続・カルチュアどんぶり画像

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。

#15 野ざらしにされ続けている「遺品」

2014/09/08


(『マクベス』より 世田谷パブリックシアター提供)

マレーシア航空機がウクライナ上空で何者かに撃墜されて機体がバラバラになり、乗客乗員298人全員が死亡したという悲劇があったことはまだ記憶に新しいはずだ。その現場、ウクライナ東部の農村地帯に取材に出かけた。ひまわりの咲き乱れる畑のなかに、飛行機の残骸や乗客たちの遺品が散乱していた。僕らが到着した時には遺体はほぼ回収されていたのだが、乗客たちの持っていた遺品が無造作に晒されているありように沈痛な思いをした。それらは、ぬいぐるみであったり、旅行ガイドブックであったり、カメラであったり、ゲーム機であったり。その「遺品」に対する持ち主の思いが刻印されているように思ったからだろう。
この『WEB多事争論』というサイトが、この4ヶ月間全く更新されることもなく、ネット空間に野ざらしになっている。それでも毎日千人を超える人々がこのサイトを訪れたことになっている。このウェブサイトは、いわば筑紫さんの「遺品」だと僕は思ってきた。けれども、僕も含めて、だれ一人として更新しない状態が続いた時、僕は冒頭のウクライナでみた光景のことを思い出したのだ。

僕は文化事象をレビューを書くためにみているわけではない。このサイトもレビューを書くために継続しているわけではない。調子が悪くて,映画なんか見たくない時もある。でも音楽を無性に聴きたい時もある。舞台をみて放心状態になることもある。文化は生きることそのものだ。それが、この4カ月、映画も音楽も、演劇も随分と遠ざかってしまった。この間、人との出会いや別れがいやに多かった。何だかそれだけで疲れたこともあったのだろう。この4カ月の間にみた映画はわずかに6本。音楽のステージは4本。演劇やダンスに至ってはわずかに3本というありさまだ。これは絶対に健康じゃないな。

そのなかでとてもよかったものだけを以下に記しておくことにしよう。レビューなんかじゃなくて、「遺品」を野ざらしにしないための手当てだ。

映画では、何と言っても『グランド・ブダペスト・ホテル』。ハリウッド映画じゃこういう作品はつくれないだろう。おしゃれで気品があり、歴史を意識している。人間の広大な歴史のなかで、人生なんかちっぽけなものだが、かけがいのないものだということを僕らにちゃんと教えてくれている。いい映画だった。あとは『イーダ』『8月の家族たち』『LIFE』『ミツバチの秘密の生活』とか。

音楽では何と言っても、フランチェスコ・トリスターノとアリス=紗良・オットの2台のピアノによる共演。ストラヴィンスキーの『春の祭典』が凄まじく魅力的だった。今年これまでみたなかで一番の音楽の収穫だった。あとは、ハンガリー国立管弦楽団か。

演劇や舞台では、再再再演なのだが、シアター・トラムの小さい箱でみた『マクベス』。マクベスの狂気は現代の日本社会の狂気に通底しているものがある。あらためて野村萬斎というひとの天才ぶりに脱帽させられた。勅使川原三郎とオーレリー・デュポンの『睡眠-sleep』。やはり彼女のダンスには伝統的な西欧ダンスの基質がきちんと染み込んでいるので、一回性の舞踏とのコラボは、より拡がりを与えてくれているのだ。

お終いに記しておきたいのは、写真家アントワーヌ・ダガタ。マグナムに所属している彼の写真は、彼の生き方と不即不離のもので、作品だけを論じても意味がない。写真を撮ることは奪うことであるという報道写真の一つの定義からは明らかに逸脱している。これはすごいことだと思いながら、同時にどこかで違和感を覚えたことも事実だ。

これからも、ひとりでも、手当てを欠かさないで、文字を刻む。