「お前はただの現在にすぎない」
2009/10/02
![]() | 「お前はただの現在にすぎない」 萩元晴彦/村木良彦/今野勉 著 朝日新聞出版 |
お前、というのは他でもない、テレビのことである。
この本の原本が発刊されたのは、1969年であり、40年近いの時を経て、去年、再版された。
記したのは、当時、TBSの社員であった3人のテレビマン。
彼らは、1968年、番組内容や報道の取材方法をめぐって起きた“TBS闘争”の中心人物たちである。
闘いの中で、彼ら、は繰り返し繰り返し、問い続ける。
「テレビに何ができるのか」と。
時に、同業者に。
時に、組織に、
時に、社会に。
時に、己自身に。
たとえば、アポロ11号の月面着陸について、
たとえば、東大安田講堂落城でのテレビ中継について。
彼らの問いは、絶え間なく続く。
見る、とはこういうことだ。
自分の目で見、自分の心で捉える。
そして自分の内部から発せられる言葉で語る。
それが取材者として見るということだ。
彼らは、考察する。
テレビは、権力によっても芸術によっても再編成されることを欲せず、
現在そのものを創り出していく限りにおいて、
自らの未来を決定しうるのだ。
この本が発行され、しばらく後に、彼らはTBSを退社、
日本で初めての制作会社「テレビマンユニオン」を立ち上げる。
私の生まれる、10年以上前の話、
「筑紫哲也NEWS23」よりも、オウム問題よりも、昔の話だ。
しかし、彼らの言葉は、決して色あせることなく、心に突き刺さる。
「おまえにとってテレビジョンとは何か」
流動する権力状況の中で、
テレビジョンにかかわるすべての人間は、
この問いから逃れることはできない。
この40年で、デジタル放送、ハイビジョン、ノンリニア等々・・・
テレビ技術ははるかに進歩した。
だが、「テレビとは何か」という問いが、置き去りにされてはいないだろうか。
2009年。
政権交代のニュースを考える時、
酒井法子の保釈会見の生中継を考える時、
ダム建設中止問題をどう伝えるべきか考える時、
「テレビとは何か」と、私自身に問うてみる。
まだ、答えは出ない。
答えを探しながら、明日も、私はテレビの現場で働く。
テレビを送り出す側の人には、かつてこんなにテレビを信じたテレビマンたちがいたということに、勇気づけられることだろうと思う。
そして、テレビを見る側の人には、テレビとは何か、あなた自身はテレビに何を望むのか、考えてみるきっかけになるのではと思う。
テレビに絶望するのは、それから後でも、遅くはない。
(了)
WEB多事争論編集委員 Q川洋子
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9803(朝日新聞出版HP)