筑紫・鳥越 往復レター

2008.9.19 筑紫哲也→鳥越俊太郎/h2>

鳥越 俊太郎 様

メール拝見しました。やはり、さすがに“先輩”ですね。
「ガンクラブ」にようこそ―――と癌の経験者の友人に言われましたが、鳥越さんのお便りの内容をみると、単なる先輩であるだけではなく、堂々たるメンバーで、いまだジグザグの治療を繰り返している“後輩”からみると、強運の先輩にみえます。

というわけで、この話は別の機会に譲るとして、鳥越さんが同じメールで触れた「去りゆく指導者についての感想」についてのこちらの感想を述べたいと思います。

福田康夫という奇妙な政治家、なかでもメディアとの付き合いが苦手な人物と官房長官時代から個人的に付き合っていたごく少数のジャーナリストのグループがありました。
首相になってからこのグループのことは、一部週刊誌に漏れ伝わりました。私はそのメンバーでした。
小泉、安倍と続いたいささか声高なポピュリスト政治に私自身が食傷気味だったこともあって、世間や他のメディアに比べて私の福田評価は、いささか好意的だったと思います。
だから唐突な福田辞任を罵詈雑言で葬る気にはなりませんでした。

この点で、鳥越さんの気持ちもわかるのですが、にもかかわらず、この辞任を厳しく批判せざるを得ないと私は思います。長年の政治記者疲れで、その気力が自分の中で失せていたとしたら、年齢だけでなく心まで老いたと反省せざるを得ません。

では、福田氏の最大の“罪状”は何か―――。
一言で申せば、日本国内閣総理大臣という地位を貶めたことです。
しかも、前任者がいとも軽率にやった同じことを見たうえでの首相辞任です。
福田康夫氏は私が政治記者になって以来目撃した21人目の首相ですが、正直にいって福田氏よりお粗末な首相は他にいくらもいました。
しかし、二代続いて首相自らがこのポストを軽々しく扱った例はなかったし、こんなに広く有権者の間からソーリダイジンの“値打ち”が下落した時代はなかったと思います。

私はそれほどナショナリストではありませんが、「自民党総裁選挙見物」でもあるまいし、国籍不明の潜水艦が悠々と領海侵犯していくのは、ちょっとブラックユーモアがすぎますね。この国の安全保障の最高責任者は事実上不在だったわけですから。
民主主義も資本主義も“命綱”は「信頼」(「信任」・「信用」)です。
その要(かなめ)が揺らぎ、収縮するコワイ時代に私たちは入ろうとしているのではないでしょうか。

筑紫哲也