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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。
#18 現実が演劇に追いつき、凌いでいく時に
2015/02/16
写真はいずれも世田谷パブリックシアター『マーキュリー・ファー』(会場:シアタートラム) 撮影:細野晋司
この劇作品が初演されたのが2005年のロンドンの劇場である。米英主導のイラク戦争から4年目。イラク国内は混乱を極め、シーア派中心の暫定政権の枠組みが力づくで作りあげられていた時期だ。イラク国内では、初っ端の空爆に代わって今度は自国民による自爆テロが相次いでいた。この年の暮、イラク戦争に踏み切った張本人であるジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラク戦争開戦の理由だった大量破壊兵器の保有情報に誤りがあったことを初めて認めた。アメリカの同盟国、トニー・ブレア政権下のイギリスでは、この時期、反戦世論がすでに多数を占めていて、大規模な市民による反戦デモが起きていた。この流れが2007年のブレア退陣へとつながっていく。この作品初演の前年(2004年)には、BBCが、イラクに大量破壊兵器開発の疑いがあるとの政府報告書は政府によって誇張されたものだったと報じて、ブレア政権とBBCの全面対決という事態が生まれていた。私事を記せば、僕はこの年(2005年)の春までアメリカの首都ワシントンDCで特派員としてアメリカ主導のこのイラク戦争を連日のように報道していた。前の年にはイラクでの日本人人質事件が起きていた。僕自身は記者の一人としても、いや一人の日本市民としても、このイラク戦争に強い憤りを感じていた。何だかんだ言っても、戦争の本質は人を殺すという行為である。大義はあとからくっつけられる。当時のブッシュ政権のやり口は、それはそれはひどいものだった。それを日本の小泉政権は世界で一番早く支持表明をやってのけた。多くの日本人にとってそれは「他人事」だった。
今回、この『マーキュリー・ファー』をみたのは2月12日のことだ。ぐらつくほどこたえた。それは、この一種のディストピア劇の中身の衝撃それ自体によることもあるのだが、それ以上に、この作品が今という状況下の日本で上演された必然と偶然の織りなす「タイミング」に衝撃を受けたということがある。演劇には、吐き気と抒情が同時にやってくる瞬間があるということを、あらためてこの作品で知った。
この作品がロンドンで初演された際にも激しい論争が起きたのだという。「病的なファンタジー」、カルト作品だと酷評する側もあれば、むしろ作品に愛とリリシズムを見出して絶賛した側もあり、この論争そのもののせいもあったのだろうが、チケットは売り切れ状態になったのだという。日本版の演出にあたった白井晃はこの作品を2007年に読んで「日本ではとても上演できないな」と思ったのだそうだ。だが初演から10年たった今、「これこそ、今上演すべき作品だ」と上演を決意したのだという。それを推し進めたのが、現下の日本を取り巻く大状況の変容にあるのだろう。もはや戦争は日本人にとっても「他人事」ではなくなったのか。日本初演の直前に、フランスのパリでイスラム教の預言者モハンマドを風刺する新聞を発行したシャルリ・エブド本社が襲撃され編集者や漫画家らが殺された。それに続くように、日本人2名が「イスラム国」勢力によって拘束され(実は去年からずっと拘束されていて、日本政府もある時点でそのことを把握していた)、ついには殺害された。映像をともなうひどくむごたらしい殺され方で。そのようにして、日本をとりまく現実の方がこの『マーキュリー・ファー』にようやく追いつき、そして凌いでいきつつある、それが今という時代なのだろう。
もともとの作品の設定は近未来のロンドン郊外がイメージされていたようだが、僕はこの舞台をみながら、これはひょっとして「イスラム国」支配下に暮らす700万人の人々のなかのある家族の1シーンであってもおかしくはない、と思い始めていた。圧倒的な暴力による恐怖支配のもとで、「イスラム国」支配下に留まらざるを得ない彼ら彼女らは今、どのような日常を送っているのか。そのことに思いを致さずに、「テロリストには絶対に屈しない」との勇ましい大義を掲げて、安全な場所から空爆を指令する人間たち、それを傍観する人間たちが、「イスラム国」支配下で暮らす人々以上にまともで正常だとは思えない。
舞台に登場する役者たちは総じて若く、正直に記せば、その分、演じることにちからが入りすぎていると感じさせられたこともあった。「普遍的な愛」というテーマを浮き上がらせるには、登場人物たちの濃密な関係性の描写がまだまだ足りないようにも思った。特に前半部分で兄弟という関係が少しばかりわかりづらかった。けれども、後半に至ってどんどんとステージに引き込まれていった。変質者のパーティーゲスト役のベテラン、半海一晃の演技に拍手。
最後に言わずもがなのこと。この作品を機会があれば是非ともみてください! そして、今後、この日本でもいろいろなバージョンの『マーキュリー・ファー』が上演されますように。