23時の女神

久保田 智子

2009/03/06

「ニュース23」のスポーツキャスターをしないかとアナウンス部長からいわれた時は戸惑いました。当時の私はスポーツに関して無知、というか、全くの無関心。それまで先輩達が熱くスポーツを語る場に居合わせる機会がよくあったのですが、私は突然睡魔に襲われてみたり、もしくは、この先輩鼻の下が長いなぁ、なんて相手の顔を凝視することを楽しんだり、スポーツ話に耳を傾けることはほとんどありませんでした。よくわからなかったのです、スポーツのすごさが。ですから「ニュース23」のスポーツキャスターになることが決まり、筑紫さんに挨拶に行くときはとても緊張しました。スポーツ新聞を読んで、必死に「中日は荒木と井端のニ遊間は破れない」なんて、見だし文句を丸暗記したものです。あぁ、思い出すだけで穴があったら入りたい。ところが、筑紫さんは私をみるなり「女の子は大変だね、スポーツわからないでしょう?」と同情気味にきいてきたのです。うげ、なんでバレたんだろう、と必死にアラキ、イバタ、アバタ、あれなんだっけ?と頭をフル回転させましたが言葉に詰まり、「はい、わからないんです。これからしっかり勉強します」と私は答えたのでした。

「女の子は大変」という筑紫さんの言葉が私の心に残ります。実際にスポーツキャスターとして取材を始めてから、私はますますスポーツがわからないくなっていきました。野球、サッカー、大相撲など数多くのスポーツの取材をする機会をえましたが、勝敗くらいでしか判断できず、そこに至る過程をどうみたらいいのかわからなかったのです。私には本気でスポーツをした経験がありませんでした。おままごとやショッピングには詳しくても、野球も、サッカーも、大相撲も、男性だったら子供時代に何らかの形で接することが多いのでしょうが、女性は、少なくとも私は、遊びのレベルですらしたことがなかったために、どこがポイントで、どう共感していいのかわからなかったのです。実感のない言葉に責任をもてず、当座を繕うばかりで、私はしばらくスポーツの原稿を読みながら、筑紫さんに申し訳ない気持ちになりました。私のスポーツだけが「ニュース23」の中で名目ばかりで実質の伴わない、ふわふわ宙 を浮いたものに感じたのです。

だから、私は走り始めました。

これまで避けていた運動をしてみようと思いました。ランニングシューズに履き替えて、どこに行くわけでもなくとことん走ってみました。だんだん息が苦しくなって、体のあちこちが痛みだします。どんなに頑張って走っても、陸上選手のタイムには到底及びません。やる気はあるのに、体がついていきません。こんなにも肉体と精神とは別のものなのだとは知りませんでした。肉体と精神のバランスをとるのはすごく難しくて、その2つが調和してやっと純粋な運動性が表出するのです。そしてごく一部の人だけが、人間技とは思えないような神懸かった能力を発揮できるのだと思いました。走ることによって私が感じたことを軸にスポーツをみてみると、陸上に限らずスポーツ全般が、様々な動きのバリエーションで、とても繊細で、きれいにみえてきたのです。

筑紫さんがいなくなった今でも、私は走っています。まだまだ肉体と精神の調和は不安定ですが、自分の経験をもとに発言し、その言葉に責任を持つというのは、スポーツに限らず何にでも共通する真理だと感じるようになりました。走っていると自分の考え方がどんどん単純になっていきます。めちゃくちゃなことを考えたり、何にも考えず無になったりします。たまに、筑紫さんのことも思い出します。