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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。
#17 2014年ジャンル徹底的無視ベスト10
2014/12/30
ろくに、この「WEB多事争論」の更新もしないまま、とうとう年の瀬を迎えてしまった。何やってんだか。遺志を継ぐこころはどこへ行ってしまったんだい? そう、自分に問いかけてもあとの祭りだ。2014年は大反省の年だった。とにかく、仕事も、遊びも、カルチャー渉猟も、すべてが低調だった。ちゃんとしなきゃ、と思うのだが。気力が萎えることがたびたび襲ってきた。そういうわけで、恒例のジャンル徹底的無視年間ベスト10。と言ってもサンプル数が少なすぎて、ベスト10に満たないかもね。
第1位。ジョシュア・オッペンハイマー監督の映画『アクト・オブ・キリング』と、倉沢愛子氏の労作『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(岩波現代全書)。インドネシアのスカルノを失権させたスハルトらによるクーデターとその後の大規模な赤狩り=人民虐殺。こんな身近にあったジェノサイド=大量虐殺の現代史を僕自身は知らずにこれまで生きてきた。ポルポトの虐殺は知識として知っているのに。同じように日本の現代史を僕らはどこまで知っているだろうかと自問する。この映画のつくり自体が画期的であって衝撃を受けたが、オッペンハイマー監督と直に話が出来たことも収穫だった。インドネシア現代史を含む1960年代史に再び大いに関心が沸いてきた。
第2位。白崎映美&とうほぐまづりオールスターズのライブ。暮れも押し詰まった12月25日に代官山の「晴れたら空に豆まいて」という小さなスペースでみた。白崎映美は、上々颱風の頃から聞いているのだが、3・11以降、とうほぐの血が、まつろわぬ民の血が騒いで、いてもたってもいられなくなったのだろう。ライブは実にパワフルなものだったが、ふと振り返ってみて、これを僕らの国に住んでいる人間たちの実質的なチカラにどうつなげていくか。日本人は残酷なくらいに、忘却する、まつろうのだから。いや、むしろ積極的に忘れましょう、葬りましょうという旗振りをやっている奴らがいるぞ、ほら、そこにもあそこにも。「絆」とかいう言葉を掲げてさ。
第3位。今年は何回か沖縄に足を運んだ。8月に何気なく那覇の桜坂劇場のライブに衝動的に飛び込んで聴いたコンサートがすばらしかった。The SAKISHIMA Meeting。新良幸人と下地勇のデュオにドラムスとベースが加わって濃厚な音楽を奏でていた。ニューヨークでライブをやって絶賛されたらしい。あのニューヨークタイムズが激賞していたくらいだから。確かに、うちなーぐちで歌われた『ダニーボーイ』は、アメリカ人にとっては切なく甘美に響いただろう。僕が驚いたのは、彼らの技量というか、歌が滅茶苦茶にうまい上に、楽器(三線とギター、ベース、ドラムス)の演奏がとても上等なことだった。沖縄のパワーはこんなところにもあるぞ。東京もん、下手で聴いてられない。
(世田谷パブリックシアター提供)
第4位。世田谷パブリックシアターでの演劇公演『炎 アンサンディ』。大体、僕は生意気にも翻訳劇をバカにしていた時期があったのだが、この劇をみてビンタを食らったような衝撃を受けた。レバノン内戦という日本人からはるか遠くにあるテーマを、ここまで普遍的なものとして提示され感動を与えられたことに素直に感謝したい。麻実れいの存在感がすばらしく、古典劇をみているような品格を感じた。朝日新聞社が、いわゆる従軍慰安婦報道で「誤報」取り消しということを行った年に、この作品が日本で上演されたことの意味を僕は考えている。
第5位。ウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』。今年は映画全般を本当にみなかった。試写会に足を運ぶ回数が前の年より激減した。これが大きな反省点である。そんななかでも見たこの作品は、好きなフィクションもののひとつ。失われたヨーロッパの郷愁の底にある人間の矜持というテーマが垣間見える。ここにヨーロッパの現代史を二重写しにしてみた。ハリウッド映画的じゃないのがやっぱり自分の好みだと再認識。
第6位。ベルギーのダンスカンパニー「ピーピング・トム」の舞台『A louer/フォー・レント』の退廃美。特に執事役の韓国人ダンサー、キム・ソルジンの驚異的なパフォーマンス。彼の痙攣的な超絶技巧をみられただけでも足を運んだ甲斐があったというものだ。退廃美を認める余裕がまだヨーロッパにはある。それこそ日本が一番失いかけているものだ。
第7位。2台のピアノによるストラヴィンスキーの『春の祭典』を2発。亡くなったピナ・バウシュが溺愛したこの曲を、対位する2台のピアノで奏でられるのを今年は2回聴いた。両方とも素晴らしかったが、同じ曲が演者たちによってこれほど違うものになるのかと改めて感嘆。演奏とはやっぱり一回きりのナマモノだと思う。ひとつは、今年10周年を迎えた「ラ・フォール・ジュルネ・オ・ジャポン」(有楽町の国際フォーラム)でのマルタ・アルゲリッチと酒井茜の共演。もうひとつは、すみだトリフォニー・ホールで聴いたアリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノの共演。生の残酷なまでの躍動。トリスターノは今後も着目していこう。
第8位。笠井瑞丈と上村なおかのデュオのダンス『RiP』。今の日本のダンスシーンでは、見続けていきたい2人のダンサー。2人の動きによって、まさに空間が切り裂かれていった。息を飲む緊張感と、その後の解放感がやってくる。笠井のおとっつぁんの方の来春の新作も今から楽しみだ。
第9位。アントワーヌ・ダガタ写真展『抗体』。渋谷のアツコバルー。これはちょっとばかり短くは評論しにくいけれど、少なくとも写真を撮る行為とは、自らが深く現実にコミットすることだ、相手に変化をもたらすものだ、という認識が当たり前の地点から撮られている写真。僕はまだ整理がつかない状態で宙づりにされている。
第10位。ジャン・フランコ・ロージ監督の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』。イタリア映画祭でみたドキュメンタリー映画。というべきかどうか迷うほどの叙事詩的なインパクトが重く残る。こういうドキュメンタリーもある。今年は、綿井健陽の『イラク チグリスに浮かぶ平和』、舩橋淳の『フタバから遠く離れてⅡ』といった日本のドキュメンタリー映画の秀作にめぐりあったが、この『ローマ環状線…』はそれらとは異質のものだ。
番外。『ヴァギナ・モノローグ』(4月4日、東京芸術劇場)。まさか、このステージに立っていた北原みのりさんが、その後の、ろくでなし子さんの「事件」に絡んで逮捕されるとはね。日本は一体どういう国になってしまったんだ? 公序良俗という虚構が大手を振って立ち現われてきて、文科省が「道徳」を教科化するように、これからの日本人に押し付けられるなんてね。たまったもんじゃないね。
さて、2015年は、もっと映画をみて舞台をみて、音楽を聴こう!