続・カルチュアどんぶり画像

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。

#5 バッシング社会の中での真っすぐな心

2013/11/10

(映画『ファルージャ』より 有限会社ホームルーム製作)
 イラク戦争のさなか、2004年4月に起きた日本人人質事件のついては僕自身、特別な思いがある。当時、僕はテレビ局のワシントン特派員として日々の仕事に追われていた。米英の戦争当事国だけでなく、国連での合意を待たずに武力行使に前のめりになっていたアメリカ・ブッシュ政権の意向に追随したいわゆる「有志連合」に名前を連ねた国々の民間人やジャーナリストが、イラク現地で誘拐・拉致される事件が頻発した。なかには残忍な方法で「処刑」され、その模様を撮影したビデオが送りつけられるという悲劇も起きた。日本の小泉政権はいち早くイラク戦争支持を打ち出した。あの当時でさえ、日本国内ではイラク戦争には反対との声が大きかったことをワシントンにいながらも知っていた。

 そんななかで事件は起きた。高遠菜穂子さん、郡山総一郎さん、今井紀明さんの3人の日本人がイラクで武装勢力に人質になり、「自衛隊を撤退させなければ人質を殺す」との要求が日本政府に突き付けられた。人質の喉元に刃物を突きつけられる映像がテレビ局に届いたりした。僕はその映像をアメリカCBSテレビのイブニングニュースでみた。日本のテレビではボカシが入れられていたそうだ。もちろんアメリカはそのまま放送していた。映像から伝わる事態の緊迫度は限界に近いものだった。その後の顛末はすでに知られていると思うので記さないが、無事に解放された3人は、事件直後から、政府関係者(役人や政治家)、大半のマスメディア、一般市民と称する人々(その多くは匿名での発言だった)からの激しいバッシングにさらされた。それはそれはヒドい罵詈雑言だった。「自己責任」という言葉が飛び交った。自作自演説まで解説してみせる「専門家」がいた。被害者の家族にまで無言電話や剃刀の入った手紙が届いたりした。人間はここまで卑劣になれるのか、という見本市のような状況だった。僕はそのような状況をワシントンにいて時差を伴いながら、なぜこんなに被害者に対しての扱いが違うのだろうかと考え続けた。アメリカでは誘拐され人質になった末に解放された人達には手厚い保護がなされていた。それがなぜ日本では、救出に向かった救援機の飛行機代まで出せだの「税金泥棒!」だのの罵声を浴びなければならないのか。

 この映画作品は、その後の彼ら(主に高遠さんと今井さん)を取材した部分が中心になっている。伊藤めぐみさんというまだ若い女性がつくった。初めての演出作品なのだという。それがかえってよかったのではないか。作品の手法として凝った演出が施されているわけでもないし、ノーナレーションとか、音楽が凝っているとか、そんなものもない。ひたすら真っすぐだ。バッシング社会という磁場のなかで、この真っすぐさは輝いている。伊藤さんの思いを、まるで高校生当時の疑問から地続きのように、素直にナレーションでぶつけているのがいい。高遠さんにしろ、今井さんにしろ、おそらく今の日本社会では、不器用かつ実直な生き方しかできない人なのではないかということが映像からすぐにわかってしまう。彼らは「活動家」でもないし、バッシングを浴びておそらく死にたくなるほどの追い詰められ方を経験した、ごく当たり前の日本人である。困っている人や弱い人に同情を寄せるというのは、かつては日本人のよき属性だった。彼らはその属性を保っていた。異常なのは彼らをみんなで一緒に叩いた側の方だ。「非国民」だの「国賊」だのという亡霊のような言葉は、今の時代に再び日本の社会で息を吹き返している。ヘイトスピーチが大手を振って街頭に溢れだしている。かつてイラク戦争で人質になった彼らに向けられたバッシングが今度は別の「標的」に向けて再起動している。いつごろから日本人はこんなに卑怯になってしまったのだろう。オーバーキルの跋扈する世の中で、この『ファルージャ』の真っすぐな心の輝きに勇気をもらう人たちがたくさんいるだろう。

 ところで、日本政府はイラク戦争の総括なるものをまともに行っていない。外務省が民主党政権の末期に(2012年12月)ドサクサまぎれのようにA4の紙4枚程度のもの(「概ね適切な対応をした」とかいう文言があったと記憶しているが)を出して、それでお終いか? 喉元過ぎれば……か。

 バッシング社会のいま、この『ファルージャ』は多くの人に見られたらいい。