られるわけですから。アートの中心はお金の中心地をまわっているだけです。ニューヨークやパリ、ローマ、ベネチアだって。
(金平)
いや、僕はそれ自体が悪いとは全く思っていません。アートの歴史、特にクラシック音楽の歴史ってそうですよね。パトロンがいて、という。
(坂本)
あのね、建築が一番そうなんです。その次が音楽。だから、フリーメイソンの会員にも建築家とか音楽家が多いでしょ。それはやっぱり権力に一番近いからです。
(金平)
額が半端じゃないんですよね。いつか、写真をやっている人と「写真と権力」の話をしていて、つまり権力に追随する写真家たちの話していたら、「金平さん、写真家なんて全然たいしたことないんですよ」と言われました。「一番罪深いのは建築ですよ」という話しを同じようにされたことがあります。
(坂本)
あと、20世紀に入ると映画になるんです。

(金平)
あー。
(坂本)
映画は総合芸術だから。音楽も映像も含んで、要するにプロパガンダとしてのツールとしては強力なわけです。だからファシスト、共産主義者とかは皆、映画好きなんです。で、音楽を作るコストと映画を作るコストを比べると、2桁ぐらい違う。それは権力に近くなる。
(金平)
いや、なんでそういう話をするかというと、原発もさることながら、最近、ロシアのプーチン氏が大統領選挙に勝っちゃったでしょ。これもいろんな議論があるんですけれども、プーチンの選挙運動CMに指揮者のゲルギエフが出ているんです。ヴァレリー・ゲルギエフ。この人、僕、大好きな指揮者なんです。すごいエネルギッシュでね。すごいんですよ。この人が出てきただけで会場の空気が変わっちゃうんです。それでいきなり指揮を振り始めると、聴衆がものすごい興奮状態になる、という人です。その彼がプーチンの選挙運動のCMに出て言うんです。「海外を旅行する時ロシアのパスポート出すと、『なんだロシア人か』という感じの扱いを受けて、自分のロシア人としてのプライドというのは海外ではまだまだ貶められている」と。それで「だからプーチンなんだ」という、そこにぽんといってしまうんです。よくわからない論理ですが。そのCMに出たことに対し、音楽家や批評家の間ではいろんな意見が出てきています。

(坂本)
フルトヴェングラーが、自分の意に沿わなくてもナチの党大会で指揮を振るいましたよね。そして最後までドイツから脱出しなかった。それが戦後になると、「あの状況でドイツを出ないということが罪である」というような認識をされるんですね。「良心的な文化人・芸術家はみんな脱出したのに、いくら良心があったとしても“いた”ということが犯罪的である」という論理で、戦後になって批判されるんです。
フルトヴェングラーは、内面ではナチに批判的だったと思うし、実際ベルリンフィルのユダヤ人演奏家たちを一生懸命逃がしたそうですし、僕は好意的に見ていますが、そういうふうに言われてしまう。もしかしたら、例えば日本国が、今回のように大量に放射能を海に垂れ流したこと―国際犯罪ですよね―、そのことについて、「日本人として糾弾しないこと自体が犯罪的である」と海外から言われても否定できないですよね。
(金平)
できないですね。この間ドイツ行ってきてほとほと思ったことがあります。
グリーンピースってあるじゃないですか。グリーンピースって日本の普通の人たちには、まあどちらかと言うと、評判悪いです。下手すると、シーシェパードと同じように見られているところがある。
ところがドイツに行ったら、彼らのオフィスは、ベルリンの官庁街の中心部にある立派なものです。そして、環境に関して言えば、彼らの意見を無視しては何の政策も決められない。そこのオフィスには何人ものボランティアのスタッフが勤めていて、それを支えている人たちが必ず寄付をすると。見ていてね、頭がクラクラする思いがしました。瀟洒な中央官庁みたいなところのオフィスにグリーンピースの事務所が普通にあるんですよ。
(坂本)
今、「ドイツの次期首相はグリーンパーティーから出るかもしれない」という話になっていますね。それぐらいエコ勢力が強い。それは福島のおかげなんですが。この差は何なんでしょう。

(金平)
一番びっくりしたのはある通りの名前です。ドイツでは、人の名前が通りの名前によく使われるんですが、ベルリンの中央部になかなかおしゃれな名前の通りがあったんです。その名前は「ルディ・ドュチュケ通り」と言います。これは1960年代後半、一番ラディカルな頃の学生運動のリーダーの名前です。その名前をつける時に、一応議論があったんですって。だけど大体の人は「いいじゃないか」って。日本でいったら「樺美智子通り」みたいなものですよね?
(坂本)
「山本義隆通り」とか?(笑)

(金平)
そうです(笑)。それを皆が受け入れて、通りの名前にしている。日本ではありえないでしょう? でもドイツではそういうことがある。そして、68世代が社会の中核にいて、実際に物事を動かしているんです。そういうのを見ると、日本の場合と基盤が違うというかね・・・。僕らの場合だと、1968年というのは無かったことというか、聞きたくないみたいな話になっちゃっている、というのがある。
(坂本)
馬鹿にされる対象ですよね。全共闘世代って。馬鹿にされて「あなたたちが悪いんでしょう」ぐらいの。

(続く)
坂本龍一(さかもと・りゅういち)
言わずと知れた世界的なミュージシャン、作曲家、ピアニスト、俳優、著作家、等々幅広い活動範囲をもつ。1952年1月生まれ。東京都出身。都立新宿高校→東京芸術大学大学院修士課程修了。愛称は「教授」。音楽上の経歴は一切省略して、ここでは彼の社会的な活動に若干触れておく。戦争や環境問題についての発言をしっかりと継続して行っている日本では数少ないアーティストのひとり。実際、故・筑紫哲也キャスターらと共に、地雷除去キャンペーンに参加したほか、アメリカ同時多発テロ事件後の「非戦」姿勢の表明、楽曲の制作(アルバムChasm)、PSE法(電気用品安全法)に反対する署名活動の展開、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場に反対する運動(STOP ROKKASHO)、東日本大震災後には、自ら被災地を訪問して、森林保全団体モア・ツリーズとともに、木造仮設住宅の設営に尽力している。かなりの読書家でもある。
(聞き手)
金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。
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