続・カルチュアどんぶり画像

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。

#2 風景に堆積する人間の記憶を追って
―――米田知子の写真展

2013/09/17

 米田知子という写真家がどのような人なのか、若いのか年齢のいった人なのかも含めて僕はほとんど知らない。ただ、現在ヘルシンキに住んでいるらしい。なるほどなあと思う。外にいる人が外から日本を射抜く本質的な眼。写真展『暗なきところで逢えれば』(東京都写真美術館)をみて、今、この日本という偏狭な国から排除されつつある<歴史の記憶>が堆積している場所にばったりと出くわしたりして、何だかひどく興奮した。こういう写真展との接し方はそんなに多くはない。僕が今、報道という仕事で経験しているコアのような部分が想起される写真の前で思わず立ち止まる。

 例えば、『道――サイパン島在留邦人玉砕があった崖に続く道,2003』。何気なく今も残る道が、あの時「天皇陛下万歳」を叫びながら崖から身を投げて自決していった数多くの日本人たちが通った道だという、死者たちの記憶が、そこに堆積している。明るい南洋の陽光の下の今の風景に僕らの想像力は拡がる。この5月、僕らが訪ねたアッツ島にも玉砕の痕跡があった。と言うより、今は無人島になってしまったアッツ島全体が記憶の痕跡なのだ。戦後、アメリカ軍が整地したという道路は荒れ放題だったが、それらはかつて日本軍が占領して作り上げた道でもあった。日本占領下では周囲の海や山には日本風の地名がつけられていた。熱田湾。熱田富士。その海山の姿をみて、当時の日本兵たちのみた風景とおそらくあまり変わらないような風景が、霧にむせんでいた。『プラットフォーム――伊藤博文暗殺現場、ハルピン・中国、2007』も、何重もの日韓関係のきしみの記憶が堆積された風景である。連作「Between Visible and Invisible」のなかの『谷崎潤一郎の眼鏡――松子夫人への手紙を見る、1999』や『安倍公房の眼鏡――『箱男』の原稿を見る、2013』のもつ想像力への訴求。僕は本当に写真展と平行して、サイモン・マクバーニーの『春琴』や、山口果林の『安倍公房とわたし』に触れたばかりだった。すなおに米田の写真はそれらに接続する。連作「 Kimusa」は韓国の情報特務機関の建物、部屋を内部から撮影したものだ。かつてそこで行われていた北朝鮮スパイ容疑者や政治犯への尋問や拷問の記憶が堆積している。内部から閉じられた窓。天井に据え付けられた赤と黄の電球が生々しい。連作「Japanese House」は日本統治下の台湾に残っている日本式家屋の内部=私的生活空間を撮影したものだ。『ポツダム宣言受諾時の首相、鈴木貫太郎の娘の家(青田、台北)Ⅱ、2010』にある生々しい記憶の痕跡。植民地統治下の台湾で暮らしていた日本人の支配者の娘のこころのなかにあったのは、むしろ西欧へのあこがれだったのではないか、と。

 今回の展示のなかで、僕がもっとも釘づけになった写真は連作「サハリン島」のなかにあった。それは『「オタスの社」――先住民指定居住地・日本人同化教育が行われ、また観光施設として運営されていた場所、ポロナイスク、2012』だった。これも、たまたま瀧口夕美の『民族衣装を着なかったアイヌ』という本を読んだばかりだったことが大きい。その本には、実際に「オタスの杜」で暮らしていた先住民ウイルタの北川アイ子さん(故人)からの聞き書きが記されていた。1909年、日本の樺太庁は当時施政下にあったサハリン島にアイヌ、ウイルタなど北方少数民族をまとめて住まわせる「土人の都」を設けた。彼らには徹底した皇民化教育が施されたが、終戦を迎えた時、彼らは置き去りにされた。日本人だけが内地に引き上げていったという。悔しさの滲むその証言を思い出しながら米田の写真に見入った。空は青く、海も濃紺で、オタスの杜の痕跡は今は土台しか残っていない。

 こうして米田の写真をみながら、風景の中に堆積された歴史の記憶を追う彼女の作業と、打ち消しようがない今現在のあっけらかんとした実在の間によこたわるものの大きさを想像する。それこそ決して抹消してはならない人々の営みがあったという証しであり、それは真の意味で僕らを励ますものだ。