23時の女神

小倉 弘子

2009/03/02

 不思議なことに、まだ実感が湧きません。
一報から四ヶ月が経とうというのに。
この世に存在しないということが、何か、しっくりこない。
今ペンを置いて廊下に出ると、ばったり出くわして「お!頑張ってるじゃない。エヘヘ」とおっしゃってくれそうな・・・。

 訃報をお伝えしたのに、しっくりこないのです。

11月7日 午後6時過ぎ いつものようにTBS Nスタジオでニュースを伝えていました。
報せは、突然でした。
プロデューサーが足早にスタジオに入ってくると、小さな声で、三雲さんに言いました。
「筑紫さんが亡くなりました。次の次のコマーシャル明けで速報入れます」
「え?」と三雲さんと杉尾さんの視線が宙に浮く。
プロデューサーが続けます。
「今日の午後、だったそうです・・・。原稿持ってきますんで・・・」とそこまで言ってから、つっと私に視線を向けると、
「小倉、読んで。よろしくな」と言って、また足早に出て行きました。

え?え?え? 亡くなった 今日 午後 

驚いて、驚きすぎて、冷や汗が出てきました。
6月のパーティーでお会いしたときの筑紫さんが浮かびます。
初めて見た私の娘を、温かく、情のこもった眼差しで見つめながら、優しく撫でてくれました。
「こんなにかわいい子がいたんじゃあ、復帰しにくいじゃない」と。
「そうですねぇ。7月末には復帰するんですけどねぇ。どうなるんでしょうか(笑)筑紫さんも、もうすぐ選挙がありそうですし、体調整えてくださいね」
と私が申し上げると、「いや。僕(の復帰)は、無理だね」と、厳しい表情で顎を引きました。
久しぶりの筑紫さんに少し高揚したパーティーの雰囲気とは、対照的な硬い表情でした。
 そんなことを思いながら、私は一報を、筑紫哲也氏の訃報を、伝えたのです。

ニュース23のスポーツコーナーを5年務めました。
筑紫さんはとっても正直な方で、その様は、当時20代の私から見ても、可愛らしく見えることがありました。
例えば、夏のある暑い日。ノースリーブで番組に臨む私を見て、「いーねぇ。涼しいでしょう?」と羨ましそうに私に問いかけると、
今度はご自身のスタイリストさんに「僕も上着脱ぐよ。ネクタイも要らないじゃない」とその場でネクタイを外そうとするのです。
スタイリストさんはもちろん、私もスタッフも困ってしまいました。
週の半ばで、筑紫さんが突然、役場の職員さんのような格好に変身されては、視聴者もびっくりしてしまいます。
話し合いの結果、「クール・ビズ」ということで、夏場だけ沖縄の正装である「かりゆし」を着用することで落ち着きました。
すぐにダンボールでかりゆしウエアが届けられ、筑紫さんは「軽くて涼しい。エヘヘ。スーツより似合うだろう」と会心の笑みでした。

また、初めてJリーグを駒場スタジアムで観戦したときのことです。
当時の川淵チェアマンもご一緒してくださり、隣で解説をしてくださいました。
観戦の模様は、撮影し、番組の中で放送しました。
その際、筑紫さんと川淵氏の会話の中で、(筑)「あの人だけ、手を使っていいんですよね」、(川)「あ~。そうですね。あれはキーパーですから」
というものがあり、筑紫さんが頭を抱えて呟きました。
「絶っ対使われると思った!」
筑紫さんとしては、分かっているけど会話の糸口としてわざと聞いたつもりが、われながら愚問だったと後悔していたくだりのようで、
どうか使われないようにとひたすら願っていたようなのです。
海千山千の筑紫さんの恥ずかしがる姿は、かなりチャーミングでした。

 挙げればキリがありません。

親交のある野茂さんの軌跡をまとめたVTRを観て、涙を流した姿。
ゴルフは好きではないけど、マスターズは大好きだと言って寝不足で目をこする姿。
日本全国どこにでも日帰りで舞台を観にいくフットワーク。
小さなことにこそ拘った放送も必要だとする視線。
怒りと優しさをもってニュースに向き合う姿。

 挙げればキリがないのです。生き生きとした筑紫さんの魅力は。

だからこそ、亡くなったということが、しっくりこないのだと思います。
あんなにお世話になったのに、お礼もきちんとお伝えしていませんし・・・。

 生意気で、すみませんでした。
ファミリーだと言ってくださって、ありがとうございました。
 深く、感謝しています。

小倉弘子