私の多事争論


西川美和 過渡期を生きる女性たちⅡ

2012/11/28

”関係性の崩壊”へのこだわり



(金平)
「1つ歯車が狂うと・・・」という話をされていましたけれど、僕は「ディアドクター」「蛇イチゴ」、「ゆれる」を観て、全部の映画に共通しているのは、“関係性の崩壊”が描かれているところだと思いました。人と人との間の、安定しているものがどんどん崩壊していく時、そうした時に主人公や当事者がどういう目に遭うか。
「蛇イチゴ」でも、1人変な人が出てきて結婚話は壊れるし、家庭は壊れるし、お父さんの嘘もバレてみんな壊れて崩壊していくじゃないですか。それから「ゆれる」だって、男兄弟2人の壊れ方。「ディアドクター」でも、共同体の中の隣人関係の壊れ方。あるいは、八千草薫さんが演じた母親と娘の関係の壊れ方とか。そして今度の「夢売るふたり」では、夫と妻の関係が壊れる。まあ、壊れていないのか。でも周りから見ていると、どんどん人間関係が壊れていく。
全作品で、“関係性の崩壊”みたいなものが共通して描かれていますが、そういうものに対するにこだわりがあるのですか?




(西川)
本当にそれが共通しているテーマだと思います。意識した訳ではないんですが、私にそうさせているものは何だろうなと思います。「君は家庭を崩壊させないと気が済まないのか」って言われそうですよね(笑)。でも決して、実生活で崩壊を望んでいる訳ではないんです。意外に私は、諍いが苦手だったり大きな声で怒鳴ったり泣かれたりっていうことが苦手で、臆病な事なかれ主義者的なところがあるんです。

ただ、人間同士の関係性や人間そのものが紐解かれる瞬間というのは、たぶん悲劇だとか悲劇性みたいなものが起きた時なんだろうなと思っています。さっき仰った、爽快なドラマであったり勧善懲悪ものであったり、冒険物語を作る人はたくさんいます。私も鑑賞するのは好きなんです。でも私が映画で何をやりたいかというと、人間をいろんな角度や関係性で登場させて、夫婦、親子、家族、兄弟、友達・・・、組み合わせを変えながらその間に亀裂を走らせ衝突させて、関係性や人間そのものを剥いていくという作業です。


「好きだよ」と言っているカップルを2時間撮っていても、たぶんそのカップルの個性はほとんど出てこないと思うんです。でも、取っ組み合いの喧嘩をさせればお互い何を大切にしていて、何に苦しんでいて、何が足りないかということがすぐに分かってくると思うんです。だから崩壊劇は人間というものを紐解いていくための仕掛けであって。言い訳ではないですが(笑)、そんなに崩壊を望んでいる訳ではなくて、一度崩壊した後にもしも関係性が再構築されていくのであれば、それは崩壊前よりも強い、清々しいもので、いろんな虚飾が剥がれたものになるのではないか。そういう希望を持ちながらドラマを書いているつもりです。

(金平)
そういう虚構とか虚飾を剥ぐために崩壊を持ち込むという。


(西川)
そうですね。現実では穏やかに生きたいと思っています(笑)。

(金平)
今の日本の映画の中にそういうものをあえて持ち込もうなんて、是枝裕和※注②さんの映画にはヒリヒリするくらいそういうものがありますけど・・・・。

そもそもなぜ映画を作ろうと思ったのですか?大学までどういうことやっていらしたとか子どもの頃の事を僕は存じ上げないんですが、広島のご出身ですよね?広島から上京し、東京の大学に入って映画の世界に行くという道筋は、今の平均的な日本の女性の、世間から求められている女性像からいうとマイノリティーですよね?


(西川)
今は若い女の人もだいぶ増えましたけどね。当時は全くのマイノリティーだったと思います。

(金平)
当時、“就活(シューカツ)”なんて言葉はあったんですか?



(西川)
“就活”という略語はなかったかもしれませんが、就職活動はしていました。
なぜ、映画の世界を目指したかというと、端的にいうと、映画は、私に感動を与えてくれたものだったからです。だからそこに従事したいという思い。自分が一番好きなものに就いてみたいという気持ちでした。本も雑誌も読んだし、テレビも見たし、音楽も聴いたし、写真も撮ったりしていましたが、映画が一番好きだと思ったんですね。
ただ当時は映画監督になるなんて全く思っていませんでした。そこまで重いポジションではなくて、映画というものを次の世代に継いでいくための端っこでその一員になれれば・・・。そう思ってこの世界に飛び込んだんです。

