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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。
#12 ドン・キホーテは警戒区域をめざす
2014/03/18


世田谷パブリック・シアター提供
撮影(いずれも);細野晋司(Shinji Hosono)
今から400年前以上前の1605年に、スペインの作家セルバンテスが出版した小説『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の主人公、ドン・キホーテが、現代のこの極東の国=日本に降り立ったならば、彼はそこで何を敵として見定め、何に向かって突進していくのだろうか。風車ははるか昔に火力にとって替わられた。その火力は石油にとって替わられた。そして石油にとって替わって、今度は核分裂によるエネルギーによってタービンを猛烈な勢いで回転させて電力を起こす「アレ」にとって替わられている。そんなこの国で、そして本当はその「アレ」も破綻しているにもかかわらず、なおも見ないふりをしようとしているこの国で、彼は何を敵としてたたかっていくのか。時代錯誤の狂人か、はたまた時代に挑む英雄か。その受け止め方は、セルバンテスの小説への評価のように、時代と場所によって異なるのだが、狂気が支配する世界においては、ドン・キホーテは英雄に「なる」。いや、「される」のだ。混沌のウクライナから戻って、東京の世田谷パブリック・シアターで、川村毅の作品『神なき国の騎士――あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?』をみた。その日は東京での千秋楽だった。みられて本当によかった。野村萬斎の演出、主演。これはそうそう見られる舞台ではない。公演期間が東日本大震災の3年目の日を挟んでいたのはもちろん偶然ではない。この舞台のテーマがその日と直結しているのである。この国に降り立ったドン・キホーテは、光に溢れ、闇を抹殺した現代文明の光景に猛烈な拒絶反応を示す。耐えられない。「太古の闇よりやってきた拙者は、欺瞞の光を成敗すべくこの世に生まれた」「われら人間はわかりにくい闇の世界を忘れていいものだろうか」「正義は暗がりの中にしかない」。妄想を抱きながら、彼は騎士としてこの国の「欺瞞の光」を成敗すべく、闇を求めて移動する。キャバクラのネオンや、六本木のドンキや、国会の欺瞞や、デモの独善や、民主選挙の嘘っぱちのなかを、彼は彷徨する。大駱駝艦の動きが「神なき国」の民衆を実にうまく表現していた。顔のない固有名詞のないアモルフな要求が放出されていた。そして「世界が終った」後の、あの荒野の茫漠たる風景。おそらくそこは鉄条網で出入りがきびしく禁止されたあの「警戒区域」に違いない。「欺瞞の光」を成敗して移動してきたはずのドン・キホーテが行き着かざるを得なかった場所こそがそこなのだ。そこでは、愛馬ロシナンテとサンチョパンサの乗っていたロバが「殺処分」される。なぜ? 「警戒区域」から逃れられなかった少数の人間たちは、逆にそこに閉じ込められる。有害な者とされる。狂気と正気の間を往還してきたようにみえたドン・キホーテ。その彼の姿は最後のシーンでは神々しく輝いてさえ見える。一体どちらが狂気の側にいるのだ、と。「アレ」をテーマにした演劇が成立するのだとしたら、のぞむべくは僕らの想像力を拡げ、最後にドン・キホーテが叫んだように「生き抜くのじゃ!」というメッセージに耐えうる内容であってほしいと思う。この『神なき国の騎士』は、その点で、いままでみたどの舞台作品よりも想像力を拡げられた。この舞台、衣装も美術も照明も随分と苦闘したに違いない。拍手。
さて、ドン・キホーテは「警戒区域」をめざした。だが、成敗すべきものは、その「警戒区域」の「外側」にあったのだ。そして僕らは、その「外側」のほうに暮らし続けていることを思い知る。「覚醒せよ!」 ドン・キホーテの最後の言葉は僕にはそのようにも聞こえたが…… echo RETURN_TOP; ?>