『筑紫さんが愛した本』
2009/11/07
一周忌を前に『この「くに」の面影』(筑紫哲也著 藤原帰一・吉岡弘行編 日本経済新聞出版社)、『若き友人たちへ』(筑紫哲也著 集英社新書)、『週刊朝日MOOK 筑紫哲也~永遠の好奇心』(朝日新聞出版)の三冊が刊行されました。
このうち、朝日のMOOKの【終章 遺したもの】のなかに、「全国へ旅立つ筑紫さんの愛した本」という項目があります。
私は番組作りを通じて筑紫さんの愛読書を見聞したほか、次女のゆうなさんに頼まれて筑紫さんが所蔵していた膨大な本を整理する作業もお手伝いしました。大半の本は多くの人々に読んでもらえるように全国各地に寄贈され、その経緯をまとめた文章なのですが、いくつかの愛読書は、机やベッドが生前の状態で配置されている書斎に今でも遺されています。
今回はその一部をご紹介しましょう。
![]() | 「場所」 瀬戸内寂聴 著 新潮社 |
2001年の12月末、同時多発テロに見舞われたニューヨークから「筑紫哲也ニュース23」の年末スペシャル番組を生中継しました。
当時、筑紫さんはアップタウンの東にマンションを持っていて、私はクリスマスから新年まで、そのマンションで筑紫さんと年越しをしました。
そのときに筑紫さんが日本から持ってきて読んでいたのが寂聴さんの『場所』という短編小説集でした。現在は文庫化されていますが、当時はハードカバーで、マンションのソファーに寝そべりながらページをゆっくりとめくっていました。
激しい恋愛体験をへて出家した寂聴さんが、自身にとって様々な形で“縁”がある場所をセレクトして私小説風の作品にまとめた味わいのある作品です。
多くの犠牲者を出したツインタワーの崩落現場を見た筑紫さんは、この本をどんな思いで読んだのでしょうか・・・。読後の感想を聞かなかったのが、ちょっぴり悔やまれます。
http://www.shinchosha.co.jp/book/114436/(新潮社HP)
![]() | 「情と理」 後藤田正晴 著 御厨貴 編 講談社 |
中曽根内閣で官房長官を務めた故・後藤田さんの回顧録。
後藤田さんは元・警察官僚のトップで、“カミソリ後藤田”といわれたためか、“タカ派”のイメージを持ってらっしゃる方も多いかもしれません。
実際は「私の目の黒いうちは憲法改正なんてとんでもない」ときっぱりおっしゃる“護憲派”でした。
アフガン戦争からイラク戦争にいたる時期に、私は筑紫さんと後藤田さんの対論を収録・編集しました。“周辺事態”や“事後承認”など自衛隊の海外派兵について国会で様々な議論が行われていましたが、後藤田さんは「戦争を知らない若い議員に精緻さを欠く議論が散見される」と憂いてらっしゃいました。故・三木武夫と並んで、筑紫さんが最後まで尊敬した政治家でした。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=281028X(講談社HP)
![]() | 詩集「倚りかからず」 茨木のり子 著 御厨貴 編 筑摩書房 |
意外かもしれませんが、筑紫さんの書棚の一角を占めていたのが詩集でした。
筑紫さんの72回目の誕生日にあたる07年6月23日。この日から密かに綴られた『残日録』と題された日記の中に「私が選ぶ10冊」という記述がありました。日付は去年2月10日。
筑紫さんは「私たちの国では詩人(歌人やソングライターもふくむ)に対して与えられて当然の評価や位置が与えられていない」として、抗議と自己批判をこめて10冊の詩集をリストアップしています。
その最初にあげたのが茨木さんの詩集『倚りかからず』でした。
実際に筑紫さんの書斎で茨木さんの詩集を手に取りましたが、多くの付箋が貼ってあって
ことあるごとに読み返していたようです。
また、この『倚りかからず』とともに、筑紫さんがことある毎に語っていたのが『自分の感受性くらい』という詩です。それは「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と結ばれています。
この詩と通ずるような記述が去年5月の『残日録』に記されています。
「5月6日 頼りは好奇心
生きる気があるのかを試されている
普段はそんなこと考えなくて人は生きていける
病いと対面して突き付けられるのはそれだ
どこまで生きる気があるのか、と。
もういいや、という気もする。
よほど、やりたいことが残っていないと。
なんかおもしろいことはないか、でやって来た者はとくにこれに弱い。
おもしろいことが見つからなくなると途端に支えるものがなくなるからだ。
頼りは好奇心か。」
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480803504/(筑摩書房HP)
WEB多事争論編集委員 吉岡弘行