(金平)
誰の映画を見ていたんですか?忘れられない映画、きっかけになった映画はありますか?僕なんか、子どもの頃は石原裕次郎ですよ(笑)。「嵐を呼ぶ男」とかを父親の背中に乗って見に行って、そんな感じです(笑)。「モスラ対ゴジラ」とか。それで映画の楽しさを知ったという。




(西川)
映画の仕事をやってみたいというところまで思ったわけではないですが、映画的体験の楽しさを知ったのは、スピルバーグです。子どもも楽しめる洋画のアクション。小学生の時にお小遣いを持って劇場に1人で見に行って、字幕で見て、大人が笑う所で笑って、「ああ、こういう所で笑うんだな」って大人になった気になって帰るー。そういう経験を、たぶん80年代のジョージ・ルーカスとかスピルバーグの世界観の中で味わいました。それが、「映画って楽しいな」と思った最初だったと思います。ただ、作り手となっていくのはだいぶ後のことなので、「この1本!」となかなか言えないんですけれど、アメリカ映画を見て育ちました。

(金平)
僕はテレビの仕事、特にニュースの仕事しかしていませんが、映画が好きで、恐らくテーマというので考えると、ドキュメンタリーを作ることに興味を持っています。作るの面白いし、方法もいっぱいあるし、冒険もできるし。
フィクションや劇映画、それからドキュメンタリーでいうと、やっぱりすぐにフィクション・劇映画の方にいきましたか?ドキュメンタリーを撮ろうと思ったことはないですか?


(西川)
ドキュメンタリーを撮りたいとは全く思わなかったですね。劇映画を作りたかったです。自分が見てきて感動したものも劇映画でしたし、ドキュメンタリーを作ろうと思ったことはないです。ただ結局は、どちらも作者の作為で作られるものです。だから、フィクションとドキュメンタリーの間には、境界線があるようでない。そういう危うさを非常に感じています。でも最近、映画を作っていく上でいろんな取材をしていろんな人に会っていく中で、ドキュメンタリーという手法で映像作品を作っていくのも劇映画ではできない1つのことかなとは思っています。



(金平)
僕、実は、西川さんの作品を観て、西川さん、ドキュメンタリーに向いているなと思ったんです。つまり、テーマのことを言っているんです。例えばドキュメンタリーにも、虚飾を剥いでいくというか、もっと本質的なことを見せたいという部分があります。そこにおいて、西川さんの作品と共通するものを感じます。なんでそんな事を言うかというと、是枝さんのことを聞きたくて。僕は彼の作品が好きなんですが、その中でもテレビ用のドキュメンタリーが好きなんです。


(西川)
いいですよね。

(金平)
彼の根っこにあるのはテレビ用のドキュメンタリーなのではないかと思っています。


(西川)
そうですね。もともと自分は映画人ではなくてテレビマンだと仰っていたのを聞いたことがあります。

(金平)
西川さんに、それに共通するものを感じたんです。
是枝さんの「誰も知らない」はまさに現実に起きた事件ですよね。巣鴨で置き去りにされた子ども達が自分たちだけで生きていくという話。あれを、劇映画にするのではなく、ドキュメンタリーにしていくというような手法もあると思うんですよ。


(西川)
そうですね。是枝さんは、ドキュメンタリー番組を撮りながら自分の中のテーマを肥やしていって、そこで集めた材料で劇映画を書いていくということを、最近はどうか分からないんですが、何年か前までおやりになっていたと思いますね。ただ、私がなぜ、ドキュメンタリーに対して二の足を踏むかというと、実はムービーカメラで人を撮る事にすごく苦手意識があるんです。映画を撮っていながらこんなことを言うのもすごく変なんですけれどね。



(続く)

※ 注②映画監督。ドキュメンタリー番組やCM制作なども手がける。



西川美和(にしかわ・みわ)
1974年、広島県出身。大学在学中に是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』(99)にスタッフとして参加。02年、『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。同作品で第58回毎日映画コンクール脚本賞ほか数々の国内映画賞の新人賞を獲得。長編第二作『ゆれる』は第59回カンヌ国際映画祭監督週間に出品され、国内でロングランヒットを記録。09年、長編第三作目となる『ディア・ドクター』は第33回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に出品、第83回キネマ旬報ベスト・テン作品賞(日本映画第1位)、第33回日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数多くの賞を受賞。今年公開となった四作目の長編映画『夢売るふたり』は第37回トロント国際映画祭に出品された。その他小説作品に「ゆれる」「きのうの神様」「その日東京駅五時二十五分発」などがある。

(聞き手)
金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。






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